2013年01月11日 21時09分

鉄道交通を考える。(5)フランス・ストラスブール市。

フランスの首都パリからTGVで2時間20分、フランス北東部にストラスブール市があります。その玄関口が「ストラスブール」駅。

大きなカイコの繭の様であり、また大きなガラス細工のようなこの建物は鉄道駅というよりコンベンションセンターというか飛行場の空港ビルのような感じもします。今時のヨーロッパの鉄道駅はかくも洗練された近代的と言うより近未来的デザインで作られているのかと驚きを隠せません。

そのガラス張りの駅舎の中にはもう一つ駅舎があります。これが旧駅舎で、もっとも『旧』と言っても現役なのですが、この駅舎の保存問題が出たときに、建て替えではなく、それをスッポリ覆う建物の中で保存するという発想は日本ではなかなか考えられないでしょう。

もっとも門司港駅のように手間暇かけて保存修理を行ったり、観点は異なりますが東京駅の“復原”と『比較して』と言う意味ではありません。

あくまでも私個人の感想ですが、例えば梅小路蒸気機関車館に移築されている山陰本線「二条駅」が、そのままの場所でストラスブール駅のように保存・活用されたとしたなら素敵だなあというレベルです。

それにしてもガラス張りの構内はとても明るくまるで屋外にいるが如くです。

日本とは文化が異なるため、市民感覚を含め一概に比較することは許されませんが、機能性が優先される日本の駅との違いを感じざるを得ません。

 

ところで今回の写真は私が撮影したものではなく、私のワイン好きな友人がフランス・ストラスブールを2011年9月に訪れた際、私のリクエストに応えて撮影してくれたものです。(この場を借りて御礼申し上げます)

因みに彼は「鉄」ではありません。

2013年01月10日 12時59分

新幹線を跨ぐ!名古屋高速架橋工事から。

本日(1月10日)未明、名古屋市熱田区六番町の東海道新幹線の高架を跨ぐ、名古屋高速東海線の架橋工事が行われました。

この写真は、その架橋工事を取材に行った中京テレビのスタッフが撮影したもので、時刻は9日の23:34です。

画面中央の青いアーチ橋が新幹線の鉄橋で、その上部の両側に怪しいコンクリート橋が見えています。

そして午前0時過ぎに架橋工事が始まり、午前1時過ぎにはご覧の状態になりました。

この工事は新幹線の上を通る橋だからということでしょうか、JR東海が担当しているとのことで、今年の4月には「橋」が完成するそうです。なお、この工事の模様は本日(1月10日)の「キャッチ!」の中で詳しく放送の予定です。

ところでこの道路橋ですが、その下にあるのは「新幹線」だけではなく、「国道一号線」「名古屋市営地下鉄名港線」も通っており、日本の大動脈・名古屋の大動脈が4層で重なる稀なポイントです。

追伸)本日未明のこの工事には、「鉄」の方も含め、多くの方が見学に来ていたそうです。皆様、お疲れ様でした。

2013年01月09日 21時55分

鉄道交通を考える。(4)ドイツ・マンハイム市。

「電車でまちを元気にしたい~公共交通の活性化はみんなの幸せ~」という「第11回全国路面電車サミット 2012大阪・堺」のキャッチフレーズといっても良いかと思うのですが、その言葉に触発されて路面電車(LRT)を中心に、ドイツと日本の“鉄道”“公共交通”について思うところを書き綴ります。公共交通と鉄道というテーマについては、既に専門家の方たちが様々な書籍・論文等を発表しておられ、私が改めて書くまでもないことは重々承知の上ですが、『趣味』の域を出ない者が書いてみるのも良いかなと思っています。

ということでいきなりドイツの南西部に位置する「マンハイム」市のトラムです。ここは名古屋からの直行便も飛んでいる「フランクフルト」の南に位置する町で、人口は約31万人(Wikipedia他参照)。「マンハイム中央駅」前にもドイツ“らしく”トラムはちゃんと走っており、RNV8形(5701編成)がデンと構えている姿は市街交通の主役が何であるかが一目で分かります。

※マンハイムのトラムの総延長は53.1キロ(参考資料:Schwandl’s TRAM ATRAS DEUTSCHLAND 2012)

そのトラムの線路は、ここマンハイムではトラム専用ではなく、同じ場所を路線バスも走っています。写真のバスは小型車両ですが、大型のバス車両も同様に走っており、トラムとバスが同じ停留所を共用しているようでした。

この駅にはフランクフルトからミュンヘンへの移動時に下車したもので、ICE(ドイツの高速鉄道)を1本遅らせて本来の目的地、ミュンヘンに向かいました。そのため街歩きもしておらず、駅前に数十分いただけですので、とてもここで語るほどではないのですが、それでもこの写真の様子から『公共交通』の利便性は見て取れると思います。

因みに人口31万人言えば、このエリアでは春日井市や津市・四日市市と同レベルで、市電のある町/豊橋は約38万人です。

(写真;平成23年11月20日撮影)

2013年01月08日 20時09分

鉄道交通を考える。(3)路面電車サミット。

さてさて南海電車に乗り、座った席からふと見上げれば「第11回全国路面電車サミット 2012大阪・堺」の車内吊りがあり、思いのほか大きなイベントであることに驚くとともに、私自身が「路面電車サミット」の勝手なイメージを作っていたことを恥じました。

今回のキャッチフレーズは、「電車でまちを元気にしたい~公共交通の活性化はみんなの幸せ~」で、右側の“資料集”が如何にも真面目に路面電車を考えるサミットらしさを醸し出していますが、サミット連動のイベントも盛り沢山で、翌日の日曜日も堺市で阪堺電車とイベントを楽しみたかったと心から思いました。

その会場で缶バッジとシールを入手。阪堺電気軌道の161形と今年導入される『堺トラム』の並びが可愛いですが、考えてみれば日本の現役最古と最新の路面電車の並びが見られるようになるわけで、それへの期待感を否が応でも抱かせてくれました。

2013年01月07日 21時21分

鉄道交通を考える。(2)いざ、大阪・堺市へ。

6000系の特徴は、今の時代にあって4扉片開きだと思っています。この6000系以外では私の知る限りにおいて京浜急行800系くらいでは無いでしょうか?大都市圏ではそもそも一般車(通勤車両)の片開きは絶滅危惧種となっているとさえ思われます。余談ですが南海電鉄の公式HP内「鉄道博物館~現在の車両」の中に、6000系は見当たりませんでした。

この6023号は昭和42年(1967年)の東急車両製、その後、昭和62年(1986年)に南海車輌工業で更新されているのが見て取れました。

余談ですが南海には4扉ながら単車で運行できる電車がかって存在し、写真は高師浜線に乗車した昭和54年(1979年)10月14日、南海電鉄「羽衣」駅で撮影したものですが、当時の記憶を手繰ってみると単行の4扉車に「へえーっ」という漢字だったと思います。

さて6000系に話しを戻しますが、誕生してから45年経った今も、勿論、更新工事等は行っているにしても大都市圏の急行電車として現役であるというのはやはり鉄道という交通機関の大きな特徴でしょう。車や航空機との単純比較はあまり意味がないことかもしれませんが、思わず書いてしまいました。

2013年01月06日 18時47分

鉄道交通を考える。(1)いざ、大阪・堺市へ。

今日からこのブログも通常ダイヤに戻ります。

昨年の11月17日(土)、この日は中京テレビで12月16日に放送した「第2回こども鉄道博士選手権」の準決勝の舞台となった名古屋10:00発の「南紀3号」を見送った後、私は大阪に向かいました。

目的は「第11回全国路面電車サミット 2012大阪・堺」に参加すること。以前からこの『路面電車』サミットの存在は知っていたのですが、なかなかスケジュールが合わず、昨年、やっとその想いが叶いました。

サミット自体は前日の11月16日(金)も開かれており、その主な内容は例えば16日であれば

*講演「地域鉄道・路面電車を取り巻く現状と支援制度について」

*講演「LRT等の公共交通と集約型まちづくりについて」

17日は

*講演「公共交通導入で賑わうフランスの地方都市」

*パネルディスカッション「路面電車とまちの再生」~チン電復権が持つ意味~

等となっています。なお、ここで列挙しなかったイベントもありますがその選別に他意はありません。ご了承ください。

さて、会場となった「堺市総合福祉会館」の最寄駅は南海電気鉄道(以降は南海電鉄と表記)の高野線「堺東」駅。ということでまずは「難波」駅へ。「難波」は本来は漢字のはずですが、表記はひらがなの「なんば」となっており、便利で分かり易いのではあるものの昭和の時代からこの「なんば」だったかどうかまでの記憶は定かではありません。

ともあれ11:48発の急行「林間田園都市」行きに乗車。写真は6023号(6000系)で、南海の通勤車両に乗るならやはり平成24年でもこの電車だよね!と得した気分になりました。

2013年01月05日 21時23分

今年初めて電車に乗りました。

今年の正月は無精を決め込み、今日、今年初めて“電車”に乗りました。乗車したのは名古屋市営地下鉄「桜通線」「東山線」「鶴舞線」で所用で出かけた次第です。

年末も12月28日の会社からの帰宅時に乗ったきりなので、丸7日間も「鉄道」に触れていなかったことになります。こんな事態はもう10年以上なかったのでは?では一体その間何をしていたかと言えば、数十年前に撮影した(はずの)フィルムの発掘を少々した程度。このブログの『ネタ』準備もしようかと思ったものの、結局食べる!呑む!寝る!の日々で、こんな年もたまには良いかもと思いました。もっとも寒くて冬眠していたというのも理由の一つです。

私にとって今年最初に撮影した「鉄写真」がこれ。名古屋市営地下鉄にはこんなポスターがあるのをご存知でしょうか?絶対にあってはほしくない事態の啓発なのですが、“緊急地震速報”の一番下の5つのピクトグラフ(ピクトグラムとも言います。絵文字のことです)には何が書いてあるのでしょうか?

左から「手すりやつり革につかまる」「頭をまもる」「あわてて飛び出さない」「エスカレーターを利用しない」「エレベーターを利用しない」となっています。いざという時に『あわてないで落ち着いて行動』するために、皆さんも一度目を通しておかれることをお勧めします。毎日使っているとかえってこうしたポスターには気付かないものですが、それだけに先を急がないこの時期だからこそ撮った一枚とも言えます。(と気張るほどのこともありませんが。)

もう一つ私自身の自戒の念を込めて「駆け込み乗車禁止」の一枚。

『事故防止のため駆け込まないで下さい』も駅のホームでよく見かけます。日々地下鉄を利用していて「駆け込み乗車」する人を見かけない日の方が少ないといっても過言ではありません。中京テレビの下車駅「八事日赤」はそれほどではありませんが、乗換駅となる「八事」(鶴舞線から名城線「本山」方面)、「新瑞橋」(名城線から桜通線)が多いような気がします。

もしも停車中の電車を目指し、ホームを走っていて転んで怪我をしたら、その責任は本人だけなのかそれとも鉄道事業者にも責任一の端が課せられるのでしょうか?一寸気になるところです。勿論、「駆け込み乗車」をしなければ何事も無しです。

2013年01月04日 20時33分

「梅小路蒸気機関車館」の頭出し。

今日から「梅小路蒸気機関車館」が開館、そして年始恒例の特別展示『蒸気機関車の頭出し』も始まりました。

私が「梅小路蒸気機関車」に行ったのは1度だけ。もう9年も前の平成16年(2004年)1月11日。「もう一度…」と思いつつ、結局行けずじまいとなっています。ピカピカに磨かれ、お召列車が如く国旗を掲げたその姿には本当に惚れ惚れしました。

個人的には、『梅小路』に行くならこの“頭出し”の時期がお勧めです。今年は「梅小路蒸気機関車館」のHPには1月14日まで開催と書かれていました。名古屋からなら当日の天気予報を見てから出かけることも可能なので、(この時の経験上)できれば「晴れ」で暖かい日にするのが無難です。当たり前すぎですいません…。

鉄道誌などで過去、何度も掲載されていますが、『百聞は一見に如かず』です。この時期限定のお勧めイベントです。とは言っても9年も行っていないので何の説得力も無いですね。

2013年01月03日 20時06分

『C57 87』の冬

昨日に引き続き、昭和49年(1974年)2月15日の宗谷本線「名寄」駅でのスナップ。こちらは下り「稚内」行き321レ。牽いているのは『C57 87』です。

機関車の足元で巻き上げている『雪』が如何にも北国らしい“情緒”を醸し出していますが、これは厳しい自然の証であり、駅構内でこの雪煙と言うことは、この先の行路が思いやられる光景です。とはいうもののその道を私はC55と共にやってきたのですが…。

さてこちらは“カラー写真”の『C57 87』です。このコマはたまたま出てきたネガをスキャンしたのですが、2コマだけが切り取られており、不思議な感じです。この頃、カメラを2台持ち歩くことは考えられず、ひょっとしたら別日の可能性が高いのですが、私の記録簿から見ると前々日の2月13日に宗谷本線「比布」から「美深」まで321レに乗車しており、可能性があるとするならその乗車時となるのですが…。

なぜそう言えるかといえば、最初の写真の前にこのコマがあり、給水のために移動していると思われる『C57 87』がありました。もっともC57より『39634』の方に目が行くかもしれません。

(おまけ)

昨日の『C55 50』は小樽総合博物館で保存されています。

2013年01月02日 18時05分

『C55 50』の冬

昭和の時代のネガをスキャン・デジタル化しています。今日はその中から昭和49年(1974年)2月15日の宗谷本線名寄駅でのスナップです。

美しいスポーク動輪は『C55 50』のもので、本当に見とれてしまいます。

2月13日に天北線(現在は廃線)周りで「稚内」に到達した私は彼の地に2泊し、「稚内」からの戻りは宗谷本線324レ(「稚内」発「旭川」行き)に乗車しました。

2月15日の324レの「稚内」発は8:02(定刻では7:56)、「名寄」には13:11(定刻では13:01)に到着。その列車を牽いていたのが『C55 50』で、積雪のため列車は遅れがちでしたがそれでも10分ほどで済んでいました。

ここでしばし点検を受けました。

そして私は定刻では13:20発の324レを「名寄」駅で見送りました。

その後の私の足取りは、「名寄」発13:56(定刻では13:43)の816D急行「なよろ1号」に乗車し、札幌へと急いでいました。(途中の「士別」で324レを追い抜いた)

 



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!