2012年06月30日 21時49分

富山ライトレールの楽しみ方(6)。

さて、富山ライトレールの「富山駅北」から北へ少し行き、右に回るまでの短い区間ですが「サイドリザベーション(片寄せ)方式」となっており、写真でも見て取れるように「岩瀬浜」行きでは道路の左側に単線の専用軌道が敷かれています。線路の間は緑化(芝生軌道化)されており、見た目にも美しいものがあります。

一方、こちらはドイツ・ミュンヘンの路面電車の軌道で、よくよく見ると、線路の左側に道路があります。この区間も「サイドリザベーション」で、要するに「サイドリザベーション」とは、路面電車が道路中央ではなく、道路の端を走るもので、これにより車の通行と路面電車の通行を分離し、路面電車の定時運行を確保する手段として知られています。とは言っても富山ライトレールのサイドリザベーション区間で、道路が渋滞するとはあまり考えられませんが、それでも“専用線化”しておくことは必要と思われます。

 

ところでこの2枚の写真における「LRT」としてのポイントですが、実は3つあります。

一つは、「サイドリザベーション」。(既述)

一つは、「緑化軌道(芝生軌道)」。(既述)

もう一つは「樹脂固定軌道」です。パッと見で分かりにくいのですが、電車が通っていく線路の内側にもう一つ“線”の様なもの(極端に薄いカーブ区間の脱線防止レールに見えなくもない)がついています。これが『溝レール』と呼ばれるもので、太い線路の真ん中に溝を作って、そこを車輪のフランジが通っていくとご想像いただきたいのですが、その線路はコンクリートの道床に置かれ、それを固定するのは犬釘やボルトではなく“樹脂”となっています。日本では富山ライトレールの他に広島電鉄、福井鉄道、京福電鉄、熊本市電で導入されており、騒音・振動が少なく、メンテナンス面でも優れていることで知られています。私たち乗客にとっては静かで揺れが少ないということは、車内はとても快適となったと言え、よく揺れて、かつ車内での会話は大声にならざるを得なかった廃止前の『名古屋市電』とは比較になりません。一方で、路面電車の沿線住民にとっても騒音の低減のメリットは大きいでしょう。

おっと、忘れていました。実は富山地方鉄道富山市内軌道線の「富山大橋」の架け替えによる新設区間もこの「樹脂固定軌道」が採用されており、その工事の際、『軌道』がコンクリートの上に置かれ、『樹脂』で固定されていく工程を確認することができたはずで、実は「鉄」の知人からそれを「見に行こう」と誘われていたのですが結局、行くことは叶いませんでした。

2012年06月29日 22時25分

富山ライトレールの楽しみ方(5)。

ところでLRTとは何でしょうか?そのコンセプトは国土交通省都市整備局都市計画課交通調査室が平成17年10月に公表した『まちづくりと一体となったLRT導入ガイダンス』には次のように書かれています。長文ですが引用します。

「LRTは、従来の路面電車が高度化され、洗練された公共交通システムである。具体的には、車両の低床化などユニバーサルデザインが徹底され、外観も美しくデザイン化されるとともに、走行路も道路路面だけでなく地下や高架、都市間鉄道乗り入れなど多様な空間を活用し速達性の向上が図られるなど、より高度な公共交通サービスを提供するために様々な工夫が施されたシステムである。」

とあるにも関わらず、「車両の低床化…」が世間的にはあまりにも注目されすぎ、「速達性の向上」であったり、「様々な工夫が施されたシステム」があまり取りざたされていないのが気になります。

今日の上の写真は「富山駅北」に停車中の電車ですが、見た通りで低床であることが見て取れます。本当はもっと低床が分かるように停車中の写真を撮るべきでしたが、それは次への反省ということでご容赦を。

こちらは昨年の11月21日にドイツ・ミュンヘン市のドイツ鉄道「ミュンヘン駅」前の停留所で撮影したもので、道路面がわかるので電車内の低床ぶりが少しは分かっていただけると思います。

ミュンヘンの路面電車は「富山ライトレール」の建設計画時に参考にされた鉄道の一つと言われており、その車両は殆どが低床車ですが、実は全ての電車が低床というわけではありません。(その写真は後日)

ミュンヘンの路面電車のLRTにあるのは、『システム』というキーワードで、先々回の『ポイント』と先回の『フィーダーバス』は、正にLRTの『システム』であり、「LRT」=「低床車」という認識は、そろそろ払拭されても良いのではと思っているのはきっと私だけではないはずです。といいつつ、それに気付いたのはそれほど前のことではないのですが…。

2012年06月28日 22時00分

富山ライトレールの楽しみ方(4)。

「富山駅北」を13:15に出た電車に乗り、「岩瀬浜」には13:39の定時着。TRL0600形電車は2車体連接とは言え乗車定員80名。決して大量輸送機関とは言えませんが堂々の中量輸送機関で、乗客は思いのほかと言うか思った通りというか、結構な数の乗客を運んでいました。

なお、ここからは「富山ライトレール富山港線」は愛称の『ポートラム』と書きます。本来、『ポートラム』とはこの路線を走る車両の愛称ですが、総体としてこの名称を使います。

その特徴と言うか、私の考えるLRT的な楽しみの1番目は「フィーダーバス」です。簡単に言えばポートラムに接続するバス路線ということになりますが、ただの接続ではなく、写真で見た通り、電車のホームにバスが横付けされ、段差なく乗り換えられます。このバス停「岩瀬浜駅前」からは富山湾沿いに「水橋漁港前」まで途中14停留所に停まりながら13~4分で結んでいます。

写真のバスは「岩瀬浜駅前」13:57発で、私がここまで乗車してきた1本あとの電車であれば、その接続時間は3分で、利便性は素晴らしいです。なお写真はその『1本あと』のポートラム車内から撮影しています。

ところでフィーダーバスと言えばこのブログでも1年ちょっと前の昨年の5月7日に、九州は熊本電鉄「御代志」駅のフィーダーバスについて触れていますが、ここ「岩瀬浜」の方が、バスの停車の仕方がよりホームに近い感じです。またバスの塗色が、ポートラムの虹の七色に合わせてあるようで、贅沢を言えば、ポートラムと同色のバスの2ショットを撮影したかった!ということです。(フィーダーバスはもう一路線、「蓮町」発着があります)

 

(参考資料)

*「ポートラムでおでかけ 富山駅北 沿線ガイド」(発行:富山ライトレール)

 

2012年06月27日 23時17分

富山ライトレールの楽しみ方(3)。

さて富山ライトレールの楽しみ方ですが、どんな順番で書くべきかと考え、とりあえず起点の「富山駅北」を紹介し、次回からは思いついたままに書くことにしました。ストーリーに一貫性は全くありませんがご容赦ください。

(電車はTRL0601 レッド編成)

で、最初は「富山駅北」の停留所の2本のホームへの入線を振り分けるポイント(分岐器)です。このポイントは、分岐部分のレールが一体で加工されており、また転轍機(てんてつき)は電磁式電気転轍機といって、それがレールの間にコンパクトに埋め込まれており、一般的な鉄道の電気転轍機のように、動力部分がレールの外側に置かれ、レールの可動部分とロッドで繋がっているといったことはありません。

ヨーロッパのLRTでは一般的に使われているとのことですが、国内では熊本市交通局の一部で使用されています。昨年の5月にその「熊本市電」のことを書いているのですが、当時は、まだまだ私のLRTの知識は稚拙で、こうした情報を全く持っていませんでした。

 

『鉄道』というのは、知れば知るほど奥が深く、また知れば知るほど“同好の士”が情報を惜しみなく提供してくださることを改めて感じています。今回のこの情報もそうした方から資料の提供を受けており、そうした資料があったからこそ電車に乗る楽しみがより増したと感じています。昨日と同じ景色だと思った場所が、今日は違って見えるような心境です。

※非「鉄」の方への解説…LRTとは『Light Rail Transit』の略で、文字通り軽量軌道交通のことを言い、車両だけでなく、運行管理、線路を含めた都市型の総合鉄道システムを指すことが多い。

2012年06月26日 22時24分

富山ライトレールの楽しみ方(2)。

富山ライトレールの前身、JR西日本『富山港線』の更に前、国鉄『富山港線』の時代にこの路線と言ってよいかどうかさておき、とにもかくにも乗っています。

昭和53年(1978年)9月27日の水曜日、夜の9時過ぎに仕事を終えた私は、一旦自宅に戻り、名古屋駅へ急ぎました。そして6月5日にUPした「昭和53年の富山地方鉄道」に書いたのと同じ「名古屋」発23:49の高山本線の急行707D「のりくら6号」の乗客となりました、そして「富山」には9月28日の4:36着。しばし時間をつぶして「富山」発5:30の富山港線の始発121Mに乗り5:46に「岩瀬浜」に着きました。

折り返しの上り始発電車は「岩瀬浜」発6:15。その時間を利用して乗車記念の入場券をちゃんと購入。でも“駅のスタンプ”は私の手元に残っておらず、スタンプがそもそも無かったのか、それとも私が押し忘れたのか、今は闇の中です。

それにしても昭和53年のというかこの前後は休みという休みはほぼ「鉄道の乗りつぶし」にあてており、今とは比べるべくもない“充実した”『鉄道の日々』を送っていました。自分でも呆れるほどです。当時のスケジュール帳を見ていて「若かった」としみじみと今、思っています。

 

等という感傷はさておき、所要時間20分前後で走っていた国鉄「富山港線」の途中駅数7が、富山ライトレールとなってその数は11に増えたものの、所要時間は22分~24分と国鉄時代に比して決して引けを取りません。それもLRT化の効果と言ってよいと私は思っています。

2012年06月25日 22時32分

富山ライトレールの楽しみ方(1)。

この5月1日、富山地方鉄道富山市内軌道線を乗る前に日本の『LRT』の代表と言われる「富山ライトレール」に乗っています。

この時の話しに暫くお付き合い頂きたいのですが、今回は私なりのこの鉄道の楽しみ方を書きます。もっとも単に乗るだけであれば既に平成18年(2006年)6月10日、「富山駅北」発6:35、「岩瀬浜」着6:57の電車で乗り終えていますので今更『何を』をということはあります。

では何を書こうとしているかと言えば、私にはどうも『LRT』という言葉が世間的に“誤解”されている向きもあると思っており、それを確かめるにはやはりちゃんとこの鉄道を見ずにいられなかったのです。と硬い感じの言い回しで恐縮ですが、私は鉄道に乗るのが『趣味』であり、 “都市交通の研究”をしている訳ではありません。その点は「乗り鉄的LRTの楽しみ方」として割り引いてお読み頂きたいと思います。

 

また今回は、私がドイツのミュンヘン市等の街角で撮影した写真(体験談)も使用します。海外の鉄道に興味の無い方も多いと思われますがご容赦ください。私はこと都市交通に関して切り取れば、ヨーロッパの『市民生活』における鉄道の価値(利便性)は高いとは感じており、それは私が「鉄」だからではない!と信じています。

それはさておき、今年も日本では廃線となった鉄道路線がありましたが、それだけではなく相変わらず青息吐息の鉄道(路線)は枚挙にいとまがないほどです。(決して大袈裟ではないはず)

なぜそんな状況にあるかであったり、何かしら今後の鉄道存続の道のヒントは海外にあったりするのではと思っており、私が私なりに乗ったり見かけた電車についての事も紹介する次第です。

 

2012年06月24日 21時10分

地下鉄桜通線「久屋大通」駅の展示と言えばこれ!

地下鉄桜通線「久屋大通」駅の展示と言えばこれを語らないわけにはいきません。

この写真の右端の下には『地下鉄桜通線・名城線・久屋大通駅 S=1:100』とあり、少なくとも縮尺は100分の1ということのようですが、見た感じはもっと小さいように思えました。それにしてもこのモデルはとても面白く、一番上の層(地上)には市バスが走り、その下には名城線のホームがあって、そこには乗客もちゃんといます。またB4には当然ながら桜通線が走っています。“B4”と書きましたが、これは『紙』の大きさではなく(「当たり前」と怒られそうです)、地下4階のことで、20.2メートルの深さにあることがちゃんと分かる様になっています。

中でも私の興味を引いたのは「名鉄瀬戸線」の場所。桜通線の電車も走っているのでその位置関係に納得で、ここでふとよく聞く“都市伝説”のパターンが蘇りました。

「地下鉄を作る時、その後に建設予定の『地下鉄』がある場合はその工事のための事前準備をしておく」ということです。ここからは憶測の域を出ず、少なくとも放送局のブログでこうしたことを書くのは相当に憚られるというか適切でないのは承知の上ですが、今回だけはお許しを…。

1)名城線建設時に、桜通線の線路・ホームなどにあたる部分をあらかじめ掘削していたのだろうか?

2)名鉄瀬戸線の「栄町」乗り入れは昭和53年(1978年)で、桜通線の開業は平成元年(1989年)です。瀬戸線の建設時には桜通線の工事の準備をしていたのでしょうか?

私には真偽のほどはわかりません。でもモデルを見ながらそんなことを考えるとちょっと楽しくなりませんか?

もっとも立体交差の駅ならどの駅でもこうしたモデルが成立するかと言えばそんなことはなく、ここには2つの鉄道事業者による3つの路線があるのがポイントでしょう。

もしも、、、名古屋駅の立体モデルがあったら見てみたい・・・。

 

2012年06月23日 23時21分

地下鉄桜通線「久屋大通」駅の楽しみ。

この4月23日から5月1日までシリーズで書いていました「地下鉄桜通線の壁画」(第一弾のつもりです)の続きと言いますか、昨日の「新瑞橋」の続きとも言えないでもないですが、今日は地下鉄桜通線「久屋大通」駅のホームの話しです。

この壺の存在に気付いたのは、少なくともこの駅が開業した平成元年ではありません。そもそも私が桜通線の「中村区役所」~「今池」間を乗車したのは平成3年9月4日で、地元でありながら乗るまでに随分時間が掛かっています。

更に言えば私がここ桜通線の「久屋大通」駅を利用するようになったのは、平成6年の「野並」開業後です。

話しを壺に戻しますが、ちゃんとその前に立ち、しっかりと見たのは多分、平成10年頃だったのではないでしょうか?その時は味わいのあるその気品ある雰囲気に、桜通線の開業を祝して、著名な陶芸家の方から寄贈を受けたのであろうと思いつつ近づいたのですが、その解説を読み、もっと奥の深い話しに驚いた記憶があります。

説明版には「この志野花器は、地下鉄桜通線の建設中に桜通り(呉服町)の地下20m付近で出土した粘土を用いて、山口重信氏(東海伝統工芸会会員)が制作し、桜通線の開通記念として本市に寄贈されたものです。 平成元年9月」(全文です)とあり、ただの“開通記念”(…表現が難しいです)で置かれたものではなく、ちゃんと桜通線と縁があり、このホームにある意味があると私は思っています。とはいうものの、この志野花器の前に立ったのは10年以上ぶりで、この写真を撮影するためでした。

参考までに、『呉服町』というのはこの駅の直ぐ西側の場所で、そもそも名古屋の“土”でこんなに素晴らしい陶器ができるということに感動と驚きを覚えたことをここに書かせていただきます。

2012年06月22日 20時54分

地下鉄「新瑞橋」駅の展示の楽しみ方。

いきなり本題ですが、「新瑞橋」駅の展示では『色灯式信号機』と『灯列式信号機』が自由に楽しめます。私は最初、子供向けかと思いましたが、決してそうとは言い切れず侮れません。例えば『色灯式信号機』の各色のボタン(「進行」「注意」「停止」)を押すと下の写真の様に、ちゃんとそれぞれに対応した“色”灯が表示されます。

この場所で、 大の大人が一人で試すには少々どころか相当に勇気が要ります。というほどのことはなく、ここは新瑞橋駅にあってもそれほど人通りは多くはなく、一人でゴソゴソしていても単に展示物を見学しているのであろうレベルで、あまり気にされないと思われます。私も堂々と“体験”していました。

1時間でも2時間でも楽しめるというほど大規模な展示ではありませんし、車両や模型があるわけではなく、とても“地味”な存在と言えますが、もっと多くの方に知ってほしい場所の一つです。(とは言うものの、私がちゃんと見たのがこの4月が初めてなので大きなことは言えませんが…)

2012年06月21日 22時26分

地下鉄「新瑞橋」駅の展示。

展示と言えば、名古屋市の地下鉄では「新瑞橋」駅ですね。

ご存知の方も多いと思いますが、それは 改札外のコンコースで、丁度名城線のホームの上にあります。

御覧の通りの小さなスペースに、パンタグラフ、信号機、車輪、連結器等が一通り賑々しく(にぎにぎしく)展示されています。

連結器はこんな感じですが、さてこれは何でしょう?

まあ見る人が見れば一目瞭然というところですが、左右の縦の板状の部分はパンタグラフの スライダー部分で、真ん中のフックがかかっているのは、パンタグラフが閉じた状態であるのを示しています。そのフックの奥の鎖は恐らく、万が一にでもパンタグラフが上がらないようにしているものと思われます。それにしてもこのようにパンタグラフをこれほどまでに間近で見られる場所はそうはないはずで、とはいうものの私がここを見に行ったのはつい最近で、4月23日から暫くUPしていた『地下鉄桜通線の壁画』シリーズの続きを撮影に行ったついで(撮影日…4月30日)でした。昨日の「新大阪」駅よりももっと使う頻度が高いというか、通勤で毎日利用している駅にも関わらずというか、毎日使っているからこそちゃんと見たことがないといえます。

ただ行ってみて分かったのは、思いのほか“面白い”ということでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!