2012年12月13日 22時42分
「直方」駅に到着の直前は先頭の“お立ち台”にいました。
この写真を撮影した場所は複線の『筑豊本線(福北ゆたか線)』と並んでいるため、まるで複々線の如くですが、まあ国鉄時代の昔も2路線の併走区間と言った方が良いのでしょう。もっとも国鉄時代とは違って『筑豊本線』は電化されており、風景は変わりました。ただ“国鉄時代”の名残りと言っても良いと思うのですが、『筑豊本線』の架線柱は、JRと平成筑豊鉄道の間には設置できなかったようで、“複々線”の4線をまたいで設置されていました。
13:52、石炭輸送華やかなりし頃を髣髴(ほうふつ)させる広い構内を持つ「直方」の正に一角にある平成筑豊鉄道のホームに到着。1978年以来の運営会社変更(国鉄~JR九州~平成筑豊鉄道)に伴う“乗り直し”は終了しました。と言っても昭和の時代のこの線の事は殆ど記憶になく、僅かに記憶があるのは筑豊ではよく見られた『ボタ山』(当時、石炭の採掘に伴って出る、資源として使えない部分を山積みしていた。これが結構な「山」になっていた)と「添田線」に載っていた高校生たちだけです。
「直方」で下車し、ホームを歩きながら、ふと線路を見ると、枕木に付けられた名前のプレートがありました。そこには「まくらぎオーナー」と書かれた文字があり、オーナーとなった方の名前や一言が書かれていました。その名前の部分は白抜きにさせていただきましたが、子供(大人ですが…)の結婚を記念し、両親が「まくらぎオーナー」となり「2人の名前」+「人生の門出を祝う」というコメント付きの枕木を見つけた時には、私は子供を持つ“親”として感無量でした。もっとも子供たち(夫婦)にとっては『嬉し恥ずかし』といったところかもしれません。それでも地元の鉄道を愛する人たちによる支援策のアイデアとしては微笑ましくて私は好きです。