2012年09月06日 21時59分
一昨日(9月4日)の中日新聞朝刊17面(愛知総合)に「SLと京都市電 雄姿再び」の見出しが躍り、明治村での運転が再開されることが報じられていました。
一昨年(2010年)の12月に無期運休となる直前、地元だということもあり、さて乗りに行くかと思案したのですが結局諦めました。その後、正直いささか後悔し、乗りに行けばよかったと何度も思いました。無くなって初めて気づくその『価値』と言ったところでしょうか…。
この京都市電は昭和45年(1070年)4月29日に明治村に出かけた際に撮影したものです。
同じ日に撮影したもう一枚。この時はまだ「12号」は静態展示の状態で、明治村で再び命を吹き込まれ、動き始めたのはその4年後でした。明治村の一角に置かれていた時、別段走っていなくともそれだけでその存在は十分に“明治”であったと言えます。という感想は今、写真を見て思っていることです。
会社に入り、明治村には少なくとも5~6回、恐らく10回は取材で出かけた記憶がありますが、ここ10年以上出かけていません。それにしても取材で京都市電も蒸気機関車の列車も乗っています。ところが取材であるがゆえか一枚の写真も残っていません。とはいうもののカメラを持って下見やロケに出かけたこともあったので、明治村で活躍する京都市電と蒸気機関車の写真を撮影しなかったのは運命の悪戯かもしれません。
でもそれが遂に復活運転!!動態保存の鉄道は日本国内で各所にあるものの、明治村の鉄道の価値の高さは改めて書くまでもないでしょう。一方、これまでの自分を反省し、運転再開後は直ぐに・・・と書きたいところですが、油断しているわけではないものの、予想される初期の大ブームが落ち着いたら出かけようと思っています。
昭和45年の『1号』のナンバープレートはなぜか逆様でした。いつまでひっくり返っていたのでしょう?