2012年04月04日 19時10分

阪堺電車の真実(8)。

南海電鉄・南海線「浜寺公園」駅の駅舎は平成10年に国の登録有形文化財となりました。外観は昨日の写真をご参照いただくとして、駅前にある石碑には明治40(1907)年、辰野金吾・片岡安博士設計により建てられた洋風木造建築物と書いてありました。
駅の中も上段・下段の写真で見て取れる通り、歴史を十分に感じさせるものです。

特に下段写真の集札口は、恐らくこの駅舎が文化財でなければというか、文化財に指定される前でも、建築学的に価値があるものと認知されていなければとっくに無くなっていたような気もします。何せ磁気式乗車券・定期券の登場後はその本来の役目を終えていただろうと思うからです。
それにしてもこのラッチは味があります。

実は・・・、この駅を訪れるのは初めてです。
今シリーズの(1)でも書いた通り、私は昭和54年に「浜寺駅前」から阪堺線に乗り「恵美須町」に向かっています。そして“片方向”しか乗っていません。と書けば普通その場合は、南海線の「浜寺公園」で下車し、「浜寺駅前」に歩いて移動したと考えるのが普通です。しかし私はその時、「浜寺公園」に降り立っていません。

種明かしです。この日私は、JR(当時は国鉄)の「東羽衣」駅から歩いたのです。こういうのを『鉄の抜け道』というのでしょうか?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!