2012年06月13日 22時01分
北海道の「富内線」(とみうちせん)と言っても聞いたことが無いというか、その名の線があったことを知っている方が圧倒的に少数派ではないでしょうか?
私のイメージでは昨日の瀬棚線よりもさらに一回り地味な感じです。で本日の静止画ですが、その「富内線」です。
「富内線」は、室蘭本線の「苫小牧」から日高本線に乗り、4駅目の「鵡川」(むかわ)を起点に、沙流川に沿って日高山脈を分けいり「日高町」(ひだかちょう)までの82.5キロという「名古屋」から「米原」や「中津川」よりも長い距離を結んでいました。廃止されたのは昭和61年(1986年)で比較的最近と言っては語弊がありますが、これはあくまでも私の感想と言うことで…。
その「富内線」に私が乗車したのは昭和52年の2月17日です。
「日高町」の駅舎の向こう側にチラッと写っているのが、私の乗車してきた4937Dです。「苫小牧」を定刻から13分遅れ(手元の時計で)の11:27に出発しましたが、「日高町」には定刻の14:02に到着しました。
昭和52年当時、富内線の列車はその多くが日高本線の列車に併結されて「苫小牧」に直通していました。旅客の動向に合わせた運用とは言えますが、気動車らしさを生かしていたと今も思っています。
ところで…。この後、このまま折り返そうと思うと「日高町」15:23発で「苫小牧」着は18:19です。そこでというのも何ですが、そのまま日高山脈を越え、根室本線の「金山」を目指すことにしました。もともと「日高町」から根室本線の「金山」までは延伸計画もあったので、そんなルートを辿るのもよいかと思ったのもその選択理由の一つです。
今日は長文になっていましたが、「日高山脈」を越えて“十勝”に抜ける『日勝峠』は冬でも通行可能な幹線道路で、今では信じられない事ですが、私はヒッチハイクで「金山」より更に遠い「富良野」まで抜けています。
そして「富良野」発16:50の富良野線636Dに乗り「旭川」着18:01の記録が私の手元に残っています。
(余談)
富内線の途中に「穂別」という駅がありました。その界隈は今は「ほべつメロン」の産地として知られていますが、そのメロン農家を18年前に訪ね、その後そのまま「日高町」を通りすぎたことがあります。季節の違いはありますが、感慨深いものがありました。