2012年06月10日 20時29分

昭和53年の加越能鉄道(1)。

写真は、昭和53年9月11日の加越能鉄道・新湊港線「越ノ潟」駅です。今の万葉線株式会社新湊港線「越ノ潟」駅ですが、『新湊港線』(「越ノ潟」~「六渡寺」)というより、『高岡軌道線』(「六渡寺」~「高岡駅前」)を合わせて“万葉線”と言った方が、通りが良いですね。

 

ところで今回の文章の冒頭で“駅”を使っているのは正にここが鉄道線の“駅”であるからで、決して軌道線の“停留所”ではないからです。

“万葉線”の『新湊港線』区間が“鉄道線”で、『高岡軌道線』区間が“軌道線”であるということは、利用者にとっては別段何の不便も無く、そもそもその直通運転は昭和26年(1951年)からの話しです。

 

ところで先回の射水線「新港東口」からの足取りですが、駅を出て直ぐのところにあった『富山県営渡船』堀岡発着場発16:50のフェリー(無料!)に乗り、越ノ潟発着場には16:55に到着。そして「越ノ潟」発16:55発の「新高岡」行きに乗り込みました。

今の「高岡駅前」は当時、「新高岡」と呼ばれており、それは7076号の方向幕からも明らかですが、Wikipediaによれば私の乗車した翌年(昭和54年)に改称され、更に言えば昭和55年に『新湊港線』『高岡軌道線』を合わせて『万葉線』の愛称となっています。(万葉線HPも参照しています)

 

更に付け加えると、昭和26年当時は「地鉄高岡」(今の「高岡駅前」)から“万葉線”経由“射水線”経由で富山地方鉄道の軌道線「西町」まで電車は直通していました。

これは富山新港建設により、昭和41年に「新港東口」~「越ノ潟」間の線路が分断されるまでは1本の線路で繋がっていたことによるもので、このあたりの変遷は他に多数紹介されているのでここまでにします。

 

でももう一点だけ。今回、射水市新湊博物館の企画展に行かれた「鉄友」の方からお借りした特別解説書に、昭和41年に分断された「新港東口」~「越ノ潟」の射水線の橋脚の写真が載っていました。その方も『まさか!』と言っておられましたが同感です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!