2013年01月31日 21時48分

2013年版/豊橋鉄道の運転体験&「おでんしゃ」(4)

名古屋鉄道揖斐線を走るモ780形。(車両番号まではわかりません)撮影したのは2004年(平成16年)9月26日で、廃止になる半年ほど前のことでした。揖斐線は軌道と鉄道を直通する独特のスタイルの電車が走り、何となく20世紀初頭のアメリカの都市間電車『インターアーバン(私には「インターバン」の方がピンときます)』的な匂いがして私にとって好ましい存在でした。とはいうもののこの揖斐線に通い詰めたわけではなく、ここ「尻毛」~「旦ノ島」間の伊自良川鉄橋は、この日が最初で最後となりました。なおかつ撮影したのはこの1枚だけで、自分でも何だかなあ……と思っています。

その780形は豊橋鉄道には7両があり、主力電車だけあってその姿をよく見かけます。この日、781号は修理中。台車が外され、そこには何とも不思議な木枠(?)の台車がありました。

木の部分に書かれた「全検」の文字だけは判読できたのですが後は…。木製部の上に合って枕ばりと思われる線路に対して直角の方向に置かれた金属部分はどうみても古レールの再利用と思われる断面をしていました。

また車庫内の架線にも他とは少し吊り方の違うものを見つけました。本当に車庫の中はワンダーランドです。もっともここにいる私にとってのアリスは、非「鉄」の方には理解し難いモノでしょうが・・・。兎にも角にも青空が美しい。

2013年01月30日 19時12分

2013年版/豊橋鉄道の運転体験&「おでんしゃ」(3)

1月26日の運転体験は「3502号」、通称「ちくわ」号です。

でもこの写真は昨年(2012年)2月11日の運転体験時に撮影したもので、

こちらが今年の「3502号」、通称「ちくわ」号です。昨年末に塗装を一新し、ピカピカで私たちを待ち構えてくれていました。

随分前になるのですが、このブログでも豊橋方面に取材(中継)に出かけた時は、東名高速豊川インター手前にある「ヤマサちくわ」のお店でちくわやいわし玉と言った練り物を買い込み、取材車の中でのおやつや家へのお土産にしていたと書きましたが、私のように豊橋にやってきた人だけではなく、地元の人たちも買って食べている本当に豊橋を代表する味の一つです。

意外と知られていないようですが、会社名が「ヤマサちくわ株式会社」で、創業は何と江戸時代!で歴史もある老舗中の老舗です。

さて肝心の「運転体験」ですが、3回目ともなると指導運転士さんにもすっかり顔を覚えられ、特段の説明もなくいきなりのスタートとなりました。とはいっても昨年の2月以来、豊橋鉄道を含め全く運転体験はしておらずマルっと1年ぶりとあって流石に余裕はありません。結果は最初は少し手前に停車し、2回目はほんの少しオーバーということで、「まずまず」という在り難いお言葉を頂きました。この結果を受け、今年の目標として、またまた「運転体験に出かけよう」と心新たに誓ったのですが、家族には「ご勝手に!」と言われそうです。でもその方が有難かったりして…。

さて最後に「運転体験」の区間ですが、この写真を撮影した場所から一番奥までのおよそ90メートル。結構ギリギリまで行きます。

2013年01月29日 21時05分

2013年版/豊橋鉄道の運転体験&「おでんしゃ」(2)

豊橋鉄道ではこれで2回目となる「電車に乗ったまま車庫入り」体験です。

写真に見えている本線から入庫する線路のポイントは手動で、寒くてもこの日は晴れていたのでまだ良いのですが、雨の日にはなかなか大変だろうと察した次第です。

そして電車は車庫の中を進み、工場の中に入っている3201号(のんほいパーク号)の手前で停車しました。

この後、参加者は運転体験・工場のピット見学・車庫内撮影の3つの班に分かれ、私はA班と言うことでまずは運転グループに入ったのですが、写真の繋がり上、まずはピット見学の写真をUPします。

何れもこんな機会でもなければ見ることのできないアングルですが、車輪のフランジは何回見ても面白いと思っています。また排障器も裏側から見れば新鮮に感じます。

2013年01月28日 21時38分

2013年版/豊橋鉄道の運転体験&「おでんしゃ」(1)

先週土曜日(1月26日)は豊橋に行っていました。

豊橋駅前にあるビル屋上の寒暖計は11:58の時点で4度。風も強くとにかく寒い一日でした。本当なら菜の花はまだにしても「なのはな号」を撮影しようかと思ったものの…。

この日は「日本路面電車同好会名古屋支部」主催の『平成25年 冬 特別企画「運転体験」と「おでんしゃ乗車」』に参加するための豊橋詣でで、「運転体験」は3回目、「おでんしゃ」はこれで3年連続の参加です。

さて運転体験は赤岩口の車庫で行われるため、まずは「駅前」から「赤岩口」までは貸切お迎え電車に乗車です。毎度のことですが、豊橋駅のベデストリアンデッキからお約束の1枚です。この場所からの風景は、広々とした道路と相まってLRT的というか、今時の路面電車感があって私は気に入っています。もっともお手軽と言う面もあります。

今回はパト電車「801号」で白黒の警察塗色もなかなか似合っています。で、この電車はてっきりここまで『回送』で来たものと思っていたのですが、そうではなく、「貸切」で12:11に到着しました。そして到着直後にどっと乗客を降ろし…、それにしても礼服のお客が多いものだと感心していたら…、最後に降りたのは純和装の『新郎新婦』でした。『「鉄」の方の披露宴?』かと思いきやそんなことはなく、沿線にある安久美神戸神明社で挙式した方が「駅前」まで電車で移動し、駅前のホテルで披露宴を開くということが年に何回かあるそうです。

参考までに昨年の2月11日の「運転体験」と「おでんしゃ乗車」の時のお迎え801号で、当時は「安全安心号」でした。

2013年01月27日 21時52分

スウェーデン・ストックホルムにて(2)

もう一回だけストックホルムの街歩きにお付き合い下さい。

水の都・ストックホルム市の象徴「ストックホルム市庁舎」です。ノーベル賞の晩餐会の会場となることでも知られています。

こちらは「ストックホルム市庁舎/黄金の間」です。ノーベル賞のパーティー会場だそうです。昨年、山中教授もこの場に立たれたのでしょうか?

1991年にここを訪ねた際は、単に「ノーベル賞」の受賞者と同じ場所に立てただけで少々嬉しい気分だったとの記憶があります。それにしても名前の通りの「黄金」の輝きに圧倒されました。

ところで北欧の日の入りは思いの他早く、曇り空ともなれば撮影ができる時間はざっくり朝の10時から午後2時頃までで、この写真も夕闇の中のフラッシュ撮影に見えますが、時間帯はそれほど遅くなかったはずです。ということはともかく花屋さんのカラフルさは、厳しい寒さに生きる北欧の人々の楽しみなのでしょう。このエリアは市場となっており、果物屋さんも隣にありましたが、そこもカラフルな売り場になっていました。

2013年01月26日 21時45分

スウェーデン・ストックホルムにて(1)

鉄道から少し離れます。

スウェーデンの国名は正式にはスウェーデン王国です。つまりこの国には王様がいらっしゃいます。

1991年10月15日、この日、ストックホルムの町を歩いていた私の目の前をまるで中世にタイムスリップしたような馬車が通り過ぎました。

ルクセンブルク大公国(ドイツ・フランス・ベルギーに囲まれた国)のルクセンブルク大公がスウェーデンを訪問されたとのことで、スウェーデン国王・王妃とルクセンブルク大公ご夫妻を乗せた馬車を思いがけず見ることができ、偶然の幸せを感じていました。

この日は何故か市内各所でものものしい警備態勢が敷かれ、車の通行だけではなく、歩行もかなり制限をされており、本当ならもっと早く何がしかに気付くべきでした。

警備の警察官と記念写真を撮らせてもらったのですが、帽子も含めてこの服装は警察官にとっても特別だったようで、この方は「初めての経験です」と思いのほか喜んでおられ、この服装の警察官の方たちが互いに記念写真を撮影していました。もっとも私の拙い英語で聞いたことなので若干、怪しい面があるのは否定しませんが、王宮を警備する「衛兵」ではなく「警察官」と言われたと記憶しています。

「鉄」旅ではこうした街歩きも楽しんでいます。

2013年01月25日 21時28分

スウェーデン・ストックホルムのトラム「21系統」。

「Tunnelbanan」(地下鉄)の終点の一つ「Ropsten」(ロープステーン)から「21系統」が出ていました。21系統は「Lidingobanan」と呼ばれる路線で「Ropsten」から「Gashaga」(手元に残っているメモには「ゴックスアーガ」と書いてありましたが、本当の所は…)の間9.2キロを約20分で結んでいました。

※路線長の参考資料:英語版wikipedia「ストックホルムの公共交通機関」

写真を見る限り単線で、と書きつつ全線単線だったかどうかがうろ覚えなのですが、ともあれここは「Ropsten」から7駅目の「Parkvagen」駅です。まるで人里離れた山中の小駅の佇まい(たたずまい)ですが、ラッシュ時には約10分間隔、日中でも20分間隔の電車が走っていました。

ここが21系統の終点「Gashaga」です。駅前には大きな工場のような建物がありましたが、それがどんな会社なのかまではわかりませんでした。ところで上の駅名の表記ですが、取り敢えずローマ字表記にしていますが本来はスウェーデン語であり、この駅で言えば「G」の次の「a」の文字の上には記号がついています。

さて日本でも、もとい名古屋でも知られている「スウェーデン」と言えばファッションブランドの『H&M』。日本でその存在が知られていなかった1991年にもトラムの終点にはその看板がありました。左手前の女性の顔がそれです。今回、この写真を見ていてそれに気付いたのですが、当時、当然のことながらこの『H&M』の看板を意識して撮影したわけではなく、恐らく数年前にこの写真をスキャンしていていたとしたら、ブログをやっていなかったことも含め、何も感じなかったでしょう。

2013年01月24日 20時37分

「SLあおなみ号」試乗抽選に落選しました。

「SLあおなみ号」試乗抽選に落選しました」という返信はがきに貼られた文面の何ともストレートな表現に、かえって潔く諦めがつきました。

まあ予想通りとは言え、やはり残念です。ということで2月16日(土)・17日(日)は家でおとなしくしていようかと思ったら、落選通知にあおなみ線「ささしまライブ」駅徒歩1分のところに観覧場所ができるとの記載がありました。

どれほどの規模かが今一つ掴めませんが、あおなみ線沿線では撮影ポイントが限られるでしょうから、こうした観覧場所が設置されることが広報されれば、相当な人出になることは間違いないでしょう。やはりおとなしくしていた方が良いかも……。

また落選通知には合わせて「あおなみ線各駅での脚立・三脚・一脚を使用しての撮影はお断りいたします」とも書いてあり、それよりそもそもホーム柵があるとはいえ鉄道事業者としては「ホーム上での撮影はご遠慮ください」と言いたいところでしょうね。

 

2013年01月23日 18時40分

新幹線最後の「パタパタ表示板」。

昨日(1月22日)の「日本経済新聞」ネット版に『消えるパタパタ音 新幹線駅のパネル式表示板撤去 23日深夜、三河安城駅 』という記事がありました。そもそも未だに現役のフラップ式ホーム発車標があるとは思ってもみませんでした。

ということで本日、行ってきました「三河安城駅」へ。

そして我が耳で確認してきました、パタパタと音をたてて文字(数字も)が変わっていくのを。

私が三河安城駅にいたのは午後15時半頃でしたが、新聞で知ったのかどうかはわかりませんが上下ホーム合わせて7人(私を除く)の方が名残りの撮影を されていました。それとフジテレビのクルーも上りホームにいました。

今日の最終列車後に撤去とのことですが、乗客サービスの面からみれば情報量も増えて良いことですね。

2013年01月22日 21時17分

スウェーデン・ストックホルムのトラム「12系統」(2)。

1991年のストックホルム市内「12系統」トラムの車内はこんな感じです。

比較的小型な車両の2両編成(300番台の車両+600番台の車両)で、それぞれの車両の真ん中に乗降扉があり、その両側にボックスシートが配置されていました。そのシートの何とも味わい深いことよ!といいつつ私は当時のそのシートの座り心地を何も覚えていません。残念ですが…。ただ乗車したことは覚えています。たしか私が終点の「Nockeby」に向かう時の運転士さんが、研修中の女性だったことが印象に残っていたからです。

そして日本では見かけないパンタグラフの形ですが旧・ソ連では同様のタイプのものを見かけました。その辺りはあまり詳しくないのですが、当時、ヨーロッパで一般的だったかどうかまでわかりません。と書きつつ、パンタグラフの形狙いでこの写真を撮影したわけではなく、背景の集合住宅も含めて如何にも北欧風に感じたからです。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2013年1月
« 12月   2月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!