2012年12月21日 21時59分

10月27日、「折尾駅」にて。(1)

昭和53年(1978年)1月28日の国鉄鹿児島本線・筑豊本線「折尾」駅です。画面に大写りしている「トヨペット・コロナ」のタクシー、そして駅出入り口右側の「ダットサン・ブルーバード」のタクシーが今となっては歴史の貴重な証言者かもしれません。それにしても懐かしい車たちです。

時代は下って平成24年10月27日のJR九州「折尾」駅です。その日の2週間前、10月13日にこの駅舎は役目を終えました。壁面の経年劣化ですっかり色落ちしていた昭和の時代に比べ、平成の「折尾」駅は美しく、一体どちらが新しい時代なのかが分からないほどです。まあ昭和の写真は退色が激しく、その時代の『色』が定かでないのが残念です。

ところで昭和と平成の違いですが、それがよく分かるのがこの写真です。まず窓枠が木組みからサッシに変わっています。また駅名の上の窓のその上に今はある「動輪」マーク(?)が昭和の時代にはありませんでした。

2012年12月20日 22時45分

10月27日、「筑豊本線」に乗る。

15:45頃、『若松渡場』に到着。下船した後、『渡場』の前にあった地図でJR「若松」駅を確認。15分ほど歩けば行き着けそうだったので、今にも泣きだしそうな天候の中、取り敢えず向かうことにしました。その時、バスが丁度通りがかったのですが、恐らく「若松」駅方面に行くのだろうとは思ったもの、それをやり過ごすことにしてしまいました。後悔!小雨が降り始め、それも傘をさすかどうかが悩ましいレベル。結局、洞海湾の景色はほどほどに見つつの早足を選択しました。

「若松」駅には15:55に到着。15:56に「折尾」行きがあるのは知っていたので、それに『間に合うかどうか』が微妙な時間だったのですが、改札口に到着すると、駅員さんの『乗りますか?』という問いかけのオーラ(言葉で聞かれたわけではありません)を感じ、無札(切符を買わず、下車駅で清算)乗車をすることにしました。

最初に「若松」に降り立ったのは昭和53年(1978年)1月28日。528Dで9:03着。折り返し、9:24発の127D「香月」行きに乗車し、香月線を乗りつぶしました。重厚というか歴史の重みを感じさせてくれる駅舎も今は昔の1枚です。

ところで筑豊本線そのものを最初に乗ったのは「折尾」~「二島」間。昭和46年3月23日の722レで、6:18に乗車して6:24下車という僅か6分間の出来事でした。写真はその「二島」駅で停車中していた『D50205』の運転席に座っての記念写真で、当時の機関士が乗せてくれました。この時の旅行は高校2年生の終わり、高校3年生になる前の春休みで、およそ大学受験の緊張感のない学生だったことがばれてしまう1枚です。非鉄の同級生との2人旅で、鉄道を使った旅ではありましたが、「鉄」の旅ではありませんでした。

思い出はそれ位にして、平成24年10月27日の6463Dは「折尾」に定時の16:15着。「若松」~「折尾」間は非電化ですが、筑豊本線はここから「桂川」までは『福北ゆたか線』ということで電化されており、お隣のホームには817系の2653H、16:22発の「博多」行きが停車していました。

2012年12月19日 23時11分

プチ旅気分、「若戸渡船」に乗船する。

さて「黒崎駅前」まで順調に回ることができたのでちょっと“旅”に出ることにしました。それが『北九州市営若戸渡船』による「洞海湾」の横断。

まあ順当なルートとしてJR「黒崎」~JR「戸畑」…徒歩…「戸畑渡場」…船…『若松渡場』…徒歩…JR「若松」~「折尾」経由「博多」の順で回ることにして、まずは「戸畑渡場」を目指しました。

※『渡場』というのは乗り場のことです。でも『渡場』は「とば」と読むのか「わたしば」と読むのは分かっていません。申し訳ありません。

JR「戸畑」駅から、その「戸畑渡場」までは北九州市役所のHPには歩いて約10分とありましたが、実際にはそれほどの時間はかかりません。目標は写真の大きな吊り橋「若戸大橋」。Wikipediaにも『建設当時は東洋一の吊り橋』(昭和37年/1962年開通)とある通り、私の世代では『日本の誇り』と言っても過言ではなかったかと思います。

その若戸大橋の、写真では赤い支柱の直ぐ下に「戸畑渡場」はありました。

この“渡船”は「とせん」というより「わたしぶね」という言い方が私の感覚ではピッタリですが、実はこの航路に乗るのは2回目。前に来たときは「若松渡場」から「戸畑渡場」と今回とは逆方向でこの“わたしぶね”を楽しみました。

「戸畑渡場」に着いたのが15:38で、乗船したのは15:41発。取り敢えず乗り込んだのですが、すぐ後で15分間隔であることが分かり、だったら次の便にしても良かったなどいう感想は、乗ってから思っても後の祭りと言うことで…。

片道100円という運賃は、若戸大橋と洞海湾の風景を考えれば驚きの“安さ”ですが、市民の足ということを考えれば妥当でしょう。それにしても傍から見れば「時代遅れ」と思われがちなこうした航路ですが、この「わたしぶね」の所要時間はわずか『3分!』。若戸大橋開通時に廃止の話しもでたこの航路は市民の強い要望で残り、そして昨年には新造船も登場しており、その利便性が如何に市民にとって重要かがうかがえます。

この船を降りた後、JR筑豊本線「若松」駅を目指すことになるのですが、皆様も「若松」に乗り鉄に出かける時は、“鉄の抜け道”としてこの『北九州市営若戸渡船』の利用をお勧めします。僅か3分、されど3分。

2012年12月18日 21時55分

10月27日、「筑豊電鉄」に乗る。(2)

「筑豊直方」を14:30に出発した電車は「黒崎駅前」を目指し筑豊の街並みの中をひた走ります。

楠橋(くすばし)車庫のある「楠橋」駅は14:38に出発。車庫には昭和53年に乗車した2000形の姿もあり懐かしく感じました。また2000形について言えば、2009年(平成21年)に公開された映画『おっぱいバレー』の中でも重要シーンに登場しており、その映画が中京テレビも製作に参加していたということもあって公開時にはスクリーン中の2000形の雄姿を何度も見た思い出が私にはあります。

話しは飛びますが「乗り鉄」をする時は事前にしっかりいろいろと調べていく場合と、そうではない場合があります。ただ事前調べはなくとも、このブログを書くにあたっては手持ちの書籍やネット、はたまた本を購入してそれを参考にする場合もあります。少なくとも今回の「筑豊電鉄の乗り鉄」の場合は、“思い出”“記憶”の復習はちゃんとして『実地研修』に臨みました。なのですが、車掌さんが今も乗務しているのは承知していたのですが、車内では“お札等の両替”はしているものの“切符の販売”をしていないというのは承知していませんでした。

15:03の定時に「黒崎駅前」に到着。路面電車タイプの鉄道でありながら全区間が専用軌道というのは不思議な感じですが、それより私の人生で最初に経験した「黒崎駅前」は『西日本鉄道 北九州線』の電停であり通過式の本当にいわゆる路面電車の電停で、平成のような建物の中の行き止まり式ではありませんでした。

「黒崎駅前」という現状から考えれば“謙虚”と言いたくなる名前の由来であるJR「黒崎」駅も昭和の時代から建て替えられ、ペデストリアンデッキが駅改札の前にあるので、まるで地平駅に見えますが、実際には地上にはなく、筑豊電鉄からですとエスカレーターで上ったところにありました。

2012年12月17日 21時34分

10月27日、「筑豊電鉄」に乗る。(1)

「直方」駅からのんびり歩いて30分ほど。14:20頃、筑豊電気鉄道「筑豊直方」駅に到着。

「直方」駅からまっすぐにここを目指せば多分、10分強で歩けると思います。電車の発車時間を調べることもなく商店街に寄っていたのですが、駅に着いて時刻表を見たら14:30発の電車があり、ラッキーでした。ここ「筑豊直方」まででもう一つラッキーもありました。それは「傘をさしていない」こと。「日田」で焼きそばを食べに行っていたとき、雨が降りかけていたのですが傘をさすまでもない程度で、一方日田彦山線乗車中はほぼ雨。「田川後藤寺」駅の乗換は雨に濡れずにすむのでそれはさておき、ここの『筑豊電鉄』への乗換は距離が少々あるだけに心配をしていました。あっ、傘はちゃんと持っていました。ただ荷物をリュック1つだけにしておきたかったという単なる私の『我がまま』です。

筑豊電鉄の「筑豊直方」の風景は本当に変わっていませんでした。昭和53年2月1日に乗車して電車は16:40発で、それで終点の「黒崎駅前」まで乗ったのではなく、西日本鉄道『北九州市内線』との接続駅「熊西」着17:10で下車して、「折尾」に向かっていました。

写真は3000形(3003号編成)で、この絵だけを見てみればLRTの専用軌道区間が如きです。

ところでここ終点「筑豊直方」駅ですが、高架式の対面式ホームとなっており、運転席から車止めの先を見て思ったのは「ここからの延伸計画が無かったらどんな駅構造になっていたであろう?」ということです。

2012年12月16日 19時59分

10月27日、「直方」の街歩き。

直方の街を歩くのは2度目。昭和53年(1978年)2月1日以来です。その時は国鉄「直方」駅に16:20に到着し、時刻を確認していない筑豊電鉄「筑豊直方」駅をひたすら目指しており、わき目も振らず歩いていたはずです。

30有余年の時を過ぎて何だか初めてゆっくりと歩きました。今回の九州1/4周位の旅は、「直方」まではちゃんと時間を調べていましたが、そこからは一応、予約してある福岡空港発19:30の中部国際空港行きに間に合えば良しとしており、こんな感じで回れればいいなあと思れるルートだけは決めておいたのですが、『駄目なら変更』ともの凄く軽い感じでした。そんなこともあって写真の左側にチラッと見えるアーケード街に入ってみることにしました。

商店街の名前は『ふるまち通り』。地名は漢字の『古町』なのですが、アーケード街の看板には柔らかい印象の平仮名の「ふるまち」の名がありました。道路が交差している場所の屋根には明るく色鮮やかな「ステンドグラス」がはめ込まれていました。

かっては多くの市民たちがこのステンドグラスの下を行き交い、私のようにふと足を止めて上を見上げ、『その美しさに日本の産業の牽引役としての誇りを感じていたのではないでしょうか』などと言ったら大袈裟すぎるでしょうか?

とはいうものの土曜日の午後とは思えない閑散ぶりはいずこも同じ地方の商店街。でも、名古屋ではなく直方市内に家があるなら買っていきたいものがありました。

2012年12月15日 22時58分

10月27日、「直方駅」にて。

昭和の時代の「直方」駅と言えば、やはり駅前のモニュメントですね。

昭和53年1月27日の撮影で、駅前の『炭鉱夫』の像は、正に「筑豊の象徴」でした。ただ、筑豊地区の乗りつぶしをしていた頃は既に全ての炭鉱が閉鎖されたあとのはずで、社会の教科書で習った『筑豊炭田』の名前は正に歴史の1ページとなっていました。

その「直方」駅は、橋上駅として生まれ変わっており、あまりの落差に唸らざるを得ませんでした。

いやっ、利便性とかを考えれば、地域の人にとっては大きなプラスでしょうから、建て替えについては別に深い意味はないのですが、ただなぜ「筑豊の象徴」がここにないのだろうと思ったのです。周りをどれだけ見渡してもやはり無い!私・個人の考えで恐縮ですが、「筑豊炭田」の象徴として是非「直方」駅の前に今もいてほしかったという想いがあります。

勿論、炭鉱の全盛時代には事故もあり、多くの犠牲者を出しています。それでも『歴史の象徴』として炭鉱夫の像は駅前にいてほしかったです。それにしても今、炭鉱夫の像はどこにあるのでしょう?まさか無くなっているとは思いたくありません。

余談…平成筑豊鉄道の「直方」駅は、ネーミングライツということで「藤本興業株式会社 studio CANADA 直方」駅となっています。

社名を検索したら「鉄道車両部品の販売・修繕工事並びにグラフィック印刷」とありました。

2012年12月15日 0時14分

「第2回こども鉄道博士選手権」12月16日(日)12:33放送。

平成24年11月11日(日)、名古屋市昭和区の高台に位置し、今や放送電波を発しない紅白の鉄塔下にある中京テレビ・Bスタジオに70組140名の親子が集結しました。

その人たちは「第2回こども鉄道博士選手権」のチャレンジャーたち。

昨年は12月25日に放送したこの番組、昨年の熱気をそのままに今年は左肩の『第2回』の文字が誇らしげに見えます。

さて今回も「鉄道問題」を制作スタッフと練りに練りました。問題作成のポイントは…、

(1)「昨年と全く同じ文言の問題文・解答は使わない」

(2)「小学生の鉄道知識の限界に挑戦した問題を作る」

(3)「“鉄”知識のないファミリーの方に楽しんでもらえる問題にしよう」

予選では「○×問題」や「筆記試験」等に挑戦!それを勝ち抜いた10組が11月17日に開催された準決勝にコマを進めました。それにしても私が予想した各問題の正解率を超える子供が多いのには驚かされ、その知識量のパンチをいきなり食らった私たちは準決勝・決勝の問題を練り直すことになりました。

準決勝は行き先不明、キハ85系でのミステリートレイン。と言ってもこの写真のホームの様子等から「南紀」であることはもうバレバレですね。ところでこの準決勝には、司会者の福澤朗さんだけではなく、お笑いの「フルーツポンチ」のお二人、「SKE48・古川愛李」ちゃんも参加しているのですが、列車の到着待ちの時間に非『鉄』の方には思いもよらない行動を子供たちがとり始めたのです。勿論カメラを持っての行動なのですが、狙いは「フルーツポンチ」のお二人でも「SKE48」でもなく、その横を通り過ぎて隣のホームに停車中の列車を撮影にいったのです。周りにいたスタッフは『成程』と妙に納得していました。

決勝戦は12月1日(土)、「リニア・鉄道館」で開かれました。この写真はジオラマにある「リニア・鉄道館」前で、矢印のところには昨年の「優勝親子」がいます。さて今年の優勝者のフィギュアも彼らのすぐそばにすでに置かれています。さてその優勝者とは?12月16日(日)12:33からの放送をお楽しみに。

2012年12月13日 22時42分

10月27日、「平成筑豊鉄道」に乗る。(3)

「直方」駅に到着の直前は先頭の“お立ち台”にいました。

この写真を撮影した場所は複線の『筑豊本線(福北ゆたか線)』と並んでいるため、まるで複々線の如くですが、まあ国鉄時代の昔も2路線の併走区間と言った方が良いのでしょう。もっとも国鉄時代とは違って『筑豊本線』は電化されており、風景は変わりました。ただ“国鉄時代”の名残りと言っても良いと思うのですが、『筑豊本線』の架線柱は、JRと平成筑豊鉄道の間には設置できなかったようで、“複々線”の4線をまたいで設置されていました。

13:52、石炭輸送華やかなりし頃を髣髴(ほうふつ)させる広い構内を持つ「直方」の正に一角にある平成筑豊鉄道のホームに到着。1978年以来の運営会社変更(国鉄~JR九州~平成筑豊鉄道)に伴う“乗り直し”は終了しました。と言っても昭和の時代のこの線の事は殆ど記憶になく、僅かに記憶があるのは筑豊ではよく見られた『ボタ山』(当時、石炭の採掘に伴って出る、資源として使えない部分を山積みしていた。これが結構な「山」になっていた)と「添田線」に載っていた高校生たちだけです。

「直方」で下車し、ホームを歩きながら、ふと線路を見ると、枕木に付けられた名前のプレートがありました。そこには「まくらぎオーナー」と書かれた文字があり、オーナーとなった方の名前や一言が書かれていました。その名前の部分は白抜きにさせていただきましたが、子供(大人ですが…)の結婚を記念し、両親が「まくらぎオーナー」となり「2人の名前」+「人生の門出を祝う」というコメント付きの枕木を見つけた時には、私は子供を持つ“親”として感無量でした。もっとも子供たち(夫婦)にとっては『嬉し恥ずかし』といったところかもしれません。それでも地元の鉄道を愛する人たちによる支援策のアイデアとしては微笑ましくて私は好きです。

2012年12月12日 22時15分

名古屋市営地下鉄のクリのマス列車。

 

名古屋市営地下鉄名城線・名港線の『クリスマス列車』。「噂には聞いていました…」というレベルだったのですが、名古屋市交通局のHPで『クリスマス列車』を再確認しました。

それにしてもこの列車に乗車する確率は1/36。よくぞ当たったものです。

それは今朝の通勤の時でした。お恥ずかしい話しですが、2000形電車の外観では、正直言って気付きませんでした。そして乗車してからもそのままいつものように空席に腰を下ろし目をつむっており、「八事」駅到着時に「We Wish A Merry Christmas」のメロディーが流れて思わず目を開け、車内を見渡してしまいました。そのメロディーはどの駅でも流れるわけではないので、それが無ければ恐らく『クリスマス列車』の存在を思い出さなかったかも?

車内が混んでいたので、この2枚の写真を撮るのが『精一杯』で…、というより混んだ車内でカメラを取り出し撮影するのは、必要以上に憚られる昨今です。

ところでこの吊革のリボンはとても愛らしく感じましたが、ただその取り付けはどうみてもサッサとできるものとは思えません。

※因みにこのリボンは全ての吊革につけられている訳ではありません。一つおき、ところにより連続と言った塩梅です。そうそう、このリボンには「MERRY CHRISTMAS」の文字も見えました。

(取り付けてあるバーもおしゃれです)

後ろに広告が見えていますが、私が乗車した2626号車では全ての車内広告が『クリスマスバージョン』となっており、それも一社の買い切りではなく、競合する会社が並んでいたりしました。それは結構新鮮に感じ、トータルではこうした電車“イベント”で「乗客に楽しんでもらおう」というか「名古屋を楽しんでもらおう」という“協賛”であろうかと思った次第です。

乗れるかどうかは『運』でしょうが、今月25日までの限定です。私が再度乗ることはあるのでしょうか?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!