2012年05月17日 19時22分

高山本線ローカル列車の旅(13)。

「久々野」を出て、飛騨川沿いの景色の良い区間を走行しているにも関わらず、ここで私は車内を見回していました。

上段写真で窓の下にある4つの台形の『ポツ』。若い方では理解し難い存在とも言える、もともと灰皿が取り付けられていた痕跡です。
キハ48形(40・47を含む)は昭和52年、奇しくも(くしくも)私が働き始めた年に登場しており、その頃は灰皿の付いた車両と言うより、国鉄のクロスシート車両にはほぼ灰皿は付き物だったはず。
また扇風機も同様で、流石に冷房は後で付けられましたが、それでも冷房化後もこうして残されている車両に乗っていると、“昭和の時代”に戻った気分で、人生の半分以上を昭和で過ごした世代としては何か心がホッコリします。

最後に下段写真のベンチレーター(換気装置)ですが、真ん中に丸い輪があるのを確認できますでしょうか?
これはレバーになっており、長いトンネルに入る前とかに、車掌さんがこのレバーを動かしエンジンの排気が車内に入らないようにしていたような記憶があります。ただそんな覚えがあるだけで、確証はありませんが…。
また冬の寒い時にも…、こちらは相当に怪しいです。

3つまとめて“昭和の遺物”なのかも知れません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!