2012年12月10日 21時01分

「乗りつぶし」をしていた頃、筑豊編。

昨日のブログを自分で読んでいて、何とも「乗りつぶしルート」が分かりにくいことに気付きました。

これは私が「乗りつぶし」をしていた頃、家に帰ってから記録整理のために作っていたノートで、これを最初から、そして今もやっているということはなく、今日UPした“筑豊編”の前後の期間が、一番丁寧に記録しています。

※携帯電話でご覧の方にお詫び。

データサイズが大きいのと画像データの視認は困難と思われますがご容赦ください。

まずこの時の日程は、昭和53年1月26日~2月2日と、何とも中途半端な時期ですが、当時私は独身であり、年末年始は基本出勤。で、時期をずらして「正月休み」をいただいていました。

乗車したのは名古屋始発の寝台特急「金星」で、ご多分に漏れずこの日も仕事をしており、一旦家に帰ってそれから出かけました。

(線の色と列車種別)

●赤い線…特急

●オレンジ色の線…急行

●青色の線…快速

●緑色の線…普通

1月27日、「小倉」に9:19に着いて、『日豊本線』で「行橋」へ。詳細な時間は割愛しますが、まずは40分の乗り継ぎで『田川線』(現「平成筑豊鉄道」)に乗車。「後藤寺」(現「田川後藤寺」)で15分の乗り継ぎで『後藤寺線』に。「新飯塚」で快速に乗り換え、「直方」まで向かって4分の折り返しで『宮田線』(廃線)に乗車。引き続き『伊田線』(現「平成筑豊鉄道」の内、「直方」~「金田」間)・『糸田線』(現「平成筑豊鉄道」)とつぶして『日田彦山線』を北上して「香春(かわら)」から『添田線』(廃線)を乗破。「添田」から「豊前川崎」にちょっぴり北上。このブログでは12月7日にUPした写真はその時のモノですが、『上山田線』(廃線)の一部区間、『漆生(うるしお)線』(廃線)は途中の「漆生」で乗り継ぎ。

「新飯塚」~「飯塚」を繋いで「飯塚」から『上山田線』(廃線)の残りを乗り終え、「上山田」着19:49。

その後、駅前の『商人宿』に飛び込みで入ったのは確実に午後8時を回っていたと思います。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!