2012年09月03日 20時32分

市営交通9〇周年(2)。

名古屋市交通局HPの「市営交通を楽しむ」→「市営交通資料センター」→「市営交通歴史探訪」に“花電車”の話しが出ています。そこには昭和48年(1973年)に名古屋市電最後の“花電車”が走ったとありました。昭和49年3月の市電全廃を前にした年でしたが、私は昭和48年に大学に入学しており、大学1年生がその時期に名古屋に帰るべくもなく、残念ながら最後の“花電車”を見ていません。

ところで“花電車”は昼間にも運転されていました。その写真がこれです。半逆光であまり褒められたものではありませんが、当時の私の感覚ではこれでも“良し”としていました。もっともそれは今もあまり変わりませんが…。ただ道路を走っている電車に車が被らないのは『運』に左右されるところもあり、その点だけは“良し”でしょう。

一方、日が暮れればこのようになるのですが、人間の目では街並みも見えているのですが、ノーフラッシュの写真では、と言うよりは私にはこれが限界。当時、ストロボなどいうものは私にはなく、一回ずつ球を取り替えるアマチュア用の「フラッシュ」は持っていたものの、その光量では街並みを写すのはとても無理だったでしょう。一方、三脚は持っておらず長時間露出は夢もまた夢であり、もっともあったとしてもどれ位の露光時間にするかなど経験的に知ることはなかったでしょう。何せフィルムそのものが高校生~浪人生が気楽に手を出せるものではありませんでした。と言っても当時でも『撮り鉄』の友人は「全てを犠牲にして」一枚の写真にかけていました。要はそこまで私が熱心ではなかったということでしょう。

 

それにしてもデジタルカメラの時代となり、撮影できる枚数もさることながら、少ない光量の中でも被写体を浮かび上がらせる時代が到来したのは驚嘆に値します。

 

最後に報告ですが、このブログの連載が1500回を超えました。いつ報告しようかとチャンスを窺っていた(大袈裟ですが本音です)のですが、私のプロフィールにあるように「路面電車」が好きになったのは間違いなく高校通学で毎日乗っていた名古屋市電のおかげだと思っており、このタイミングで皆様に伝えることにしました。

ブログを始めたきっかけは制作番組「芸能界鉄道研究会 鉄研」ですが、ここまで続けてこられたのは読んでくださる皆様のおかげです。ありがとうございました。

  1. 子鉄の母 より:

    1500回超えって簡単にはできないことだと思います。
    お疲れ様です。

    今後も、期待しております。

    花電車・・・私の幼いころですが記憶に残っていません。

    名古屋にとっての貴重な記録になっていくと思います。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!