2012年12月07日 22時33分

10月27日、「日田彦山線」に乗る。

平成24年(2012年)10月27日(土)、日田彦山線「日田」発12:03の「田川後藤寺」行きに乗車。

キハ40系キハ147-1081+キハ174-184の2連です。

最初にこの線に乗ったのは大学1年生の昭和48年8月5日(1973年)で実に40年近い日が流れています。乗車したのは4402D「天ヶ瀬」始発「浜田」行き(山陽本線~美祢線~山陰本線)の急行「あきよし」で、「日田」を12:38(定刻では12:31)に乗車し、「小倉」を16:10(定刻では15:58)に下車しています。九州~山陰を結ぶ列車はあるにしても、それが『日田彦山線』を走っていたのは、一体どんな理由だったのでしょう?

※急行「あきよし」は同名の「博多」~「浜田」間(山陽本線~山口線~山陰本線)の急行があり、山陽本線「厚狭」で分割され山陰本線「益田」でまた連結されることで有名でした。(下り列車はこの逆)

※それにしても、昭和48年8月の九州の列車はこの列車だけではなく、よく遅れていました。「あきよし」から乗り継いだ急行「かいもん3号」(夜行列車です)は途中で1時間近く遅れていました。

そんなことを思い出しつつ、「夜明」駅で久大本線と別れいよいよ「日田彦山線」へ。別れ行く線路を眺めているだけで旅情を感じます。ただ『さようなら』と心でつぶやくようなセンチメンタルな感情は私は持ち合わせておりません。な~んてね。

「夜明」駅から2駅目の「大鶴」駅。Wikipediaによれば2012年度の1日当たりの平均乗車人員は46人。それを構成する2人の方が雨の中を降りていきました。カメラを向けた理由は、ホームから駅舎まで結構距離がありかつ整備されていたことと、駅舎そのものが瓦屋根で昭和を感じされているものの、妙に新しさを感じたからです。昨年建て替えられたとWikipediaにあり、納得しました。

さてこの写真は終点「田川後藤寺」の2駅手前「豊前川崎」駅。と言っても平成の「豊前川崎」駅ではなく昭和53年(1978年)1月27日に撮影したものです。その駅前に『欧米か!』と突っ込みを入れたくなるような「ミロのヴィーナス」風の像が…。もっとも地元の方による「町のシンボル」としての寄贈があったとすれば、私の突っ込みは不謹慎以外の何物でもないですね。いずれにしてもその存在の理由を知る由もありませんが、今もあるのでしょうか?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!