2012年09月01日 21時46分
「西鹿島」多分着発13:33。ここは遠州鉄道とのジャンクションです。どのタイミングで「シャッターを押そう」等と考えるまでもなく、取り敢えず1枚。というか今回の遠州鉄道の写真はこれだけです。天浜線の「西鹿島」駅からは駅の構造上、『遠州鉄道』側の風景は見えませんでした。それ故かなり必死だった結果がこの写真です。
“国鉄”二俣線に最初に乗車したのは、昭和51年(1976年)6月27日で、区間は「西鹿島」~「新所原」間です。この日、東京から一時帰宅する途中で遠州鉄道全線「新浜松」~「西鹿島」間を乗っており、その終点「西鹿島」から二俣線に乗ったのです。そして二俣線の残りの区間「西鹿島」~「掛川」間は結局、昭和54年9月16日に乗りました。この時の遠州鉄道の乗車は相当に思いつきだったようで、実は短期間の帰省にはカメラを持っておらず、今現在、写真が見つかっていないという状況ではなく、そもそも写真を撮った覚えがありません。その代わり車内補充券を購入しています。
注目は「新浜松」の下にある「馬込」「遠鉄浜松」の駅名。遠州鉄道は昭和60年に浜松市の中心部の路線を高架化されており、その時に無くなった駅名です。私はその後、昭和61年(1986年)10月5日に「新浜松」~「曳馬」間を乗り直しています。私の「乗りつぶし」ルールでは、通常“線路の付け替え”による乗り直しはしないのですが、流石にこの区間は『新線扱い』で乗りに行きました。
因みにと言うほどでもないのですが、遠州鉄道に最初に乗った昭和51年当時は、“鉄道全線完乗”等と言う野望はまだ持っていませんでした。だからカメラを持ち歩いていなかったとも言えます。
(注)
「馬込」駅は、始発駅を出た次の駅がスイッチバックというのが珍しく、当時、毎度新幹線で「東京」~「名古屋」を往復する経済的な余裕が無かった私は、在来線の車窓からその風景をいつも興味深く見ていました。今思うと写真が無いのが残念です。