2012年09月18日 20時56分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(22)。

「転車台・鉄道歴史館 見学ツアー」を終えた帰りがけに、案内の係りの方から古レールで面白いものがホームにあると説明がありました。その場所等を突っ込んで聞いたのは、7月28日13:30~のツアーでは私だけでしたが、最近は古レールに興味を持つ方が多いのかその場所に案内するのもしばしばとのことでした。

その一つがこのホーム屋根の柱になっているこの古レール。「CARNEGIE」の文字がはっきり読み取れます。1911年のアメリカ・カーネギー製鋼製とのことで、1911年と言うのは明治44年ですからその古さが筋金入りだということがわかります。この他にも八幡製鉄所製もあり、“見学ツアー”を終えて帰りの列車を待つ間の短い時間を過ごすにはうってつけの存在です。なおその場所については、自分で探すよりも聞いた方が早いと思います。やはり「自力で探したい」という方は時間に余裕をもってチャレンジしてください。運が良ければ直ぐに見つけられますが、相当な根気が必要です。

それとは別に、、、

「天竜二俣」駅の側線に2両の塗装途中の車両を発見しました。説明によればこの「20系寝台車」と「キハ20形気動車」はボランティアの手で修復中とのことで、この写真をよく見れば、寝台車の外装の補修をされている方の姿が見えます。あまり深く話しを聞いたのではないのですが、将来的には恐らく公開されるのではないかと思われます。

2012年09月17日 19時30分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(21)。

「機関車扇形車庫」の隣に『鉄道歴史館』があります。ここは「転車台・鉄道歴史館 見学ツアー」に参加すれば見学できます。

中には国鉄二俣線時代に実際に使われた様々な“道具”類が展示されています。

ここを訪れたのが7月28日ですから既に1か月以上と言うか間もなく2か月が経とうとしていますが、まだ十分記憶の中にあり、それだけインパクトがあったと言えます。腕木式信号機やタブレットもさることながら「新所原」駅の駅名標や「遠江森」駅の運賃表もありました。この運賃表は実際に見ていただきたいので写真はUPしないという不親切さはお許しいただきたいのですが、その面白さは「豊橋」駅から名鉄名古屋本線の運賃も掲示されており、そこには当然と言えば当然なのですが、「新名古屋」「新岐阜」の駅名もあり、国鉄「名古屋」「岐阜」と並んでいるのが何か不思議な感じでした。これもやはり時代なのでしょう。

その他にも一般的な興味はさておくのでしょうが文部科学大臣名による「登録有形文化財登録証」もあり、“成程”と思いました。見学にそれほど時間がかかる施設ではありませんが、『大人』の“鉄”にとって飽きることはありませんでした。

2012年09月16日 23時08分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(20)。

登録有形文化財「機関車扇形車庫」です。

※全景は今シリーズ(17)をご参照ください。

パッと目につくのが木製の観音開きの扉で、何とも『昭和』です。遠目ではさほどでもなかったのですが、近づけば近づくほど…、等と書くほど私は「扇形庫」を知っているわけではなく、真面に見たのは北海道小樽市にある『小樽市総合博物館』の扇形庫(国の重要文化財「旧手宮鉄道施設 機関車庫一号、三号」)位です。

他の扇形庫も行ったことはあるのですが、そもそもこのブログを始めるまではあまり観察することはありませんでした。またこの写真のように車庫の中を覗くことはあっても写真を撮影することはあまりありませんでした。もっともブログだけが理由ではなく、もう一つNPO法人「名古屋レール・アーカイブス」の会員になったこともあります。アーカイブとしての映像を数多く見るようになり、「撮り鉄」写真だけではなく日常の光景というか何気ない風景もあって始めてアーカイブという気がしています。これはテレビのアーカイブも同じです。

2012年09月15日 21時18分

白井昭氏の講演会。

NPO法人「名古屋レール・アーカイブス」では本日、名鉄パノラマカーの生みの親で、大井川鐵道での蒸気機関車の動態保存と井川線アプト式新線を手掛けたことで知られる「白井昭」氏(「名古屋レール・アーカイブス」初代理事長)の講演会『昔の鉄道を語る会』を開催しました。

御年85歳とのことですが、よく通る声で『昔=昭和』と言っても58歳の私が生まれる前の話しも満載で 、またデジタイズした貴重な写真の数々も披露され、14:00から16:45頃まで熱弁を振るわれました。

写真は「いもむし」の愛称で親しまれた3400系で、3両編成ということはまず間違いなく私は生まれていません。さて3400系に限らずどんな話しがされたかというと、名鉄線を走った蒸気機関車牽引の貨物列車を皮切りに、白井氏の専門分野である鉄道技術についてが中心で、モーター、台車、集電装置であったりだったのですが、名鉄に限らず名古屋市電の話しも興味を惹きました。白井さんは笑いながらですが「生きていたら来年中にも『鉄道技術史』を纏めたいと話されており、その中で今日の話しも織り込まれると期待が高まりました。

ところで白井さんは機会がある度に「鉄道は鉄道だけを研究するのではなく、時代の背景を知ることが必要であり、時代があるからその時代の鉄道がある」と言われています。そして「日本は日本であり続けたのではなく、終戦後アメリカ領だった(オキュパイドジャパン)ことを知ることが必要であり、知らないと落とし穴になる」とも言われています。今日も時代背景の興味深い話しが要所要所に登場し、あっという間に時間が過ぎていきました。

ちょっとおまけですが、今日の会場は「名古屋市市政資料館」です。重厚な感じをお感じ頂けると思いますが、それもそのはず国の『重要文化財』です。

今日もこの雰囲気の良さもあって「結婚式」が行われていました。(1年間にそれなりの件数があると聞いています)

それだけではなく、今日は見かけませんでしたがコスプレを楽しむ若い女性達が互いを撮影し合っているのを1度ならず見ていますし、モデルを撮影するカメラマンを見ることも珍しいことではありません。またドラマの撮影でも使われています。

大正時代に作られ昭和54年まで現役の裁判所だったこの建物は、「昔の鉄道」の話しを聞くに、正にこれ以上ふさわしい場所は他にないと思いました。

*地下鉄「市役所」駅からもここまでくる間に、瀬戸電名物だった名古屋城の「お堀」の廃線跡も楽しめます。

2012年09月14日 21時44分

新瑞橋駅のレール交換。

毎日見慣れた風景というより、慣れ過ぎていてそもそも能動的に見ることのないモノがあります。例えば、それが線路だったりします。写真は名古屋市営地下鉄名城線「新瑞橋」駅の「八事」・「本山」方面の線路で9月10日(月)に撮影しました。「このレールはいつ交換されるのだろう?」とこれを見て思ったのですが、地上を走る鉄道なら否応なくレールは目に入るものの地下鉄の場合、私だけかもしくは並ばなくともゆったり乗れる時間に通勤しているせいかもしれませんが、いつもなら線路を見下ろせる場所で電車を待つことは殆どなく、かつ電車が入線してから移動するのでレールを見下ろすことはあまりありません。

ということで交換用のレールがいつからここに置かれていたかは私にはわかりません。もっと情けないことに、交換用のレールを見ておきながら、先頭車もしくは最後尾の電車に乗ってこれがどこまで続いているかを確認することもしていません。あくまでも通勤時の一コマであって、いつものドアから乗っていつものドアから降りるという何も変わらない日常の日々が続いていました。

もう一つ言えば、「新瑞橋」駅の「金山」方面の線路は、この状況にあっても確認していません。

そして今日(9月14日)、「新瑞橋」駅で「そういえば」と思ってレールを確認したらすっかり取り換えられていました。

そしてこれまで大勢の人を運んでいたレールのボルトで固定されていた部分が確認できたとき、抒情的に書けば「ご苦労さんと声をかけました」となるのでしょうが、今回の私はそうはならず、「成程、こんな風になっているのだ」と構造的な興味を満たした次第です。

ところで今回は名城線だったからそれでも気づいたのですが、桜通線のようなホーム柵のある駅でわざわざ線路を覗きこみことをしません。きっと人知れず交換工事は行われているのでしょう。

 

2012年09月13日 20時16分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(19)。

ふと見上げれば夏の空に、腕木式信号機が…。

この信号機は転車台に寄り添うように展示されており、“実用”品ではないものの結構気になる存在です。展示されている場所も良いですね。

腕木式信号機に並んで、『C58 200』のナンバープレート付きの煙室扉と動輪が展示されています。煙室扉は間違いなく『200』ですが、動輪が『200』かどうかは刻印を見つけられず、パッと見では私には分かりませんでしたが、まあこの組み合わせで展示されていれば『200』なのでしょう…と素直に受け止めています。

見学ツアーの所要時間は1回45分ですので、ここであまり時間を取ることは出来ませんが、それでもこの写真を撮影するくらいの余裕はありました。

 

(お詫び)

9月8日にUPした「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(14)の中で、見学ツアーの開催日が「毎週金・土・日・月曜日+祝日」で開催時間は10:50~、13:50~と書きましたが、「天竜浜名湖鉄道」のHPで確認したところ、今は毎日開催で、火・水・木は13:50~の1回開催です。見学ツアー情報は、私が随分前にHPをプリントアウトしており、それをすっかり今もそうだと思い込んでおり、新しい情報を確認していませんでした。申し訳ありませんでした。

2012年09月12日 20時38分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(18)。

さて今回は私の「転車台萌え」のパーツを紹介しましょう。等と勿体をつけるほどの事ではないのですが、2つの線路が1つになり、車両が行き来できるようになる部分です。(リベットも結構GOODですが…)

線路が回転方向にずれが起きないように“本線”と青色の短いブロックの間の「かすがい」のような存在が、地味ながら「私がいなければ転車台は役に立たない」と主張しているようで結構好きです。最初、形状的には「楔(くさび)」のイメージもあったのですが、形よりは役割を考え、「かすがい」と表現してみました。

次に転車台を支え、スムースに回転されるレールと車輪の部分です。踏面が平らな車輪は、まるでケーブルカーの対の一方のようですが、それはそれとしてこれだけで「鉄」心を擽(くすぐ)ります。

 

転車台のこの“橋”の部分の銘板には旧字体の『鉄道省』の文字、『横河橋梁製作所』『昭和十二年』の文字が見えます。ただ資料にはこの転車台が建設されたのは昭和15年とありましたが、“橋”の部分が先に作られ、遅れて本体も含めて完成したということでしょうか?この辺りは推測です。ご容赦ください。

 

文化財としても登録名は「天竜浜名湖鉄道機関車転車台」ですが、今、機関車がこの場を通ることはありません。(…ですよね。)

2012年09月11日 20時43分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(17)。

『転車台・鉄道歴史館 見学ツアー』と銘うっているだけあり、登録有形文化財「転車台」の見学は参加する第一の動機!です。

ということで早速、我々ツアー参加者の到着を待って“回転ショー”が始まりました。“ショー”というのはいささか失礼な感が無いわけではありませんが、まあ皆様にご理解頂ける範囲と思っています。「転車台」が周回するのを何度か見ていますが、何度見ても心がウキウキします。楽しいです。それにしても北海道から九州まで、全国には意外なほど転車台がありますが、ツアーとはいえ、時間のロスなくその動くところを見られる場所はそれほど多くはありません。

まあ蒸気機関車の方が良いという声が聞こえてきそうですが、私は文化財である『転車台』に価値を感じています。

こうしてTH2108は扇形車庫の右側の線に入り、車体正面の部分が手作業で水洗いされていました

 

2012年09月10日 19時57分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(16)。

高架貯水槽を背景に、中通路の両側に木造の建物が並んでいます。映画のセットでもこれほど美しい情緒を醸し出すことは難しいでしょう。と書いていて気付きました。本物だから『美しさ』を感じているのですね。(産業遺産的な)登録有形文化財という先入観が、私自身ややもすると「情緒」とは離れた存在に思いがちです。でも、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」ですから『心』に沁みて当たり前ですね。

運転区の浴場は内部が公開されています。今、現役ではないこともあってこうして見られるのですが、昭和15年頃の建設とのことですが、私が子供の頃、銭湯でこんな感じの浴槽&洗い場を見た記憶があります。

もっとも浴槽より展示されているヘッドマークの方につい目が行ってしまいます。「祝 開業」は、昭和62年(1987年)の時のものでしょう。それも含め恐らく20枚を超える枚数があると思われました。

2012年09月09日 23時20分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(15)。

「俺が乗り鉄だった頃、友達は撮り鉄だった。先輩は模型鉄で、後輩は収集鉄だった。わかるかな~ わかんねぇだろうなぁ~」。『松鶴家千とせ』さんのギャグをもじってみようと思いつつこの程度しか思いつきませんでした。

そもそも「わかるかな~ わかんねぇだろうなぁ~」で一世を風靡した漫談家のことを知っているのは一定の世代以上でしょう。私はそのシュールさが好きでした。(失礼な書き方をしましたが、『松鶴家千とせ』さんは現役で活躍されています)

何でこんなことを書いているかと言えば元はと言えば『天浜線が二俣線だったころ、天竜二俣は遠江二俣だった。運転区は機関区で、DCはSLだった』てな感じはどうかな?と思いつつ、ギャグになっていないということに当然のように帰結し、冒頭の部分を考ええみたのですが、結局恥の上塗りでした。

さてこの高架貯水槽も文化財です。ところで素朴な疑問です。天竜浜名湖鉄道では「高架貯水槽」として登録されていますが、同様のものが若桜鉄道の若桜駅では「給水塔」として登録されています。その違いは何?

ところでこの給水塔は、いやっ高架貯水槽は・・・、私には“給水塔”の方が馴染んでいるのですが、ここは正しく登録名で表記します。さてさてこうして下から見るとまるで巨大ロボットにも見え、このアングルで見上げてみたとき「本格科学冒険漫画20世紀少年」(作者;浦沢直樹)に出てくる正に東京を破壊しつくすあの“ロボット”を思い浮かべていました。ビッグコミックスピリッツか単行本を読まれた方、もしくは映画を見た方には「わかるかな~」(わかってもらえるかなぁ~)、読んでいても見ていても「わっかんねぇだろうなぁ~」(わかてもらえないだろうなぁ~)という落ちが先にあった今回の話しでした。すいません。何を書いているのか怪しくなってきました。

ようするに『足』の部分が面白いと言いたかったのです。参考までにこの貯水槽は“現役”だそうです。『車両洗車装置』にも水を送っているそうです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!