2012年04月06日 19時35分

上段写真は平成24年2月22日の「阪堺電気軌道 浜寺駅前」駅で、下段写真は昭和54年10月15日の「南海電気鉄道 浜寺駅前」です。30年以上の時を経て、建物は同じです。
駅舎の上部で目立っている駅名看板は、一見あまり変わりがないようですが、『会社名』が「南海電気鉄道」から「阪堺電気軌道」に変わっており、一方でぼほ同じ雰囲気を保っているものの何となく違う感じがします。気のせいでしょうか?
細かい違いですがはっきりしていることは「南海」の看板の上には照明が付いており、「阪堺」の看板には付いていないことでしょうか。
大きな違いは現在の駅舎では、何と言っても自動販売機が目立っていることで、これは結構前からそうだったのでしょう。
細かいところでは、それぞれの写真の右側にある消火栓のポールですが、恐らく同じものでしょうが、昭和54年には付いていた広告が無くなっていました。この違いは家に帰ってから見比べて発見しました。“景気”の関係でしょうか?まあ「鉄」的にはどうでも良いことでしょうが、町の歴史の観察という意味では面白いと思っています。
(ところで)
一昨日の「鉄の抜け道」の件でコメントを頂き、その返信と言うことで少し書かせて頂きましたが、もう少し補足しますと、枝線と幹線であったり、枝線と枝線の間を徒歩のみならず路線バスを使って繋いだこともしばしばでした。例えば山形県の旧国鉄長井線(現・山形鉄道フラワー長井線)「荒砥駅」と旧国鉄(現・JR東日本)左沢線「左沢駅」との間は正に路線バスに乗っています。記憶間違いではないと思いますが、その路線は「時刻表」に載っておらず、確信は無かったものの地図を見ていて『バス路線があるのでは?』と感じ、荒砥駅に着いてから駅員さんに聞いたところ、「発車時間は分からないがある」とのことでバス停に向かいました。
私はこうした発見も「乗り鉄」の醍醐味の一つと思っています。