2013年04月21日 21時49分

運のいい日(1)N700A初乗車。

平成25年4月21日、本日は東京出張。

ひょっとしたらの期待を持ちつつ新幹線ホームへ。そうすると15番線に「回送」の表示が!

そうそうドクターイエローと出会うこともないでしょうし、修学旅行の時期でもないので、N700Aの試運転の可能性が一番高いと期待しつつ、あとは私の乗車する14番線に到着する列車より早く到着するのを祈るばかりです。時刻は8:47。顔を出した新幹線は私の期待通りのN700A。朝から笑いが止まらない状況になりました。

2月8日の運転開始以来、何度か新幹線は利用しているにも関わらず、乗るどころか見たこともありませんでした。何せ試運転を含めても見たことが無いので、その縁の無さは徹底しています。

そして更に待つこと暫し。顔を出した名古屋発8:53の「のぞみ214号」は『N700A』!!

こんなこともあるのですねえ。見るだけではなく、遂に初乗車も果たしました。N700Aの証である車体番号785-1603をちゃんと見ながら乗り込んだのは言うまでもありません。

10:26に品川駅で下車後、「N700A」の象徴を写しつつまずは東京での1日がスタートしました。

2013年04月20日 13時21分

今更ですが名古屋市交通局N3000形

昨年の3月に営業運転を開始した名古屋市交通局鶴舞線のN3000形に、本日(4月20日)、やっと乗車できました。

乗車したのは「鶴舞」から「御器所」までのわずか2区間で、この写真は御器所で下車後に撮影しました。

いつもならカバンにデジカメが入っているのですが今日は全くの無防備。止む無く携帯カメラで撮影したのですが、携帯カメラは画素設定を低くしているので、画質としては今一つ。

なおかつ、鶴舞駅では携帯を操作していたためN3000形のホーム進入に全く気付いておらず、電車が停車して「はっ!」としました。 実は、鶴舞線に乗車する可能性がある時は、いつもカバンにデジカメを入れており、なおかつ電車の到着時はカメラを構えていたこともありました。(昨年末までの期間ですが…)

思えばN3000形に初めてあったのは2011年10月9日。JR「木曽川」駅近くの撮り鉄定番スポットでした。実はこの写真、私が生まれて初めて撮影した甲種輸送で、それだけにN3000形に出会える日を心待ちにしており、やっと本日念願がかなった次第です。

「嬉しい」というより「ホッとした」というのが正直な感想です。

最後に、甲種輸送の日の写真を一枚おまけにつけます。

※甲種輸送の写真は、2011年10月12日、13日にUPした写真と同じです。

2013年04月19日 20時01分

2013年2月の台湾(9)台北MRT/文山線?木柵線!

2013年ではなく2008年8月25日の台北MRT/文山線です。当時、文山線(中山國中~動物園)は開通していましたがその延長区間ともいえる内湖線(中山國中~南港展覧館)は未開通でした。

24時間テレビが終わらないと夏休みが来ない中京テレビに勤めている私はご多分に漏れずこの年もそれに従い世間の「夏休み」が終わるころに台湾に出かけました。

この写真は「忠孝復興」から「中山國中」方面を写したもので、ビル街の果てに山が迫っているのが見えます。

「中山國中」は当時の終点。延長が予定されていたこともあってか、頭端式ではなく通過式のホームで、将来の本線が“引き上げ線”となっていました。この写真はホームから撮影したものです。

こちらは文山線の終点「動物園」。駅を降りた目の前には文字通り「動物園」があります。

ところで『文山線』の名前は今の線名で、私が乗車した当時は『木柵線』でした。ここも引き上げ線がある方式ですが、この先に車庫があり、まあ名古屋市営地下鉄「藤が丘」の変形版といったところでしょうか。

そうそう、車両の向こうに煙突が見えますが、そこには煙突の長さを生かした愛らしいキリンの絵が描かれ、「動物園」的風景となっていますが、この煙突そのものは動物園の施設ではなさそうでした。

2013年04月18日 20時00分

2013年2月の台湾(8)文山内湖線の出発信号。

文山内湖線「大湖公園」駅。

乗車している電車の前方右側に信号らしきものがあるのに気付きました。

そこで更に2駅乗った「文徳」(文德)でその変わり目を撮ってみました。

駅に到着時はこの信号は『青』で、停車すると『赤』。そして電車の扉が閉まると『青』となりました。

ところで文山内湖線は全自動の無人運転で、先頭車の一番前に座ればご覧のようにパノラマ席となります。前の3枚(昨日も含めれば4枚)の写真もこの席だから撮影できました。そのガラスの手前には程よくフラットな場所がありますが、荷物を置くのは厳禁です。画面の真ん中にある小さな点の集合の様な赤い文字は「親愛的旅客」に始まる各種注意で、そこにしっかりと書かれていました。

画面右側のタブレット(私の持ち物ではありません)が「荷物」かどうかは微妙ですね。

*名鉄7000系パノラマカーの先頭車のボンネット部分の注意書きは「足をおかないでください」でしたっけ?既に記憶が曖昧です。

2013年04月17日 21時02分

2013年2月の台湾(7)台北MRTの新交通システム/文山内湖線。

南港線「南港展覧館」で下車し、地上に出て更に上を見上げると「文山内湖線」(台湾MRTの公式HPの表記に従っています)の「南港展覧館」があります。

※文山内湖線…南港展覧館~動物園

内、今回の初乗り区間は南港展覧館~中山國中

写真では左の高架がその駅ですが、私は新交通システムという先入観があったので、見た時の感想は『結構大きい!』でした。

先の写真を撮影した歩道橋から手前、「南港博覧館」方面にやってくる編成をパチリ。文山内湖線は一部の地下区間を除き全線高架で眺望がよく、乗り鉄でなくとも全区間乗車して飽きない路線だと思います。

住宅街を通る区間では、ご覧の様なシェッド(覆い)のある区間を走ったり、緑の空間を走ったり、「南港博覧館」発「動物園」行きに乗車し、地下駅となっている松山飛行場へのアクセス駅「松山機場」を出ると目の前に空港の風景が広がり、それは一瞬の出来事でしたが既乗車区間である「忠孝復興」まで楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 

2013年04月16日 21時09分

2013年2月の台湾(6)地下鉄の優先席。

MRT・地下鉄の車内はこんな感じ。

プラスチック製のシートは座った時にヒンヤリしそうな感じですが、実際にはそれほどでもないです。シンガポールもこの様なシートですがもう20年以上前に行った香港(取材です)の地下鉄もこんな感じだった記憶があります。

車内には博愛座(優先席)がドア近くにあり、これがまた「エッ?」と思うほどいつもそこだけ席が空いています。昨日書いた通り、MRTの車内は混んでいるのですが、若い人(恐らく30代以下)がこの席に座っているのを見かけませんでした。もっともいつも注意して見ていたわけではないので絶対とは言い切れませんが、でもそんな印象を私は持ちました。

でも『博愛座』だけではなく、他の席でもお年寄りだけではなく5歳以下の子供に席を替わることは特別なことではなく、“常識”として市民に浸透しているようでした。

2013年04月15日 21時25分

2013年2月の台湾(5)台北のMRT(地下鉄)。

MRT・台北捷運公司、台北の地下鉄です。

写真は南港線台北駅です。ホームドアが整備され、整列乗車も徹底されているようでした。

話しはいきなり飛びますが、各駅には「台北MRTガイド」(日本語の場合)なる路線図が置かれており、誰でも持っていくことが出来ます。そのガイドは国際色豊かで、英語・日本語は勿論、ポルトガル語・インドネシア語・マレー語他があります。そのガイドで目立つのは路線名の記述がないこと。各路線の「線」と「駅名」と電車が運行される区間が表示されているだけです。

因みに先に書いた南港線というのはMRTの公式HPで確認しました。

※南港線…西門~南港展覧館の路線。板橋線・土橋線と直通運転をしており、ガイドには南港展覧館~土橋線の終点「永寧」間が藍色の路線カラーで一つの路線として書かれている。

台北MRTはいつも混雑しており、特に都心部の駅のホームは人で溢れています。名古屋で言えば朝のラッシュ時の東山線名古屋駅の状態が日中、ズーっと続いているといったところでしょう。駅によってはエスカレーターと電車の間に(利用者数に比べ)十分な間隔が確保できておらず、やむなくベルトパーテーション(という言い方だったと思う)によって整列乗車が促されており、まるでイベントアトラクションの『順番待ち』の様でした。そうそうこの写真に写っている人たちを見るとコートを始め厚手の服に身を包んでいる方が多いのが見て取れます。

台北駅から乗車した南港線の終点「南港展覧館」駅。この駅の2駅手前、「昆陽」駅(2008年12月までの終点)までは2008年(平成20年)8月25日に乗車しており、改めて完乗したことになりました。線路の先はコンクリートの壁。この壁が再び開くことはあるのでしょうか?

2013年04月14日 20時59分

2013年2月の台湾(4)観光地「九份」。

日本語読みなら「ずいほう(瑞芳)」に下車したのは台湾北部屈指の観光地「九份」に向かうため。九份は日本語読みなら「きゅうふん」ですが英語では「Jioufen」(Jiufenの表記もあり)です。

さて瑞芳ですが、「九份」への下車駅という事だけではなく、観光地の点在する「平渓線」への乗換駅でもあり、乗車していた車両から2/3の乗客が下車しました。

殆どは台湾の方と思われましたが、日本・韓国からの観光客も多いようで「チケット売り場」「トイレ」という日本語の文字もある張り紙が目立っていました。

「需要と供給」という経済の原則からすれば『日本人』が多いからその表示があるという事になりますが、「九份」は旅行会社のツアーで訪れる方が多いという印象だったのですが、どうやらそうでもないようでした。

ところで「瑞芳」駅の駅舎の写真はありません。土砂降りだったので写真も撮らず、本当なら路線バスで向かうところをタクシーで移動しました。

「九份」はレトロな感じの街並みが残っていることで知られていますが、映画「千と千尋の神隠し」のモデルとなった町と紹介されたことから日本での知名度が一気にUPしたものと記憶しています。ただ本当に映画のモデルになったかどうかは定かではありません。 私的な話しになりますがここを訪れるのは2回目。最初に来た時も土砂降りでしたが今回も土砂降り。どうも天候の相性が悪いようです。

で、街で見かけたワンコ。ここではやたらワンコを見かけましたが、決して愛想が良いわけではなく無表情で、それでも近づいても吠えるわけでもなく、まあご愛嬌という事で…。

ここからの戻りはバスで瑞芳に戻りそこから列車の予定だったのですが、「台北」市内のMRT(地下鉄)「忠孝復興駅」に向かう路線バスが来たのでそれに乗りました。

※このバス、なかなか侮れない存在で、途中までは例えて言えば市内の路線バスで、こまめに停車し乗降ができます。それが突然高速道路に入り、そして台北市内で速道路を降りればいわゆる日本の「高速バス」のように主要バス停だけの停車でしかも下車のみです。

(2月の台北の天候)

行く直前に教えて頂いたのですがこの時期の台北は基本『雨』。一日中降っているわけではありませんが、ズーッと雨。少し南下すれば天候は激変で晴れ。でも台北は雨。しかも寒い。街ではコートやダウンジャケットはよく見かけます。暖かいイメージがありますが、そんなことはありません。

特に「九份」から乗ったバスは窓ガラスが曇らないようにするためか、エアコンがガンガンに入っており、雨でグショグショになった足元から冷えが体全体に広がり、ただただバスが終点に着くのを心待ちにしていました。晴れればシャツ一枚でOKなだけに落差が大きいです。

2013年04月13日 20時25分

2013年2月の台湾(3)台湾鉄路莒光号。

平成25年2月22日の「新烏日(Xinwuri))発「臺東(台東Taitung)」行き莒光(Chu-Kuang Express)号。日本で言えば急行に該当すると思われますが、読み方が今一つ分かっていないので駅名も含め英語表記を括弧の中に入れてみました。

台北(Taipei)で10:15に乗車し、瑞芳(Ruifang)に11:01着の区間乗車でしたが、この列車、全線では結構なロングラン列車で、台湾西海岸中部にある始発駅の出発は6:52、台湾東海岸南部にある終着駅到着17:22。台湾の面積は九州と同じ位とのことですので例えて言えば「熊本発博多・小倉経由宮崎行き」と言ったところでしょう。

電気機関車の牽引する客車列車で、座席は全席指定。で私が乗車したのは「8車6號」(8号車6番)。日本で言えば近鉄特急でついこの3月まで使われていた数字のみ表記となっています。ところで6號の並びの席は8號です。

その8号車は編成の端にあり、車掌室の様なブロックがありました。

よく見ると網棚の高さにサボ(行先標)が…。「所変われば品変わる」とはよく言ったもので、日本と同じ1067ミリゲージで左側通行、文字も漢字と日本と共通点の多い台湾鉄路ですがいろいろと違いもあります。

莒光号に乗るのは初めてでは無かったものの、この光景を見るのは初めてで、面白かったです。

2013年04月12日 20時23分

2013年2月の台湾(2)台北駅前の静態保存車。

名古屋(中部)から台北(桃園)までの所要時間は往路で3時間20~30分、帰路で2時間30分と時刻表にありますが、飛んでいる時間はそれほどではなく、帰路であれば2時間ちょっとということもあります。あまりにもあっけなくて外国に出かけた感じがしないほどです。まあ距離的には、沖縄本島の先、石垣島とあまり変わりません。

余談ですが、上海は片道2時間強と那覇とどっこいで、台北よりも名古屋から近い位置にあります。

さて台北駅。日本語読みでは『たいほく』ですが『台北』と漢字で書いてあれば『たいぺい』と読まない人はいないと言ってよいほど一般的になっています。

その駅前には2両の車両が静態保存展示されています。

1両は「LDK28号」蒸気機関車。1923年に日本車輌製造で作られたものです。

そしてこちらは台湾製の気動車「LDR2201号」で、蒸気機関車と繋がっているからと言って、決して客車ではなく、解説板には最高時速70キロとありました。 どちらも置かれている線路からお察しいただけると思いますがナロー(762ミリ)の車両で、1067ミリに改軌される前の台東線(解説板には「花東線」とありましたが、今はやはり台東線ですね)で使用されていたものです。花蓮~台東間を結ぶ台東線は台湾の東海岸を南北に繋ぐ大幹線ですが、ナロー時代の終焉は1982年(昭和57年)と意外なほど最近で、ともかく「夜行列車(寝台車あり)の走るナロー」ということでも日本でも知られていました。

それにしてもLDR2201号のヘッドライトは作られた時はきっと1つ目だったのでは思っています…。

さてこちらは車両たちと並んでいるベンチ。利用率が高いので、この写真を撮るのに意外と時間がかかりましたが、如何にも鉄道駅前らしいベンチです。どこかで作ってくれないかなあ…。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!