2012年06月09日 21時54分
本日の写真は、昭和53年9月11日の富山地方鉄道射水(いみず)線の終点、「新港東口」駅です。「新富山」発15:59、「新港東口」着16:30でやってきました。
こう言ってしまっては元も子もありませんが、この風景を今、改めて見てみれば昭和の時代の赤字私鉄ローカル線の終点の典型的な感じです。
ところで路面からの乗降も可能なステップを持つ「5013」+「5038」の2両編成の電車を見ていると、私の頭の中ではアメリカに昔あった“インターアーバン”(路面電車による都市間鉄道)を思い描きます。
このデ5000形は、そもそもこの射水線や笹津線(昭和50年に廃止)から富山市内軌道線への乗り入れ用に作られたものですから、このスタイルは当然の帰結と言えます。
話しを戻して、この射水線ですが、その廃線跡の一部はバス専用道となっていました。そのバス専用道の通行は今年の3月末で取り止めとなり、バスマニアの方にとっての悲報となりましたが、私もそのバス路線の存在を話しには聞いていたので、一度、乗ってみたいとは思っていたものの結局、叶いませんでした。
ところで、私の「鉄友」から富山県の射水市新湊博物館で『いみずの鉄道-北陸本線と射水線-』という企画展が、平成24年4月20日(金)~6月24日(日)の会期で開かれていると、全くの偶然だったのですが聞きました。彼はその展示に行っており、実はその“特別解説書”を一部、参考にしてこのブログを書いています。私が富山に行った5月1日には既に開催されていたものの、残念ながらこの企画展の開催を知らず、行くことは出来ませんでした
そんなことも合って反省の念を込めて紹介しています。
詳しくは射水市新湊博物館のHPをご覧ください。
ところで都市交通研究家の方が、射水線で行われていた「鉄道」~「軌道」の乗り入れで郊外から都心部への直通運転は、ヨーロッパやアメリカ等海外の「LRTと共通したところがある」と指摘されておられますが、正に同感です。
富山地方鉄道射水線の存在は、その時代が早すぎたのかもしれません。等と言えるほど事(存続)が簡単でなかったことは十分に承知しています・・・。