2012年11月14日 21時49分

平成24年の札沼線=学園都市線(7)「新十津川」の現在そして40年前。

12:37の定時に「石狩当別」発「新十津川」行きは終点に到着。

思い起こせば昭和49年2月12日、627D「札幌」発13:08(時刻表での時間、実際は2分遅れの13:10発)に乗車し、ここ「新十津川」に着いたのは15:34の定時でした。この時の北海道での足取りは決して『乗り鉄』だったわけではなく、稚内で2泊して宗谷岬で凍えたのをはじめ、襟裳岬、納沙布岬といった厳冬の岬巡りや別海町・尾岱沼であったり、オホーツク海の流氷を見に行ったりしており、何故に1日の「新十津川」発着本数下り6本、上り5本と言う閑散路線で、しかも枝線に乗車したかの動機は不明です。参考までに、昭和49年の「札沼線」の「札幌」駅の発着本数は何と11往復!平成24年11月の今の本数とは大違いで、昭和の状況が信じられないか、それとも平成の今の状況が信じられないかは生まれ育った時代によって変わりそうです。私は、平成の状況に隔世の感ありです。

ところで平成の「新十津川」で下車したのは10数名。ただどうみても“乗りに来た”方が殆どで、それも「鉄」の方だけということではなく、『手軽な秘境』を楽しんでいた感じの方もいらっしゃいました。

この後、私はこの駅で折り返すことはなく、タクシーを呼んで函館本線「滝川」駅に抜けたのですが、その運転手さんによればゴールデンウィークや夏休みにはほぼ「観光客」だそうですが結構乗客がいるとのことでした。もっとも大半の方はそのまま折り返しており、バス・タクシー・徒歩の選択は別にして、「滝川」方面に向かう人はそれほど多くはないと聞きました。これは一寸意外でしたが、参考までに昭和49年の私は駅にほど近い「橋本町」バス停から“国鉄バス”で「滝川」駅に向かっています。

※平成の「新十津川」駅舎内には「タクシー会社」の電話番号が掲示されています。呼んでから5分ほどで来てくれました。

なお、昭和49年の「新十津川」駅は有人駅で、当然のことながら入場券がありました。

  1. ハンドル より:

    僕が新十津川駅を訪れたのは、2000年1月1日です。
    西暦2000年問題で、コンピュータが誤作動するかもしれないと、騒がれたときです。

    滝川へ抜ける方は少ないのですか? ちょっと意外な気がします。

    僕も新十津川駅までたどり着いた後は、滝川駅へ移動しました。

     バスで移動する予定だったのですが、現地に来て、1月1日運休ということを知りました。
     友人が「正月の北海道だと、バスはまともに動いてないぞ!」という忠告を思い出しました。

     近所で滝川に用事があるという方がいらっしゃったので、タクシーに同乗させてもらった思い出があります。

  2. 稲見駅長 より:

    ハンドルさん、毎度ご乗車ありがとうございます。「鉄」の方は「滝川」に向かう人の方が多いと思うのですが、全体の傾向かもしれません。この日も、半分以上の方は『折り返し』ていました。片道2時間半程度というのが手頃な時間なのかもしれませんし、途中の秘境的な雰囲気もあったりでそこがいいのかもしれません。重複しますが「鉄」の方は札沼線では往復乗車派は少ないとハンドルさん同様、私も思っています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!