2012年11月10日 20時47分

平成24年の札沼線=学園都市線(4)「石狩当別」で乗り換え。

札沼線(学園都市線)の553Dは、10:41に「石狩当別」に到着。かくして札沼線札幌口の“気動車”名残り乗車は終了しました。(ホーム右側に停車中の列車)

恐らくと書くまでもなく、この駅は38年前とは似ても似つかぬ、というより全く異なるといっても過言ではない存在でしょう。38年前のこの駅の記憶は全くないのですが、何故か自信があります。

停車中の列車こそ気動車ですが、架線が張られ如何にも電化路線(当然ですが…)であり、何となく東京か大阪郊外の駅(しかも平成に入って改修された…)に降り立った気分になりました。この表現はあくまでも比喩であり、具体的に思いついた駅があったわけではありません。

駅の外に出てみれば、、、大都市近郊の雰囲気がバリバリに出ており、これだけでも札沼線の発展ぶりが窺えました

駅の外景を撮影しホームに戻ったところで、『竹ぼうき』を見つけました。冬の降雪時、ホームに降り積もる雪を片付けるために置かれているでしょうが、こうした『竹ぼうき』を名古屋の駅のホームで見かけた記憶はなく、北海道(雪国)らしい風景に「ホッとしている」自分がいました。(『竹ぼうき』の用途は私の思い込みかもしれません。違ってはいないと思っていますが…)

 

2012年11月09日 21時29分

平成24年の札沼線=学園都市線(3)542D折り返し553D。

「北海道医療大学」を8:53に出発した「札幌」行き542Dの5両編成は9:45の定時に「札幌」着。堂々たる5連に相応しい数の乗客が次々に下車していきました。架線の下をひたすら走ってきた気動車はここで前2両が切り離し。

この写真は到着直後の9:46の撮影ですので、折り返し時間が10分と言うこともあるのでしょうが、相当に素早く切り離し作業が行われていたことになります。

その作業中にふと見上げたら…。そこにあったのは「OUT OF SERVICE」と「LOCAL」の併記。(日本語の写真も撮影したのですが、ブレブレでした。これでお許しください)

1編成を分割して、2両が車庫入りで3両が列車となる場合は、こうした表記になるのだと納得しました。

この写真の先頭車は『キハ48 1331』。止むを得ないとは思うものの“驚異”の2扉・超ロングシート車で、『北海道の気動車』ではあまり乗りたくない車両でした。で、私は2両目の『キハ142 2』に乗車と相成ったのですが、「札幌」9:55発の3両編成は何と座席はほぼ満席で立っている乗客もいて、電化であったり複線区間の登場も「成程」で、超ロングシート車まで登場させてここまで凌いできたといったところでしょう。

2012年11月08日 20時54分

平成24年の札沼線=学園都市線(2)札幌駅、土曜日の朝8:30頃。

10月13日(土)の私の乗車目的の列車は、札沼線「札幌」発9:55の553D石狩当別行き。発車までは結構時間があったので、それまでの時間、暫し札幌駅探訪を楽しみました。

「札幌」駅で土曜日の朝と言えば、2本の名物臨時列車が相次いで発車します。

まずは狙ったのは8:31発の9220レ「SLニセコ号」の入線。この写真は8:18頃に撮影しました。「SLニセコ号」には2年前の平成22年10月30日に乗車しており、このブログでは平成22年11月1日にUPしています。その時に撮影しなかった情景が「札幌」駅への入線で、今回は何とか撮影することが出来ました。この場所に立って思ったのは、交錯する線路と、それを上回る勢いでこんがらがりそうな架線が楽しく見えたこと。そしてその架線を吊るす架線柱が線路の間になく、すっきりと見通せたことがいい感じでした。

もっとも私のいた場所で、入線狙いの「鉄」ちゃんはほんの数人で、DLが先頭についている札幌駅の入線はあまり人気が無いようでした。

一方、ホームに到着すると観光客が目一杯『C11 171』を撮影しており、この写真はほんの一瞬の隙をついて撮影したものです。ただ2年前のブログにも書いたように先頭の『DE15 1520』にも注目してほしいと今回も思ってしまいました。

「SLニセコ号」の出発の1分前、8:30に札幌駅を出るのが8061D特急「旭山動物園号」です。

私の“アーカイブ”には「旭山動物園号」の写真が無かったので、取り敢えず停車中に数枚と、出発時にこの1枚を撮影しました。この直後、ホームの反対側に取って返して「SLニセコ号」の出発を撮影すべく急いだのですが、いくら「SLニセコ号」の出発直後のスピードが遅いとはいえ、残念ながら私と列車との間に他の列車が入ったり、ホームの柱や架線柱もあったりして、流石に欲張りすぎでした。反省!

2012年11月07日 23時02分

平成24年の札沼線=学園都市線(1)まずは札幌駅。

平成24年10月13日(土)、「はやぶさ」グランクラス乗車、「江差線」の少々気の早い名残り乗車、「稲見」行きのバス、「室蘭」駅の変貌の確認と2日間たっぷりと楽しんだ私は、この日はのんびりと過ごすことにしていました。目的地は「石北本線」の「遠軽」駅。別段到着しなければならない時間があるわけではなく、取り敢えず着いてホテルに入って寝るだけというスケジュールでした。いろいろな行き方を考えて、最終的に選んだのは「札沼線」(学園都市線)札幌口の気動車列車の名残り乗車と、1974年(昭和49年)以来何と約40年ぶりとなる「新十津川」駅までの全線乗車でした。

さて、駅に到着してまず目に飛び込んできたのは10月12日(金)に大雨で根室本線「白糠」~「西庶路」間での線路への土砂流入による列車運休のお知らせ。釧路在住の知人もこの影響を受けたようでしたが、鉄路の運休は、日頃の定時運転の信頼度が高いだけに突発的な出来事への対応は大変だったと察しています。

札幌駅の構内にSL型のからくり時計があります。撮影時の時計の針は8時13分。毎正時には音も奏でられるとのことですが、私は残念ながらそれを確認したことはありません。

その名はズバリ「SL時計」。この前で待ち合わせをしている人もおられたので、地元では知られた存在なのでしょうが、私の記憶には不思議なことにありません。ここ4~5年、仕事とプライベートの両方でほば年1回ペースで札幌に来ているのですが…。考えてみれば、まず札幌駅でこうした“観察”をしていることは極めて例外であることに思い至り、それだけではなくコンコースが2本あり、必ずしもSL時計のある“西コンコース”の改札を利用するわけではないこと。また必然的に“西コンコース”を利用したとしてもこの前を通るとは限らないことであったり、駅を降りて目的地に猪突猛進(その逆に駅についても真っ直ぐにホームへ)で周りを観察する心の余裕がなかった…とか。すでに設置されて10年以上の月日が経過しているようですが、まあこうした発見も楽しい、のんびり「鉄」旅です。

2012年11月06日 22時56分

「時刻表」に無いバスの旅「稲見」行きと思っていたら…。

時刻表を買う目的は…、

1)旅行等に出かけるために購入

2)趣味で毎号購入

3)大きな改正時のみ購入

等が挙げられます。私はかっては2)の毎号買っていたのですが、その後、大きく後退して3)の『大きな改正時』となり今となっています。

1)の旅行に出かけるための目的の購入では、北海道を網羅した「道内時刻表」を都度、今なら名古屋駅前の三省堂もしくは北海道に渡ってから買って使用しています。今回の10月11日からの旅では、直前に三省堂で購入して持っていきました。

で、「稲見」へのバスの旅ですが、てっきり「道内時刻表」には載ったことが無いと勝手に思い込んでいたのですが、NPO法人「名古屋レール・アーカイブス」のYさんから1998年10月号の「道内時刻表」(1998年当時は弘済出版から発行。今は交通新聞社から発行)に掲載されていましたとの連絡と、肝心な部分をスキャンした画像データを頂きました。

江差ターミナルからの片道のみをUPしましたが、この連絡を受け、11月3日・4日に家探しを敢行しました。何せJTB時刻表が団積みしてある場所には見当たらず、それでも買った記憶はあったため、結構時間を取られたものの何とか2007年(平成19年)10月号の道内時刻表を一冊発掘しました。その年の10月7日、釧網本線のDMVを乗りに出かけた時に購入したものですが、そこにもちゃんと「江差ターミナル」~「稲見」間のバス路線・時刻が掲載されていました。

それを何故私は見落としていたのでしょう?まず索引の地図には、「稲見」のバス路線は出ていません。言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、目的地以外の「鉄道」の時刻を眺めることはあっても、「バス」の時刻をくまなく見たことは、私の経験上ではありませんでした。それにしてもYさんの連絡が無ければ「時刻表に無い旅をした」とこれからもズーっと思い込んだままでしょう。この場をお借りして御礼申し上げます。

ところで2007年と2012年の道内時刻表を比べて分かったことが…。2007年の時刻表には細かいと言っては、利用されている住民の方には失礼な言い方で申し訳ありませんが、「稲見」だけではなく、道内各地のバスの時刻が、現行の道内時刻表と比べ、相当に多く掲載されていました。現行の内容がどういう理由から“合理化”されたかまでは分かりかねますが、これは正直言って驚きの発見でした。

2012年11月05日 18時20分

北海道・35年ぶりの「室蘭」駅へ(4)。

「室蘭」駅から16:17発「札幌」行き「すずらん7号」に乗車。「東室蘭」までは普通列車。特急の末端区間が「普通」というのは、パッと思いつくのはJR四国の「むろと号」の「牟岐」~「海部」間だったりします。他にはもう随分前になりますが、特急「南紀」でも「新宮」~「紀伊勝浦」間が普通となる列車がありましたし、JR九州の「有明」が豊肥本線に普通列車として乗り入れた時代もありましたよね。

いずれにしろ全列車が末端区間で普通となるのは、JRでは今はここだけではないでしょうか?

今回乗車した785系は「NE-1」編成。トップナンバーの車両に乗るのは“一寸お得”感がありました。

その先頭車両の貫通扉のガラス部分の展望はこんな感じです。「広々」ということは無いのですが、まずまずの展望でしょう。乗務員室のすぐ後ろに乗降用ドアがありますので乗降時を除き、この場所を占拠していても、他の乗客の迷惑になることはあまりないでしょう。

ところで利用状況ですが、高速バスとの熾烈な競争はあるものの走行時間では鉄道が圧倒していることもあり、「室蘭」から一駅ごとにお客を拾い、「苫小牧」を出るころには60~70%位だったでしょうか?まずまずと言ったところでしょう。

こうして35年ぶりの「室蘭」駅探訪は終わりました。

かっての記憶は蘇りませんでしたが、新しい記憶を作るという意味で、『乗り直し』(再訪問)は楽しかったです。

「一度乗っているから…」としてあまり「乗り直し」をしていない私ですが、時は確実に刻まれている訳で、これからまた『全線完乗』にチャレンジするといったような“無謀”というか“壮大”なことは思っていないものの、少しずつ“新しい”鉄旅をしていきたいとは秘かに考えています。

2012年11月04日 20時19分

北海道・35年ぶりの「室蘭」駅へ(3)。

上の写真は昭和52年2月16日、現役の時代の「室蘭」駅です。そして下段は平成24年10月12日の保存・活用されている「室蘭」駅です。35年と言う歳月の流れもありますが、明治45年の建築当時の姿に戻す工事が行われたようで、一部に差異が見られました。大きなものでは駅正面にある駅のシンボルともいえる「駅名の大看板」が“昭和”では左から文字が並んでおり、“平成”では右から文字が並んでいます。

昭和52年の私の動きですが、宿泊していたのは『苫小牧』で、「苫小牧」発8:46(所定の時間は8:40)の202D急行「ちとせ1号」に乗車し、上段の写真の「室蘭」駅に降り立ったのは9:45(所定では9:40)でした。

ただ8分の滞在時間で、「室蘭」発9:53の563D(豊浦行き)に乗っており、道理で「室蘭」駅の写真は残っているものの、記憶が一切ないのも然りと思いました。と強がってみたところで何ということはないのですが、35年も前の“乗り鉄”は、乗車券・入場券・少しの写真は残っているものの記憶の方はさっぱりと言うのが実情です。

その“記憶にない”「室蘭」駅の中はご覧のようにガランとしており、この中に「駅」の機能がどう入っていたかを予想することは難しい感じです。ただ上を見上げればこんなお洒落な絵を見つけました。

恐らく“昭和”の時代にもあったのでしょうが、私の心にそこまで注目できるほど心に余裕がありませんでした。

2012年11月03日 20時57分

北海道・35年ぶりの「室蘭」駅へ(2)。

10月27日(土)から、「苫小牧」~「室蘭」間は電化路線にも関わらず、普通列車は気動車・ワンマン化されました。(特急「すずらん号」用の電車で運転される普通を除く)

もっとも10月12日時点でも、「東室蘭」(14:49発)から「室蘭」(15:02着)まで乗車した438Dは、「苫小牧」始発(13:23発)の「室蘭」行きですので、全区間を気動車でありながら架線の下を走っており、今回のダイヤ改正はまあ特に驚く事態とは言えないでしょう。それでも架線のある室蘭本線の区間を走る客車列車・貨物列車はDL牽引ですし、何のための『室蘭電化だった?』と言いたくなります。まあ“合理化”“経費の削減”と言った事情と老朽化した711系対策を考えれば、利便性が減るということではなさそうなので、致し方はないでしょうが、電気関係のランニングコストは電車の本数とはリンクしないと思われます。

到着した「室蘭」駅は、昭和52年当時の場所から1.1キロ「東室蘭」側に移転しており、駅前の『地球』のモニュメント(※)も誇らしげな新しい駅舎になっていました。

※室蘭市の観光地「地球岬」に因んでいます。

以前使われていた「室蘭」駅の駅舎がどうなっているかと言えば、今も以前と同じ場所に残され室蘭市の「観光案内所」としても機能しており、国の登録有形文化財にもなっています。そうっ!私が「室蘭」駅を目指したのは、新しい「室蘭」駅を見つつ、旧「室蘭」駅の“今”を見たいと思ったからです。恐らく広い構内を誇っていたはずですが、そこは線路はなく、もっと言えば新「室蘭」駅と旧「室蘭」駅の間には真新しい大きな建物が建っていました。

2012年11月02日 21時56分

北海道・35年ぶりの「室蘭」駅へ(1)。

平成24年10月12日(金)、「江差」駅から取り敢えずこの日は「札幌」までの移動です。その経路をどうしようかと「稲見」から戻りのバスに乗車中も迷っていました。

(選択肢1)函館バス「(江差)新地町」発12:38~「八雲」着14:37に乗り、「北斗11号」で「札幌」着17:29

(選択肢2)函館バス「(江差)新地町」発11:00~「函館駅前」着13:08。それから函館市電を楽しんだりしてから、その日のうちに札幌へ。

(選択肢3)とか考えましたが、最終的には朝ご飯を食べながら、「湯ノ岱」駅の『スタフ受け渡し』(疑似タブレット交換)を見るべく「江差」発10:27の4175Dの乗客となりそのまま「木古内」着11:30。「木古内」発11:44の特急「スーパー白鳥11号」に乗り継ぎ、「函館」着12:22。勢いでそのまま「函館」発12:30の「スーパー北斗9号」に更に乗り継ぎ、一路「室蘭」を目指しました。(理由は明日!)

「スーパー北斗11号」は、その頃行われていた“減速”運転の影響があったかまでは断言できませんでしたが3分遅れで「東室蘭」駅に14:31到着。

駅を一歩出て振り返ると、思いのほか大胆なデザインの駅舎が目に飛び込んできました。昭和52年にこの駅を利用した時は…、大きなガラス窓を持つ赤い建物は絶対に無かった!

またこの日、側線に休憩中の711系を見ました。恐らく10月26日(金)限りの光景だろうと思い、普段ならあまりこうした写真を撮影することは無いのですが、取り敢えずカメラを構えました。

2012年11月01日 22時09分

「時刻表」に無いバスの旅(3)「稲見」にて。

今回のシリーズはあまりにも個人的過ぎて、お読みいただくにも手前味噌過ぎて恐縮ですが、まあこの写真に免じてお許しください。

(再掲)バス停の「稲見」の文字を見たときは、本当に胸が熱くなりました。

しかも時刻表にある通り本当に2往復。発時刻が7:32とあるように私の「稲見」滞在時間は10分。

そして「江差ターミナル」行きのバスはちゃんと定刻に私を迎え(ということは言葉の綾です)に来てくれました。

ところでこのバスはお察しの通り「通学」がメインの路線です。でも朝6:43に「江差」から乗った往路のバスにも延べ6人の乗客がいて驚かされました。流石に「稲見」まで乗ったのは私だけで、帰りに「稲見」から乗ったのも私だけでしたが…。でも「通学」バスは「通学の学生」専用ではなく、町の病院に向かう乗客や所用に出かける感じの人もいて、満席などという状態にはならないもののまずまずのお客さんがいました。1日2本でも大切な地域の足だということを実感しました。

ところでこの江差のバス路線で面白いと思ったことが1点。それは「江差高校」「江差病院」に4路線4方向(「冨里」「木間内」「太田」そして「稲見」。知らない地名ばかりです)からのバスが同時に集まっていることで、これは学校の登校時間の関係でしょうが、私が乗った時も何と3台のバスが連なって走り、なかなか壮観な光景に感じましたが、一方、そこから同じ道を通って「江差ターミナル」に向かうのではなく、3台が同じ経路で1台が別経路となっていました。私の乗車した「新地町」は、「稲見」発のバスは経由しない(上下でバスの経路が異なる!)ため、途中でバスを乗り継ぎました。勿論、バス料金は別建てなのですが、私の乗車していたバスの運転手さんが、「新地町」を経由するバスに無線連絡で私の乗車を伝え、スムースに乗り換えてホテルに戻ることができました。運転手さん曰く、この無線連絡はよくあるとのことで私は驚くとともに感動しました。

(追伸;「時刻表」に無いバス…)

「江差」から「札幌」に向かう最短ルートは?と言えば、「時刻表」では「江差」から「函館」まで『JR』か『函館バス』の路線バスになるのですが、「時刻表」に無いバス路線では「江差」から函館本線「八雲」に抜ける路線があります。そのバスは函館本線の「スーパー北斗」「北斗」に接続する形で1日2往復運転されています。「江差」から「札幌」までの所要時間は約4時間半~5時間でJRの「函館」経由よりは早そうです。「鉄の抜け道」に使えそうです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!