2013年02月28日 21時05分

1991年のドイツ(12)シュツットガルトのUバーン。

「Schreiberstraße」停留所です。

U系統の『乗務員扉』のある電車が安全地帯の無いところで停車し、道路から直接乗り降りするのは日本では私の記憶の限りでは思い当りません。どこかにあったかなあ?

もっとも安全地帯があれば福井鉄道を、一方、乗務員扉が無い電車であればまるで今はなき名鉄岐阜市内線を髣髴(ほうふつ)させます。それはさておき、近代化が済んだ今はこうした光景は今は昔となっているような気がします。

この写真は「Schreiberstraße」~「Marienplatz」間で地下区間から出てくるところですが1991年当時の路線図ではU系統しか走っておらず、メーターゲージの線路は既に錆びついていました。

2013年02月27日 21時04分

1991年のドイツ(11)シュツットガルトのトラムの3線区間。

「シュツットガルト」U1系統「Fellbach」行き。手元のメモでは『Bad Cannstatt』電停とあります。

当時のシュツットガルトはメーターゲージと標準軌の3線軌道の区間も多く、この電車の様な『U』の付く系統は標準軌の電車が使われ、専用軌道ではやはり時速70キロを出していました。

一方、『U』の付かないこの電車のような系統(この写真は2系統)はメーターゲージでした。場所は上の写真と同じです。

この3線軌道は、トラムの近代化(標準軌化)をして路線拡大を図るための過渡期の姿だったのですが、Wikipedia「シュトゥットガルト」の項目には、2007年には最後の路線が標準軌化されたとありました。今、この2系統はUの何系統になっているのでしょうか?

2013年02月26日 20時46分

1991年のドイツ(10)シュツットガルトを目指す。

ところでデュッセルドルフからシュツットガルトまでは手荷物1個だけの気楽な旅でした。大きく重いトランクは前日の昼過ぎに既に鉄道便で送っています。この時のヨーロッパ探訪では、何回かこの手を使っています。

威厳と風格のあるフランクフルト中央駅。この姿は今も変わっていません。

ネガの順番でおそらくフランクフルト中央駅の構内に停車中の「レールバス」風の車両。「Indusi-Messwagen」とは何の意味なのでしょうか?撮影時は気になったからこうしてカメラに収めたのでしょうが、今、改めて見て、何も考えずにシャッターを押したことが良く分かりました。今更考えてもしょうがないのですが、雰囲気的には保線か何かの計測用の感じですね。

このフランクフルト中央駅から次の目的にシュツットガルト中央駅までは、この年に登場したばかりのICEに乗車、しかもマンハイム~シュツットガルト間の高速新線も体感。在来線と新線を行き来するのは軌道の間隔が同じだからこそですが、とてもシームレスで、日本でこれが出来ないのは本当に残念に思いました。それにしてもICEの写真がこれしかないのは何故だろう?

この旅の最大の目的地と言っても過言ではない「シュツットガルト」に到着。この地は2泊の予定です。(もっともこの駅の写真は到着翌日の10月22日撮影)

ところで右の塔のような場所の上にあるのは間違いなくベンツのマーク。この街にはダイムラー・ベンツの本社があり、メルセデス・ベンツミュージアムもあります。流石、シュツットガルトと感じた瞬間でした。

2013年02月25日 20時32分

1991年のドイツ(9)ルフトハンザエクスプレス・フランクフルト空港。

デュッセルドルフ空港駅発12:36の“列車”はフランクフルト空港駅に15:35着。(実時間ではなく、ダイヤ上の時間です)

この列車の他の乗客と違い、ここから飛行機に乗り継ぎでは無かったのですが、取り敢えず空港ターミナルを目指しました。

そこにあったのが「ルフトハンザ エアポートエキスプレス」の搭乗カウンター(?)で、左側に「デュッセルドルフ」、右側には「シュツットガルト」とあり、実はエアポートエキスプレスはその2都市と結ばれていました。

両方とも1日4往復あり、日本にはない面白さがありました。こんな写真を撮っていたとは全く記憶に無かったのですが、航空便名の列車の実情調査も旅の目的にあったのでこうして撮影したのでしょう。

その流れかどうか、フランクフルト空港の写真も撮っていました。

2013年02月24日 21時27分

1991年のドイツ(8)ルフトハンザエクスプレスとは?

今から10年ほど前になりますが、取材でベルギーのブリュッセルに行ったことがあります。その時に利用した航空会社はエアフランスで、まずは成田からパリに向かい、「シャルル・ド・ゴール空港TGV」駅から『航空券』でTGVに乗り継ぎ目的地に向かいました。もともとその区間に飛行機が飛んでいたかは分かりませんが、例えば他の航空会社であれば、ハブ空港で乗り継いで飛行機で向かうのでしょうが、TGVならパリ~ブリュッセル間は1時間半ほどだったので、エアフランスがこの区間に飛行機を飛ばす理由はなく、TGVの中にエアフランスの席が用意されていました。

さてこの列車は1991年10月21日撮影の「ルフトハンザ エアポートエキスプレス」。DBのヘッドマークが輝いていますが、この写真の列車番号は「LH1005」で、もうお分かり頂けると思いますが、ルフトハンザ航空の『飛行機の便名』が付いた列車で、写真の「デュッセルドルフ空港」駅と「フランクフルト空港」駅を結んでいました。ということで今から22年前、そんな列車がドイツにはあったのです。先に書いたエアフランスの場合は、一列車の一部がエアフランスの専用席だったのに比べ、こちらは丸々一編成がルフトハンザでした。

写真は途中駅の「デュッセルドルフ中央」駅(ルフトハンザ空港の時刻表では「デュッセルドルフ・シティ」とありました)で、ここを出ると「ケルン中央」「ボン」(当時の首都)に停車し、デュッセルドルフを出た時には余裕があった座席が「ボン」でほぼ満席になったと手元のメモに書いてありました。この列車の座席はどうも指定席では無かったようで、メモには『座席確保の自由席車の様だった』とも書いてあり、また「席はお好きなところで」と言われたので、禁煙車、オープンカー(コンパートメントではない)、ライン川側の席「2号車7F」に陣取ったとも書いてありました。(この時のチケットは行方不明です。ユーレイルパスでは乗れなかったと思うのですが…)

沿線はライン川の渓谷の景色は古城も各所に見られて素晴らしく、かの有名な「ローレライ」はギリギリ撮影できました。

2013年02月23日 21時21分

1991年のドイツ(7)エッセン~ミュールハイム。

一昨日も資料で使用した『LRT整備都市』に載っている路線で、世界的に見ても新しい都市作りの観点で作られた最初のグループの一角に入ると思われるのが1974年(昭和49年)に開通した「エッセン~ミュールハイム」間の“都市間軌道”。

ここはエッセン中央駅の地下にある「ミュールハイム」行きの乗り場。

ホームが低く、車両もトラムっぽいのですが、何となくそれよりミニ郊外電車的な雰囲気が漂っていました。

そして地下駅を出て暫くすると道路の真ん中の専用軌道となっており、その区間のスピードたるや私の手元のメモで時速70キロ前後とありました。ここを訪れた理由は、この路線が道路と一体的に作られたという紹介記事を読んだからで、もっともそれも今となっては私の記憶の範囲で、参照資料が見つかっていません。ともあれ乗った感想だけは書けます。北大阪急行電鉄のミニ版と言ったところでしょうか。

中小都市での地下鉄導入はハードルが高いものがありますが、知恵と工夫で何とかなるものだという事もこの鉄道から見えます。またこの整備された道路からはドイツが車の国ということも分かりますが、それでも公共交通機関の整備も怠っていないというのがドイツらしさでしょう。

(余談)

もともとはエッセンを訪れた主たる目的は、世界初のガイドウェイバスに乗ること。名古屋のゆとりーとラインの元祖になるのですが、行った日が10月20日の日曜日!日曜日と言うのはヨーロッパでは鬼門と言いたくなる日で、何とガイドウェイバスは全面的に運行無し!(バス停の時刻表にそうありました)そんなこともあって昨日UPしたデュッセルドルフはたっぷり時間がとれました。トホホッ。

2013年02月22日 21時03分

1991年のドイツ(6)デュッセルドルフのトランジットモール。

1991年10月20日は日曜日。デュッセルドルフの中心部は市民で賑わっていました。

この日の最大の目的はトランジットモール。本の知識では知っていましたが、車の通行が制限された『歩行者天国』にトラムが次から次へと来る様を見て、またトラムがあることで街が賑わっていることは日本ではどうして理解されないのだろうと残念な気分になりました。(今だから言えるのかも知れませんが…)

何せドイツには世界有数の車メーカーがあり、アウトバーンも存在する世界でも有数の車社会の国です。

もう廃止されてしまいましたがもしも名鉄揖斐線の電車が「柳ヶ瀬」のアーケード街を通り抜けていたら…、そんな妄想を持ってしまいました。

悔しがっていても仕方がないのですが、この写真のように南米のフォルクローレを奏でる演奏家が、路上でライブをしている風景の向こうをトラムが走っているのは何とも良いですね。私もここで足を止めて音楽を聞いていました。

街をそぞろ歩き、買い物をし、疲れたらトラムに乗って家路につく、、、と考えただけでもワクワクしませんか?

因みに写真の手前に写っている少女は、私がこの辺りの撮影を始めたころから帰り際まで多分、30分以上は聞き入っていたと思います。何故か印象に残っています。

ところでこの日最大のアクシデント。実は朝、中央駅に行って「Uバーン」に乗ろうとしたら何故か紅白のテープがありました。しかしながらこれが『おめでたい』はずもなく、立ち入り禁止!前日に駅で火災があったとのこと。近くにいた警察官が英語で一言「Yesterday」「Fire!」と私に理解できる英単語で教えてくれました。

さてこちらは前日の19日に、街中の市場で撮影したスナップ。日本では見られない「ブドウ」の山。市井(しせい)の人々の暮らしを感じました。

2013年02月21日 20時53分

1991年のドイツ(5)デュッセルドルフのトラム?。

デュッセルドルフ中央駅前にも、トラムの停留所があります。ドイツではあまりにも普通の風景です。

さて、2月13日にUPした『1991年のドイツ(2)ケルン到着』で、「シュタットバーン」という言葉を思い出して書いたところ、「ばけぺん」さんから「Stadtbahn」、「LRT」「TRAM」という言葉の使い分けについてのコメントを頂きました。それを読ませてもらいながら私のこのブログでの表現の一貫性の無さに呆れ果てるばかりですが、それにしても鉄道用語の選択の難しさを感じています。

ところで国土交通省が平成23年3月に公開している「LRT等の都市交通整備のまちづくりへの効果」23ページにある『LRT整備都市』という一覧がありますが、そこにはドイツの都市の名前は数えるほどしかありません。以前、このブログでLRTの例として紹介した「ミュンヘン」の名前は無く、そしてここ「デュッセルドルフ」の名前もありません。その理由は「ばけぺん」さんのコメントにある通りなのですが、他の国と違ってドイツのトラムが他国で廃止され続けた時代にも生き残ってきたからと言えるでしょう。1991年にして市街地にある芝生軌道の美しさは私にとってはとても大きな驚きでした。

車内はこんな感じですが、もう一枚は最初に見た時にあまりにも感動した風景です。

それは道路中央の専用軌道に路面電車の複々線が続いていたこと!ここは都心部ではなく、どちらかと言えば少々離れた場所でした。(「Nord park/Aquazoo」駅付近)

参考までにこの写真の路線は「U」の系統番号がついており、都心部では地下線となっており、ドイツのトラムを紹介した本「2012 Schwandl’s TRAM ATRAS DEUTSCHLAND」によれば「Stadtbahn/Light Rail」という分類になっていました。

2013年02月20日 20時51分

「2013 春の大鉄まつり」で運転体験。

大井川鐵道では3月9日(土)・10日(日)の2日間、

「春の大鉄まつり」が行われます。

これは1925(大正14)年3月10日の大井川鐵道の会社設立日にあわせて行うもので、昨年は確か「春のSLまつり」というタイトルだったと思いますが、今年も楽しいイベントが一杯あります。

(参照)「2013 春の大鉄まつり」HP

私のブログは基本、事後報告で「イベントがあります」という事前のお知らせはあまり書かないのですが、今回は皆さんにどうしても知ってもらいたい目玉があり書くことにしました。

*私が考える目玉(1)

蒸気機関車『運転体験』…国内で蒸気機関車の運転体験が出来るのはこれまで「若桜鉄道」「三笠鉄道村」だけでした。新しい場所が増えるのは嬉しいことです。

(撮影日…2011年10月8日)

*私が考える目玉(2)

井川線ディーゼル機関車『運転体験』…100メートルの距離の片道だけですが、ディーゼル機関車の運転体験は日本でここだけ。これは絶対にやりたいと思っています。

(撮影日…2011年10月8日)

*私が考える目玉(3)

川根両国駅の車両整備工場の公開…私が車両区や工場の公開に足を向けることはあまり無いのですが、ここは行ってみたいと思っています。何と今回、初公開!

ナローではないものの、ナローの仲間と言いたくなる井川線は私の好きな路線で、今回はSLもさることながら井川線関連のイベントが興味を惹きます。

他にも「SL大集合」やイベントは盛り沢山で、鉄道アイドルの木村裕子さんも10日(日)に来場され会場を盛り上げます。

『運転鉄』にも少々首を突っ込んでいる私としては、今回は大いに触手が動いています。最低限度、目玉(2)をクリアし(3)も何とかしたいと思い、日帰りで出かける算段を立てています。

出かけることが出来たらこのブログで報告します。

なお今回の「2013 春の大鉄まつり」の情報は、同好のUさんから頂き、大井川鐵道のHPで確認しました。Uさん、この場を借りて御礼申し上げます。

2013年02月19日 20時16分

1991年のドイツ(4)ヴッパータールのモノレールは美しい。

街の中を走っている列車から窓外を眺めると、まず目に入るのが逆U字型の太い鉄塔or橋桁…。その表現は難しいですが、何はともあれ下を眺めれば商店が並んでいるという日本ではあまり見られない風景が楽しめました。

でも本当の楽しみは列車を降りてからで、この独特のアーチが延々と続くさまは「美しい!」とさえ感じました。それはさておき、支柱を道幅一杯(建物ギリギリ)の場所に建ててあるのを見て、私は19世紀から20世紀の変わり目の時代に住民との合意形成つくりをどう行ったかが気になりました。

最低限度、こうした構造物を作ることが出来たという技術力があったからこそ実現したとは言えるでしょうが、住民に説明しようにも誰も見たことが無いわけですから…。

ところでヴッパータールのモノレールの車両(当時)は3車体構造となっており、真ん中の車両に台車(車輪)はなくフローティング構造となっています。トラムのフローティング構造は身近なところでは豊橋鉄道のT1000形でも見られますが、高架線を懸垂式で走る姿を見ると文字通りのフローティングだと思いました。

このモノレールの感想ですが、街に溶け込んでいるのであまり深く考えなくても良いのでしょうが、川の上に交通機関を走らせるという、所謂、街の形に合わせた交通機関の選択肢もさることながら、当時は“技術力”を見せる要素も強かったのではないかとも思いました。このパターンはきっと日本には当てはまらないですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!