2012年06月11日 19時29分

昭和53年の加越能鉄道(2)。

「越ノ潟」を17:00発に乗車した私は車庫のある「米島口」に17:27着。庫内で写真を3枚(たった!です)撮影し、17:42に「米島口」を出て「新高岡」には18:00に到着しました。

写真で、真ん中の線路と言うか車庫の直ぐ右側にいるのは今は無きデ7000形「7051号」で、その右側は「7053号」。その「7053号」の後ろにもう一両デ7000形らしき電車が写っています。

一番右端に停まっているのがスノープラウを付けた5022号で、「高岡」~「富山」直通時代の生き残りです。

つい今年まで現役だったのは信じ難くとも嬉しい状況でしたが、新しい除雪車が登場したため、その活躍を見ることはもうありません。

もっとも新しい除雪車は、とてもユニークな車両なので稼働し始めると話題を集めそうです。

 

少々懐かしい話しにお付き合いいただきありがとうございました。

 

(補足説明)

「高岡」~「富山」市内の直通運転ですが、その期間は昭和26年~昭和36年の間で、その頃は『西町』まで乗り入れています。その後、「富山新港」建設による分断を経て、昭和52年から廃止された昭和55年の間の射水線は『富山駅前』まで乗り入れていました。

 

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!