2012年06月26日 22時24分

富山ライトレールの楽しみ方(2)。

富山ライトレールの前身、JR西日本『富山港線』の更に前、国鉄『富山港線』の時代にこの路線と言ってよいかどうかさておき、とにもかくにも乗っています。

昭和53年(1978年)9月27日の水曜日、夜の9時過ぎに仕事を終えた私は、一旦自宅に戻り、名古屋駅へ急ぎました。そして6月5日にUPした「昭和53年の富山地方鉄道」に書いたのと同じ「名古屋」発23:49の高山本線の急行707D「のりくら6号」の乗客となりました、そして「富山」には9月28日の4:36着。しばし時間をつぶして「富山」発5:30の富山港線の始発121Mに乗り5:46に「岩瀬浜」に着きました。

折り返しの上り始発電車は「岩瀬浜」発6:15。その時間を利用して乗車記念の入場券をちゃんと購入。でも“駅のスタンプ”は私の手元に残っておらず、スタンプがそもそも無かったのか、それとも私が押し忘れたのか、今は闇の中です。

それにしても昭和53年のというかこの前後は休みという休みはほぼ「鉄道の乗りつぶし」にあてており、今とは比べるべくもない“充実した”『鉄道の日々』を送っていました。自分でも呆れるほどです。当時のスケジュール帳を見ていて「若かった」としみじみと今、思っています。

 

等という感傷はさておき、所要時間20分前後で走っていた国鉄「富山港線」の途中駅数7が、富山ライトレールとなってその数は11に増えたものの、所要時間は22分~24分と国鉄時代に比して決して引けを取りません。それもLRT化の効果と言ってよいと私は思っています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!