2012年12月15日 22時58分
昭和の時代の「直方」駅と言えば、やはり駅前のモニュメントですね。
昭和53年1月27日の撮影で、駅前の『炭鉱夫』の像は、正に「筑豊の象徴」でした。ただ、筑豊地区の乗りつぶしをしていた頃は既に全ての炭鉱が閉鎖されたあとのはずで、社会の教科書で習った『筑豊炭田』の名前は正に歴史の1ページとなっていました。
その「直方」駅は、橋上駅として生まれ変わっており、あまりの落差に唸らざるを得ませんでした。
いやっ、利便性とかを考えれば、地域の人にとっては大きなプラスでしょうから、建て替えについては別に深い意味はないのですが、ただなぜ「筑豊の象徴」がここにないのだろうと思ったのです。周りをどれだけ見渡してもやはり無い!私・個人の考えで恐縮ですが、「筑豊炭田」の象徴として是非「直方」駅の前に今もいてほしかったという想いがあります。
勿論、炭鉱の全盛時代には事故もあり、多くの犠牲者を出しています。それでも『歴史の象徴』として炭鉱夫の像は駅前にいてほしかったです。それにしても今、炭鉱夫の像はどこにあるのでしょう?まさか無くなっているとは思いたくありません。
余談…平成筑豊鉄道の「直方」駅は、ネーミングライツということで「藤本興業株式会社 studio CANADA 直方」駅となっています。
社名を検索したら「鉄道車両部品の販売・修繕工事並びにグラフィック印刷」とありました。