2013年03月15日 8時21分
今日は2つの昭和が一区切りしました。一つは新幹線200系です。
東北・上越新幹線が大宮から東京都内の上野まで伸びたのは昭和60年3月14日のこと。
その2日後に私は「上野」~「大宮」間の乗りつぶしのため「上野」に出かけました。地下駅と言うことで絵としてはしまりませんが、200系が並び、この駅で折り返し運転をしていた時代は昭和を代表する鉄道風景の一つだったと私は思っています。また上野駅の構内には「祝 東北・上越新幹線 上野開業」の文字が躍っていました。
この写真は昨年の10月18日にUPしたのと同じ写真ですが、昭和から平成に時代が変わっただけではなく、ただ速さだけが求められる鉄道としての新幹線の車両デザインの激変に驚くばかりでした。同じく速さが求められる航空機が、昭和から平成に変わっても劇的なデザインの変更があったとも思いないのとは対照的な感じがします。
こちらは117系。昭和57年の名古屋地区への登場時は「列車」から「国電」へと変貌していく東海道本線の姿は衝撃だったといっても過言ではありません。そしてパノラマカーの名鉄との競争がどうなっていくかが楽しみでした。
その117系も定期運用は今日限り。名古屋にあって初めて名鉄に対抗しうると思わせてくれた電車も消えていくことになりました。
写真は2010年8月16日、たまたまJR「熱田」駅の北側の陸橋を渡っていたら、側線に止まっていた117系が動き出し、あわてて撮ったのがこの一枚。 金山始発の新快速。私が持っている117系定期運用の写真はこれだけです。