2012年04月10日 21時15分

阪堺電車の真実(12)。

阪堺線を北上すること暫し。『綾ノ町』から再び専用線となり、『我孫子道』駅に到着です。「162号」を下車した私は、ホームから『我孫子道車庫』を覗いてみました。

ここには“本線”から「車庫」への“分岐”がありますが、“複線”で分岐して車庫に向かう線形はなかなか見応えがあります。そして路面電車の専用線区間で車庫に向かって複線での分岐は私の知る限り、ここ阪堺線だけだと思います。 また併用軌道でも札幌市電ぐらいでしょうか?

この写真で、一番左すみにチラッと写っている161形がいるのですが、この日、私が“本線”上で出会った161形は、「162号」「166号」「168号」「170号」で、特徴のある黄色い線から「164号」と思われます。(“番号”の確認はこの時にはしていません)

何れにしろ、今回の話しの主役は“線路の楽しみ”ですので、目に飛び込んでくる多くの分岐器をお楽しみください。

2012年04月09日 19時14分

阪堺電車の真実(11)。

さて阪堺線のセンターリザベーション区間です。堺市内にあり、道路の中の専用線と言える所です。
名古屋で言えば、基幹バスの基幹2号系統の感じでしょうか?もっとも「車」は乗入禁止ですので基幹バスよりも“専用”感はあります。

上段写真は、その『綾ノ町』~『御陵前』間の『花田口』“駅”(ここは“駅”より“電停”と私は言いたい)で、止まっている電車は「351号」の『天王寺駅前』行きです。
一方、下段写真は先回掲載した「162号」(『天王寺駅前』行き)の車内から撮影した『御陵前』~『寺地町』間のグリーンベルト区間で、平成24年2月22日時点では、“菜の花”が咲き誇っていました。
恐らく季節で“花”を植え替えているものと推察していますが、今回、乗っている気分はまるでプチ“なのはな号”(豊橋鉄道)で、車体の塗装が緑色の復刻塗装であっても、と言うよりは後で“菜の花”の黄色と「162号」の色との組み合わせで写真を撮ったらどうだったのだろうとそんなことを思っていました。

今回から暫く阪堺線の“線路の楽しみ”を書きます。ただ全て私見であり、私以外の方にとって楽しいかどうかは別です。ご容赦ください。

2012年04月08日 18時23分

阪堺電車の真実(10)。

「浜寺駅前」からの帰路は「162号」。この日はよくよく「161形」電車に出会い、乗車できた日でした。これは私にとってラッキーとしか言えない出来事で、『阪堺電車の真実(5)』の写真でもお分かり頂けるように、古色蒼然であってもそれはレトロモダンと敢えて言いたくなるシロモノであり、この点は皆様のご理解が得られると信じています。ところで乗客の方々はこの電車に乗り慣れておられるので、私のように運転席の直ぐ右側に陣取る人はおらず、また時間的に子供の姿もなく、私は安心して特等席に陣取っていました。

今回、161形のみならず結構、電車の種類は乗ったのですが、その中でこの電車の良さの一つが、前面3枚窓であること。これは他の351形等の車両に比べ運転席横から前面風景の撮影がし易いことがその理由です。(と、乗車して気付きました)

一方、『良さ』というより、『味わい』の面では車内にある製造銘板(下段写真)がGOODです。そこに書かれている文字『神戸 川崎車輌会社 昭和3年』が全て右から左に書かれており、また旧漢字であることも深みを増しており、さらに『味わい』の筆頭に上げたいのは数字の『3』が『参』であることです。

今時、数字を漢字で書く機会は殆どありません。

2012年04月07日 20時35分

「桜」駅の“桜”2012満開(3)。

いつもなら1つの画像に纏めるのですが、今日は写真1枚ずつ、2回に分けてみました。
その理由は、、、言葉にしなくても分かって頂けると思っています。

ところでここからは少々興醒めな話しで恐縮ですが、実は今朝、「桜」駅で、名古屋レール・アーカイブス会員のAさんに会いました。地元の方では無いのですが、毎年この時期に、「桜」駅の『桜』を見に来ているそうです。

そして昼から行った「鉄道フェスティバルinなごや」の会場でばったり会った某鉄道会社勤務のUさんからは「今日、行って来たんですよ!」と、「桜」駅の『桜』の写真を見せてもらいました。

青空と桜。“日本晴れ”です。

2012年04月07日 20時17分

「桜」駅の“桜”2012満開(2)。

3月27日にUPした『名鉄「桜」駅の“桜”2012』では蕾固しだった桜が、今日(4月7日)は満開でした。

今日は第一土曜日、名古屋レール・アーカイブスの活動日です。と言うことで、活動日はいつも「桜」駅から「栄生」駅まで名鉄に乗っているのですが、今日は『桜』がきっと見頃だろうと思い、ワクワクしながら駅に向かいました。

決して「世に知られた存在」とは言えない「桜」駅に咲く『一本桜』。今朝は青空を背景にいつも以上に美しく感じました。

(続く)

2012年04月06日 19時35分

阪堺電車の真実(9)。

上段写真は平成24年2月22日の「阪堺電気軌道 浜寺駅前」駅で、下段写真は昭和54年10月15日の「南海電気鉄道 浜寺駅前」です。30年以上の時を経て、建物は同じです。

駅舎の上部で目立っている駅名看板は、一見あまり変わりがないようですが、『会社名』が「南海電気鉄道」から「阪堺電気軌道」に変わっており、一方でぼほ同じ雰囲気を保っているものの何となく違う感じがします。気のせいでしょうか?
細かい違いですがはっきりしていることは「南海」の看板の上には照明が付いており、「阪堺」の看板には付いていないことでしょうか。

大きな違いは現在の駅舎では、何と言っても自動販売機が目立っていることで、これは結構前からそうだったのでしょう。

細かいところでは、それぞれの写真の右側にある消火栓のポールですが、恐らく同じものでしょうが、昭和54年には付いていた広告が無くなっていました。この違いは家に帰ってから見比べて発見しました。“景気”の関係でしょうか?まあ「鉄」的にはどうでも良いことでしょうが、町の歴史の観察という意味では面白いと思っています。

(ところで)
一昨日の「鉄の抜け道」の件でコメントを頂き、その返信と言うことで少し書かせて頂きましたが、もう少し補足しますと、枝線と幹線であったり、枝線と枝線の間を徒歩のみならず路線バスを使って繋いだこともしばしばでした。例えば山形県の旧国鉄長井線(現・山形鉄道フラワー長井線)「荒砥駅」と旧国鉄(現・JR東日本)左沢線「左沢駅」との間は正に路線バスに乗っています。記憶間違いではないと思いますが、その路線は「時刻表」に載っておらず、確信は無かったものの地図を見ていて『バス路線があるのでは?』と感じ、荒砥駅に着いてから駅員さんに聞いたところ、「発車時間は分からないがある」とのことでバス停に向かいました。
私はこうした発見も「乗り鉄」の醍醐味の一つと思っています。

2012年04月05日 18時13分

北海道「りくべつ」からの便り。

北海道の「りくべつ」ってどこよ?それは北海道足寄郡陸別町です。
というより旧JR北海道地北線、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の「陸別」駅が“あった”町と言った方が通りが良いでしょう。
で、封書の差出人は陸別町商工会。そうっ!届いたのは1通の封書で、タイトルのような“便り”といったロマン漂うものではありません。「便り」としたのはちょっとした“想いありげ”な雰囲気を作ってみたかったからで、まあ許容範囲ということで…。

その商工会が運営しているのが、旧「陸別」駅構内の線路を使った『ふるさと銀河線りくべつ鉄道』運転体験です。(注:構内を利用して運営しているのは運転体験だけではありません。)
このブログでは昨年(2011年)8月10日から私の「運転体験」をUPしており、今回の写真は、その時、7月11日に撮影したものです。

それで今回の封書の内容ですが、「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」が何と!!!「陸別駅構内」を飛び出し今年から『構外』でも運転体験できるという“お知らせ”で、その距離は驚きの『1.6キロ』。もちろん片道です。それを2往復運転することが出来ます。
文書内に「国内初の最大延長路線」とありましたが確かにその通りでしょう。運転区間は駅の直ぐ北見寄りにある『金澤踏切』(上段写真では車両の右奥。下段写真のフェンスの場所)から北見方面に向かった『松浦踏切』間です。

つまり、写真では『開かずの扉』としか見えなかったフェンスが開かれ、そこに「運転体験」の気動車が走るのです。もっとも列車そのものは、これまでもイベントで乗客を乗せてその区間を走ったことはあります。

ただ運転するには2つのハードルがあります。一つはこれまでにここの運転体験で「Lコース」に参加したことがある人。それと1回の料金が3万円であることです。
私は1つ目のハードルはクリアしていますが、もう一つは北海道の陸別町という場所を含め、相当に高いハードルです。
でもハードルの高さはさておき、他の運転体験と異なり、駅構内や車庫を飛び出し、“大自然”の中の“線路”を運転できることはこれから相当な話題になることでしょう。

2012年04月04日 19時10分

阪堺電車の真実(8)。

南海電鉄・南海線「浜寺公園」駅の駅舎は平成10年に国の登録有形文化財となりました。外観は昨日の写真をご参照いただくとして、駅前にある石碑には明治40(1907)年、辰野金吾・片岡安博士設計により建てられた洋風木造建築物と書いてありました。
駅の中も上段・下段の写真で見て取れる通り、歴史を十分に感じさせるものです。

特に下段写真の集札口は、恐らくこの駅舎が文化財でなければというか、文化財に指定される前でも、建築学的に価値があるものと認知されていなければとっくに無くなっていたような気もします。何せ磁気式乗車券・定期券の登場後はその本来の役目を終えていただろうと思うからです。
それにしてもこのラッチは味があります。

実は・・・、この駅を訪れるのは初めてです。
今シリーズの(1)でも書いた通り、私は昭和54年に「浜寺駅前」から阪堺線に乗り「恵美須町」に向かっています。そして“片方向”しか乗っていません。と書けば普通その場合は、南海線の「浜寺公園」で下車し、「浜寺駅前」に歩いて移動したと考えるのが普通です。しかし私はその時、「浜寺公園」に降り立っていません。

種明かしです。この日私は、JR(当時は国鉄)の「東羽衣」駅から歩いたのです。こういうのを『鉄の抜け道』というのでしょうか?

2012年04月03日 21時03分

阪堺電車の真実(7)。

「168号」に乗ってきた「浜寺駅前」駅です。上段写真で高層マンションの前に電車が止まっているのがその場所です。時刻は13:46頃でした。

「浜寺駅前」という位ですから、「浜寺駅」があることになりますが、それが下段写真の南海電鉄・南海線の「浜寺公園」駅です。と言い切って良いとは思うものの、阪堺線「浜寺駅前」の名前に“前”と付いているにも関わらず、その肝心要の“駅”が「浜寺公園」駅という名前である理由は私には分かりません。

『Wikipedia』の南海電鉄・南海線「浜寺公園駅」の項目には、明治40年(1907年)に「浜寺」駅から「浜寺公園」駅に改称されたとの記述がありました。が、「浜寺駅前」が開業したのが明治45年(1912年)ですから・・・、当時「浜寺公園」駅の通称が「浜寺」だった???
話しがややこやしくて申し訳ありませんが、昭和54年に乗車した当時はそんな疑問は抱きませんでした(何も考えていなかった…)が、改めて乗ってみると「何で?」ということがここだけではなくたまにあります。実は今回のタイトル「阪堺電車の真実」に決めたのはこれが1番の理由です。

※日本語の話し…そう言えば「ややこやしい」と言う表現は「ややこしい」が本来の用語でしょう。このブログはワードで文章を作り、それをブログの“投稿”に貼り付けているのですが、前記「ややこやしくて・・・」と打ち込んだところ、「くて」の所に赤い波線のアンダーラインが出たのがきっかけで「そういえば?」と気付きました。参考までに広辞苑等の辞書に「ややこしい」はあっても「ややこやしい」はありません。
普通はそうした場合「ややこしくて」と書くべきだろうとは思ったものの敢えて、私には馴染んでいる「ややこやしくて」と書いてみました。
ややこしいです。・・・洒落になっていません。

2012年04月02日 18時23分

阪堺電車の真実(6)。

阪堺電車は1乗車200円(平成23年1月15日~)ですが、目的地まで乗り換えが必要な場合は住吉または我孫子道で1回に限り追加料金無しで乗り換えができます。

例えば「恵美須町」から乗車した場合、「住吉」では「天王寺駅前」方面、「住吉公園」方面への乗り換えができ、また「我孫子道」から先に行く場合は、「我孫子道」でこの『乗換券発行機(?)』から乗換券を出してもらってそれを使うことになります。
つまりこの『乗換券発行機』が使われる場面は、その2回になるということですね。

因みに阪堺線の乗換券がどうなっているのか思い、「住吉」で200円を支払って“乗換券”を発券してもらいました。そしてそれを見たら、やはり前記の乗換について記載されていましたが、乗り換えにあたり、時間制限がついているのが「成程」と思った点です。またこの乗換券ですが、利用する方はちゃんとおられ、まあ『利用される阪堺電鉄』というところで少々「ホッ」としたというのが実感です。
ところでこの「乗換券」に私が何故反応しているかの理由ですが、私が知っている時代の名古屋市電にはそれが無かったからです。ただ路面電車も“鉄道路線”と考えれば『乗換』はあって然るべき存在かもしれません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!