2012年12月31日 14時32分

平成24年の終わりにあたり御礼。

平成24年の終わりにあたり、小生のブログをお読みいただいている皆様に厚く御礼申し上げます。

2010年の2月から始め、第1632回の連載となった今日、こうして続いているのが自分でも不思議な気がしていますが、やはり読んで下さる方がいるからであることは間違いありません。ところでこのブログには皆様から『コメント』をしばしば頂いております。頂いたコメントは必ず目を通し、内容を確認したうえで「コメント」欄にUPしています。もっとも頂いた全てをUPしているかと言われれば「全て」UPしていますが、「全て」ではないとも言えます。実は、「スパム」も結構あってさすがにそれはUPしていません。(裏話でした)それはさておきコメントはいつもなら大体、記事をUPしてから1週間以内に頂くことが多いのですが、今年はたまたまなのでしょうが2年前の記事にコメントを頂いたことがありました。

 

今年10月9日に頂いたのは、2年前の平成22年8月16日にUPした「立山砂防軌道」の回。

スイッチバックのポイントにあったこの矢印について私は、

『スイッチバックのポイントは自動化されており 写真の『矢印』を確認しながら進行しています。

見ていると、折り返し線に入るとポイントは直ぐに切り替わり 進行方向の『矢印』が点いて、即、出発です。 実に手際が良いというか、一般の鉄道に比べても その圧倒的な素早さは感動モノです。・・・そもそもポイントは通常、閉塞システムと連動させるはずで その閉塞システムはどうなっているのでしょう? このトロッコではスタフでもタブレットでもなく、 まして自動閉塞とも考えられず・・・ここからは私の推測ですが、 路面電車のトロリーコンタクター的な装置があり それで運行しているのではないのでしょうか?』と書いたところ、以下のコメントを頂きました。

『閉そくはありません。(軌道回路はありません。) 写真の装置は「操作てこ(表示灯付き)」と言います。 通常の運行ではこの「てこ」(スイッチ)は使いません。 ポイント開通方向の確認のために使います。 >トロリーコンタクター的な装置 この種明かしです。 地上に設置された「地上子」と機関車の車上側に取り付けられた「車上子」「スイッチボックス」により動作します。 (千寿ケ原から水谷に向かうトロッコはスイッチを上りに合わせます。水谷から千寿ケ原に向かうトロッコは下りに合わせます。) 通過中の誤転換を防ぐため一般鉄道であれば軌道回路による閉そくをかけますが簡易な方法として時素リレー(タイマー)によりもしも次の信号が入っても転換させないようにしています。。 車上側のスイッチボックスで上りに設定するとポイント通過時に上りに転換させます。 ポイントはスプリング式になっており分かれた側から進入する際は反対側であってもばねを押して通過できます。 (背向割出しと呼びます。) LC回路で構成される地上子の上を通過すると、電磁結合に変周作用が発生し上り下りを判別します。 ・タブレットなどによる閉そく運転ではありません。 連絡所間で連絡を取りあいます。 ・臨時運行するモーターカーなどは途中折り返しもあるので細心の注意のもとで走行します。』

 

この他、2010年5月9日にUPしたインド「ダージリン鉄道」のグッズについては、この11月21日にコメントを頂いています。

今日は年の瀬に当たり、検索エンジンで探していただかない限り出会えないであろうと思われる記事へのコメントを紹介させていただきました。コメントにつきましては、記事への感想であったり、中には私が『疑問符』をつけた内容についてわざわざお調べ頂いたうえで書き込んでくれたのであろうと推察される方もおられ、恐縮至極であり、また感謝の念に堪えません。

もっともそのようなコメントに、時に私はタイミングを逸してお礼を書いてなかったり、また書いていても数日遅れだったりしたこともあり、そのお詫びをこの場でさせていただくとともに、来年はそのあたりを是正しようと心に誓っています。

これからもお付き合いのほど頂ければ幸いです。

2012年12月30日 21時46分

台湾・桃林鉄路「林口線」、廃止!(2)

(日本では多分?)ありえない鉄道の話し。

写真を撮影した順番と、今回の掲載順は異なりますが、話しをわかりやすくするためということでご容赦を。

写真は、当時の「林口線」旅客列車の終点「長興」駅です。列車は“下車するお客”が降りるとすぐに終点「林口」駅(貨物駅)方面に向けて出発しました。

 

“下車するお客”とわざわざ括弧書きにしたのには理由があります。実は、乗客の殆どは終点の「長興」駅で下車していません。また私も含めてですが、車内に乗客を乗せたまま列車は何事もなかったかのように数百メートル先に進みました。正直、私は面食らいました。車内の撮影をし、いざ下車しようと思ったら扉が閉まったのです。その瞬間の私の心境をお察しください。

この写真の撮影時間は18:04です。(列車の「長興」駅着は定刻から1分遅れの18:01)

この場所に18:07まで停車し、「長興」駅のホームに到着したのは18:09。そして列車は18:10、何事も無かったかのように定時で「桃園」駅に向けて出発しました。

結局察しがついたのは、「長興」駅のすぐ「桃園」側に警報機付きの踏切があり、その踏切対策として一旦前後に踏切がない区間まで車両を移動させ、そこに停車させておいたのであろうということです。

では「長興」駅で下車しなかった乗客たちはなんだったのでしょうか?見たところ家族連れや子供たちだけのグループもおり、見た限り、ほぼ全員が乗車した駅で下車していきました。正に『無料』効果は絶大で、「夕涼み列車」とでも言いたくなったほどでした。少なくとも私のような「鉄」はいませんでした。(なぜか車内の乗車人員数をカウントしており、「長興」で折り返した人は26名でうち小学生以下と思しき子供は11名)

さてもう一つ。この列車の方向幕は「青桐」となっており、この「青(本当は写真の字です)桐」という駅は台湾北部の支線の終点で、少なくとも台北から2時間近くかかります。恐らく「桃園」までは回送で走ってきたのでしょうが、私が乗車した4年前も廃止直前の今年も同じような運用あったのでしょうか?

それはともかく「林口線」のお別れには多くの鉄ちゃん(もちろん、台湾の方たちです)が詰めかけたようです。「海湖」までの延伸区間を乗ってみたいとは思っていましたが叶わぬ夢となりました。「桃園国際空港」へのアクセス鉄道になるのではという“噂”もあったのですが…。

私が乗車した台湾の鉄道で廃線となったのはこれで2つめです。やはり時代を感じます。

2012年12月29日 21時58分

台湾・桃林鉄路「林口線」、廃止!

平成24年12月28日(金)、台湾の桃林鉄路「林口線」の最終列車が走りました。

日本の鉄道路線の廃止ともなれば各メディアが大きく取り上げますが、台湾の1鉄道路線の廃止を取り上げた日本のメディアは少なくとも私は見つけられませんでした。

今回この「林口線」の廃止をここで書こうと思ったのは、この路線が極めてユニークな存在であったこと。それはもともと1968年に貨物線で開業し、その後、2005年に旅客営業を始めたものの1日2往復のみ。しかも運賃無料!(本当に無料でした)であったことなどがその理由ですが、今回は貨物営業・旅客営業とも終えることになりました。(参考資料:Wikipedia他)

この写真は今から4年前の平成20年(2008年)8月26日に撮影したもので、その起点「桃園」駅で停車中のDRC1033+DRC1034の2両編成。3305レは定刻では17:30の出発でしたが、このホームへの入線は10:29。「来た!」と思ったら直ぐの17:33に出発しました。

※「桃園」駅は「台北」駅から『自強号』で約30分。名古屋(中部国際空港)から台北行きの飛行機が到着する台湾桃園空港の“最寄駅”です。

※「林口線」の「桃園」駅は台湾鉄路局(日本でいうJR)の駅とは同一構内にありません。それほど遠くは無いのですが、少々不思議な空間にありました。

これが時刻表。台湾で使われる漢字は日本人にも馴染みやすく、“読み”はともかく、“視覚”では駅名が認識できますね。それはともかくまず1日2往復であることは見て取れます。「桃園」駅を出た列車は片道を30分かけて走りますが、「桃園」から終点の「長興」までの距離は、wikipediaによれば11.7キロ。途中の駅が3駅であることを考えると時間が結構かかっているように見えます。実際のところ列車の時速は30キロ程度しか出しておらず、ここまでの情報の範囲内ではいったいどんな過疎地であり劣悪な線路状況で走っているのかと言いたくなりますが、実際には住宅地であったり、工場地帯であったりを走っています。

※往路が「去」。復路が「回」というのもわかりやすくていいですね。

写真は「桃園」駅から2駅目の「宝山」駅です。乗降は結構あり、この写真を見る限りどこかの通勤路線の駅といったら信じてもらえそうですね。

ところでこの「林口線」ですが、私が乗車した4年前は「長興」駅が終点でしたが、その後「海湖」駅まで旅客営業区間が延ばされ、そして今回の終焉を迎えました。とはいうものの貨物列車の終点は「海湖」駅の一つ先にあって、路線名の由来でもある「林口」であり、知れば知るほどユニークな存在というのがご理解いただけると思います。でも本当に面白いというかビックリしたのは当時の終点「長興」駅での出来事でした。また次回。

2012年12月28日 21時23分

名古屋市営地下鉄「名古屋」駅の壁画。

今年の春と夏頃、名古屋市営地下鉄の駅にある「壁画」について紹介しました。その続きというわけでもないのですが、先日(12月15日)、「名古屋駅」の東山線改札に近いところにある壁画をほぼ2年ぶりに見たところ、壁画の上にマナー啓発のポスターが貼ってありました。

因みにポスターの下にはこんな絵があります。(平成22年11月6日撮影)

地下鉄「東山線」の工事を描いたものです。今日はいつものように多くを語れません。

2012年12月27日 21時45分

manacaいよいよ全国デビュー!

今、名古屋市営地下鉄の駅にはこのポスターが掲出されています。1枚が「日本を、一枚で。」そしてもう一枚は「manacaいよいよ全国デビュー!」のポスターです。

3月23日からICカードの相互利用事業者が増えるのは、名古屋市交通局のHPでもその詳細が12月18日にUPされ、また報道もされているのでご存知の方も多いかと思います。左のポスターは全国版に見えるものの、12月18日以降、東京どころか名鉄電車にも乗っておらずその存在を確認できていませんが、ひょっとしたら『名古屋版』かもしれないと思っています。

さて次に右のポスターの日本地図部分だけを切り取ってみました。こちらは名古屋市交通局が作成したものと思われ、真ん中にドン!と大きな「manaca」があり、北海道から九州までのところどころに小さな「manaca」があります。これは「manaca」と相互利用できる会社の所在地ではなく、利用できるエリアに置かれていることが見て取れました。何故かと言えば、新潟・仙台・鹿児島エリアにそれがあるというのが理由です。

来年3月23日以降、私が全国で「manaca」を利用するかどうかですが、その前に私は「Suica」と「PASMO」を持っています。これは「Suica」と「PASMO」のそれぞれの登場当初、相互利用できなかったのでその両方を使い分けていたのですが、相互利用が可能となってからは「Suica」しか使っておらず、「PASMO」が今、家の中のどこにあるのかすら思い出せません。これは新幹線から乗り継ぐ鉄道がほぼ100%JRだからです。

※「TOICA」も持っていますが、こちらは『記念TOICA』で普段は持ち歩いていません。

で、私自身の近未来予測。多分しっかりとチャージした「manaca」だけを使うようになり、「Suica」は使わなくなるでしょう。「manaca」がメインとなる理由は明確で、1枚で済むならわざわざ他のカードを持ち歩く必要はない訳ですし、いつもは名古屋市交通局しか利用しないので、『ポイント』がつかないカードを選択する理由がないからです。(名鉄電車は月に数回利用する程度です)

そういえば今更の話しで恐縮ですが、この25日まで名古屋市交通局では「クリスマススタンプラリー」が行われていました。例えば地下鉄の6駅(久屋大通・八事・藤が丘・金山・新瑞橋・鳴子北)でスタンプを集めるとオリジナルピンバッジをもらえるというものでしたが、私は今回、断念していました。写真で見るとかわいいデザインだとは思いましたが、周りであまり話しにも出ておらず、無事4000個が引き換えられたのを願うばかりです。

2012年12月26日 21時26分

小ネタ、「インターホン」の話し。

名鉄名古屋本線「桜」駅は無人駅です。そのため「インターホン」がついており、ボタンを押せば「名鉄係員が応対いたします」の文字通り、係りの方が出てくれます。

ところで「インターホン」の下に英語があるのですがそこには「Intercom」とあります。そうなんです。「インターホン」は和製英語で、英語では「Intercom」となります。ところで「インターホン」が和製英語というのは聞いたことがあり知っていたのですが、いつから「インターホン」という名前が使われていたかについては、少々ネット検索した程度では出てきませんでした。

さて余談ですが名古屋に「アイホン」というインターホン大手の会社があります。今年、そのアイホン株式会社とApple社が誰でも知っているであろう製品名「iPhone」(アイフォーン)の商標使用で合意したというニュースが流れました。難しいことはともかく「iPhone」が日本では「アイホン」ではなく、「アイフォーン」であることには理由があるということで、『商標』権については、私の業務にも関係があるのでそうしたニュースに敏感に反応してしまいました。なおApple社からアイホン株式会社には使用料が支払われているようです。(参考:東洋経済ONLINE)

そんなことを「桜」駅の「インターホン」の吊り看板で思い出したのですが、興味のない方はその看板の下にある「電車が通過します」の通り、通過してください。あっ、今頃書いても遅いですね。

2012年12月25日 20時49分

クリスマスの小ネタ。駅の伝言板。

今日はクリスマス。私は仕事が終わった後、内科に立ち寄って家に帰りました。

だから何というほどのこともなく、特段待ち合わせる相手もいないのでそのようなことになるのですが、それはさておき「今日は待ち合わせ」という人もいたでしょう。

携帯電話どころか、ポケットベル(すでに死語!か?)も無かった時代の話しです。駅で待ち合わせをしたものの、相手が待てど暮らせど現れず、1時間ほど待ったところで待つのを諦め「何かの理由があって遅れている…のだろう」と思い、それでもひょっとしたら来てくれるかもしれない…。と、そこからの立ち去り際に『駅の伝言板』に一言、「2時間待ちました。今日はこのまま帰りますが、気にしないでまた連絡をください…」などと相手を思いやるメッセージを残す。という世界がありました。待った時間が誇張されているのはそんなこともあったのではという妄想で、私の実体験とは異なります。

その『駅の伝言板』はもう遺物かと思いきや、名古屋市営地下鉄ではどっこい生きています。写真は通勤で毎日乗降している名城線「八事日赤」駅のもので、その存在は開業当時からあるにも関わらず、初めて見ました。(写真に撮影したのが最初という意味ではなく、本当に初めて「見」ました)

今や誰も使う人がいないのか、「東山線では、平成24年12月25日(火)~28日(金)及び、平成25年1月4日(金)は、平日の運行時刻を変更して運転します。」のお知らせがど真ん中に貼られていました。昭和の時代には男女に限らず、友人・知人、家族の連絡にいつも使われ、この伝言板では書いて『月日』を書き入れるようになっていますが、“昔”は時間も書くようになっていて、一定の時間が過ぎると消され、新しい伝言が書けるようになっていました。アナログだからこそ心が繋がった時代があったと言いたい58歳です。

2012年12月24日 22時26分

JR九州「787系」BM-1編成。

旅の最後の「きらめき19号」。「折尾」を16:38に出発し17:10の定時に「博多」着。時間が時間だけに、811系がぶれているだけではなく、画面全体が手振れでボケています。ご容赦を。

この日の「きらめき19号」の787系電車は“BM-1” というトップ編成で、車両番号も「クモハ786-1」という滅多に九州に行かない私にとっては突然、嬉しいプレゼントが舞い込んできた気分です。

乗ろうと思ってもそうそう乗れるものではないトップナンバーですが、JR九州の車両番号は写真のように四角の括弧の中に書いてあるものが多く、ちょっとしたことなのですが“楽しい気分”にさせてくれます。

ということで長きに亘りました「九州」シリーズはこれでお終いです。『1番最後に、1番最初の話しを書く』というのは、「きらめき19号」との偶然の出会いが生んでくれた出来事です。さて明日から何を書きましょうか?

 

2012年12月23日 18時38分

10月27日、九州半周の終わりに『2枚きっぷ』。

平成24年10月27日、「博多」を9:20に出発し「日田」~「田川後藤寺」~「直方」・「筑豊直方」~黒崎駅前」・「黒崎」~「戸畑」・「戸畑渡場」~「若松渡場」・「若松」~「折尾」~「博多」と九州を1/4周し終えたのは17:10でした。

その最後の行程、「折尾」~「博多」間は『2枚きっぷ』を使用しています。勿論私にとっては初めての使用。というより、家に帰ってJR九州のHP、「時刻表」を見て、その存在を確認したほどです。因みに名古屋に戻った後、「鉄」友に話しをしたところ「『2枚きっぷ』は知っていたけど『一人で往復』でなければ使えないと思っていた」と話してくれ、2人の片道使用には思い至らなかったそうです。もっともいつも一人旅なので、「そもそも買うことはなかろう」とも言っていました…。その点は私も同じです。

ということで実は今回は2人旅。と言っても同行者は「鉄」ではなく、「乗り鉄」の私がどういう風に「鉄旅」を楽しんでいるのかであったり、「ゆふいんの森」やJRのローカル線、路面電車、渡船といったバラエティーに興味を持ってくれ、私としては是非「こちらの世界」に入ってもらおうと相務めた次第です。その結果は…。私の努力は報われていません。しょうがないかな?などとぼやくと同行者から叱られそうです…。

ところでこの『2枚きっぷ』、初めから買う気があったわけではありません。実は「折尾」駅の窓口で「博多まで『きらめき』の自由席2枚」と申し出たら、駅員さんから「200円ほどですが『2枚きっぷ』だと安くなりますよ!」と言われ、私は直ぐに反応して「それでお願いします」と返答しました。このやりとりで「JR九州」の印象は一気にUP。「サービス業の鏡」とさえ思えました。(やや大袈裟?)でも嬉しくなった私の気持ちは分かっていただけますよね。

*「折尾」~「博多」間の乗車券+自由席特急券=1410円

*「折尾」~「博多」間の『2枚きっぷ』の1枚分=1300円

2012年12月22日 22時43分

10月27日、「折尾駅」にて。(2)

昭和46年(1971年)3月23日、一昨日UPした『D50記念写真』の後、「折尾」駅には朝の6:33に戻ってきました。そしてその後、7:56に「下関・門司港」発「博多」行きの電車に乗るまでの間、ここ「折尾」駅にいました。

「折尾」駅と言えば日本初の鉄道同士の『立体交差』駅として知られていますが、昭和46年の高校生当時は、それに気付いていませんでした。421系電車も懐かしいですが、立体交差の向こう側には上下線とも蒸気機関車の牽く客車列車が止まっていました。

その時の蒸気機関車の写真が何故か残っており、それがこれで「なめくじ」のD5142号機。検索したら鹿児島県で動輪が保存されているとの記述を見つけました。

平成の立体交差を上(鹿児島本線下りホーム)から見てみました。この写真を撮影した鹿児島本線の下りホームのみならず、上りホームも毎日、多くの人が行き交っていますが、それが『日本初』の光景であることは殆どの人が気にしていないというか、『知らない』でしょう。

ところでこの部分の下にある鹿児島本線を支えている部分はレンガ積みであったり、「折尾」駅の壁画があったりそれだけで結構“見応え”があります。一度ご覧あれ。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!