2013年02月11日 19時38分
1991年10月17日、日本を出る時の予定では、コペンハーゲンからはドイツのケルン行きの夜行列車に乗るはずでした。
ところがストックホルム駅の切符売り場で乗車希望日のその列車の一等寝台が満室!とのこと。そこで止む無く行先を変更。(30分以上、駅で悩んでいました)
思案に思案を重ねた結果、同じドイツでもニュールンベルグ(私のメモではこの読みですが、wikipediaをはじめ「ニュルンベルク」の方が多そうです。)を目指すことにしました。これでコペンハーゲンで4時間少々あったはずの余裕が無くなりました。
(当初)
「コペンハーゲン」着16:50
「コペンハーゲン」発21:05のケルン行き
(結局)
「コペンハーゲン」着16:50
「コペンハーゲン」発19:05のミュンヘン行き
※時刻は全て定時の場合で、実際にどうであったかのデータは残っていません。
話しが飛んでしまいますが、翌10月18日はデュッセルドルフのホテルが予約してあり、夜行を降りて朝一番からケルン市内をゆっくり回るつもりだったのですがそれは半ば諦め、取り敢えず夜行列車でゆったり眠り、朝もやの中を疾走しながら朝食を摂るという細やかな“夢”を叶えることにしました。
何せコペンハーゲンまでの列車は「ハンブルグ」行きで、その終着駅到着時間は22:31だったので、下車後、ホテルを捜す…という選択肢もありました。
デンマークからドイツへ連絡船(フェリー)で渡るルートは、俗に「渡り鳥コース」と呼ばれ、当時、地上交通の大幹線となっていました。そして連絡船の中には当然のように両替所(銀行)がありました。またヨーロッパは当時でも消費税(付加価値税)が高かったことから船の中の免税店は大いに賑わっており、しかも日用品の品揃えが良かったという微かな記憶があります。
ところで乗車した夜行列車は、船内では保安上の理由から船に降りられる出入り口が限られ、1等寝台車からは降りられず隣の2等車に階段が置かれていました。
なお、1等寝台車入口では車掌さんがいてズーッと乗客の部屋を監視しており、安心を与えてくれていました。
そして車両はこんな風に固定されており、この取り付け金具は連絡船に乗らない車両にはないのか、それともそもそも一般的な車両にもついているものかどうかが気になりました。