2013年04月11日 20時39分

2013年2月の台湾(1)巨大駅「台北」。

海外に「鉄道」を目的に出かけたのは、1991年が初回です。

その後、海外「鉄」には縁がないというより、年齢的に仕事が一番忙しい時期であり、少しの時間が出来るとその時間は家庭優先となるため国内の「鉄」活も控えていました。それでも子供たちが中学に進学した頃から少しずつ「鉄」活に復帰を始め、その手始めの行先に「台湾」を選びました。2000年(平成8年)5月の事でした。それ以来、台湾はお気に入りの場所となり、今年の2月21日には4回目の台湾入りを果たしました。

台湾旅は、初回こそ1人「鉄」旅でしたがそれ以降、それは許されず、今回も「鉄も…」、、、ある旅でした。

まずは台北駅にご挨拶。

重厚感あふれる駅舎の中は巨大な吹き抜けとなっており、思いのほか人が少ない感じですが、台湾鉄路管理局のホームも台湾高速鉄道のホームも地下にあり、かつ地下には改札だけではなく切符売り場もあるためだと思われます。

ところで台湾での「鉄」活を選んでいる理由ですが、

1)日本から台湾までの移動交通費が比較的手頃であること。今ならシーズンにもよりますが、燃油サーチャージ別で往復2万円前後からあります。

2)「乗りつぶし」をするのに台湾の全線完乗なら何となく出来そうかな?と思えたこと。

3)“読み方”はさておき、使われている文字は漢字であり、それも繁体文字(旧漢字)。駅の名前は読めなくとも路線図があれば今どこにいるかは、とりあえず分かります。(その分、日本語読みは分かるモノの本来の読み方を覚えないのでドツボにはまったこともありますが…)

4)治安の面でそれほど心配する必要もなく(油断は大敵ですが…)、合わせて最初に出かけた時のみならず毎回、台湾の方の親切に触れ、また助けていただいたことも何度もあり、まあトラブルなく済んだことはないのですが、それは身の危険ということではありません。

ということで日本との縁が深い台湾「鉄」旅に暫くお付き合い下さい。

2013年04月10日 19時24分

飛行機と鉄道の関係(2)

平成17年2月26日、名古屋は終日晴れの予報が出ていました。

この日、往路は中部国際空港から出発しましたが帰りは愛知県営名古屋空港に戻る予定を立てており、ひとえにその理由は空から名古屋の風景を撮影することでした。「晴れ」るかどうかは賭けでしたが冬場なので確立は高いと思っていました。

ではなぜ「フィルムカメラ」の選択か?それは離発着時に撮影できること。ちゃんとキャビンアテンダントさんに事前に説明して撮影しています。

まずは中部国際空港の空撮。

そして中京テレビです。旧名古屋空港に着陸する飛行機は、風向きにもよりますが通常は左眼下に中京テレビの鉄塔を見下ろしながら飛行します。そのため、シートもA席でかつ翼とかぶらない位置の選択が必要となりますが、運よく狙いどおりのシートが確保できました。

何れも県営名古屋着で無ければ撮影できない写真でした。

さて表題の「飛行機と鉄道の関係」ですが、「撮り鉄」さんはともかく「乗り鉄」としては新線が開通するとそこに行かねばなりません。国鉄・私鉄の全線を完乗した昭和55年までは飛行機で乗りに行くということはありませんでしたが、その後は北海道の石勝線を皮切りに飛行機利用は度々ありました。

沖縄のゆいレールともなれば飛行機利用はマストです。(平成16年5月15日)

今から40年前の大学生の時は予算の関係で船で往復(片道2泊3日)しましたが、会社員の今は時間のほうに無理がありすぎです。そんななんやかやで九州・北海道への「鉄」旅は目的地近くまでとりあえず飛行機利用が殆どになってしまいましたが、その記録もちゃんと残していれば、それはそれで「日本の航空の歴史」の一端を垣間見ることが出来たであろうと少々残念に思っている今日この頃です。

2013年04月09日 21時13分

飛行機と鉄道の関係(1)。

古い写真を整理していると思わぬものを発見することがあります。そこで今日は飛行機と鉄道の関係のお話し。

まずは懐かしい写真をお楽しみください。

まず名古屋空港に着陸したのは東亜国内航空(TDA)のDC-9型機です。東亜国内航空という会社名はすでに懐かしい部類でしょうしDC-9という飛行機の現役時代を知っているのはそれなりの年代と言うことになりそうです。

撮影時期はネガの前後の写真から推定して昭和56年(1981年)頃と思われます。

東亜国内航空そのものは1988年(昭和63年)に、日本エアシステム(JAS)に名前が変わっています。

こちらは中部国際空港での日本エアシステム(JAS)のMD-90型機。故黒沢明監督デザインのレインボーカラーで話題になったJASのMD-90型機ですが、7種類あったデザインの内、この機体は2番機でした。

中部国際空港の開港は2005年(平成17年)で、JAS便がJAL便になったのはその前年2004年(平成16年)。その後、機体の塗色は順次JALカラーになっていきましたが、中部国際空港になってからもレインボーカラーは残っていたんですね。(だからこの写真を撮影したはず)

ところで「DC-9」と「MD-90」の違いは、私には分かっておらず単に「似ているなあ」とそんなことを感じていました。(余談)

それと中部国際空港の写真ですがフィルムで撮影しています。撮影日は2005年(平成17年)2月26日。この日は名鉄・空港線の初乗りと福岡市営地下鉄(同年2月3日開業)の初乗りをするため、敢えて飛行機で福岡に向かいました。

さて飛行機の話に戻して、本当はJAL塗色のMD-90の写真も探したのですが、それはさすがに見つけられませんでした。そもそも空港で撮影をする習慣がないのですが、デジカメの時代なので、目についたものは撮影しておこうと心に誓いました。デジカメなら撮影日の特定で家探しする必要もありません。(笑)

平成15年にフィルムで撮影したのには理由があります。それはまた明日。

2013年04月08日 19時12分

今更ながら、全国相互利用記念。

一昨日の土曜日は、私が会員となっているNPO法人名古屋名古屋レール・アーカイブスの活動日でした。

そこで会員のAさんから交通系ICカード全国相互利用記念の記念「manaca」「TOICA」を譲り受けました。

※3月23日(土)、私には絶対に抜けられない所用があり、それを気遣ったAさんが私のために買っておいてくれました。

「manaca」は名古屋市交通局と名鉄グループそれぞれ1枚ずつ、「TOICA」と合わせ計3セットが私の手元にやってきました。

各社のロゴを正方向にしていますので、「交通系ICカード全国相互利用 2013.3.23  START!」(名鉄グループ)、「交通系ICカード全国相互利用記念」(JR東海)、「manaca全国相互利用記念」(名古屋市交通局)と書かれた肝心の部分が上下逆となっていますがご容赦ください。

こちらは裏面(?)と言うより中面といった方がいいですね。

さてここで問題です。この写真では右側から名古屋市交通局、JR東海、名鉄グループの順番となっていますが、その理由は何故でしょう?

もったいぶる必要はないのですぐに答!実は台紙の大きさ順です。この写真を撮ろうとして気付いたのですが、ほんの少しずつというより 誤差の範囲程度の大きさの違いがあります。(名古屋市交通局が一番大きい)

だから何なのだと言われればその通りです。

1枚2000円×3=6000円の出費ですが、ICカードの場合、使用しても外見上は変わらないので、実質500円×3=1500円の出費となりました。 これで手持ちののICカードが7枚となりました。

2013年04月07日 20時45分

撮り鉄と乗り鉄。

昨日、名残りの写真をUPしてその後、過去に撮った写真の中で桜の写ったモノはないかと1時間ほど探したものの……フィルム~デジタルの時代にいたるまで「桜駅の桜」というか車両と絡んでいたのは、昨日の踏切の写真ただ1枚だけ!

この写真は昭和48年(1973年)3月28日撮影、場所は関西本線笠置駅。日本屈指と言っても過言ではない、「鉄」にとって桜の名所でした。

実はよく見ると色付き始めているのですが、残念ながらと言ったところでした。当時は、桜の開花情報をネットで検索などできるはずもなく、大学入学を前にした私は何の情報も持たずただ可能性に賭けて、自ら憤死したのでした。

この時は、撮り鉄だった同級生(高校生にして冬の北海道遠征も行っていたと記憶しています)に誘われて出かけたのですが、私自身は「もう一週間遅く来ていたら…」というような悔しさを覚えた記憶がないことから、ただ蒸気機関車の交換を撮影しただけで満足していたようです。

三脚も使わず手持ちでの撮影。水平が今一つです。サイズも甘く…今改めて見ても拙い写真だと感じています。

この頃はまだ撮影に出かけていた頃で、それから数年後、手間暇をかける気力と持久力・体力、そして何より映像のセンスが必要な撮り鉄から、時間と資金さえあれば楽しめる乗り鉄に転向したのは賢明な選択だった気がします。

2013年04月06日 16時05分

名残りの桜 名鉄桜駅。

本日(4月6日)の名鉄桜駅の桜。去年は丁度今頃が満開だったのですが、今年は名古屋市内の他の場所同様、やはり先週位が満開だったようで、少々残念な結果となりました。

それでもまだ最後の踏ん張りを見せる花びらもありました。桜駅の桜は、一般の乗降客にはあまり気にされず、はっきり言って私のような地元の「鉄」だけがその姿を愛でているのではないでしょうか。

それにしても名鉄の駅のホームに桜の木があるのは、私の記憶にあり限りではここだけです。この桜駅にしても「桜」駅の「桜」とかけてここに植えられたものとも思えません。

まあでも、一般的には無名でもこの季節にこの駅で乗り降りするのは気持ちが良いです。またこれからの瑞々しい緑の桜も私は好きです。

ところで「桜」駅のすぐ「呼続」駅方には東海通の踏切があり、その東海通は桜本町(名古屋市営地下鉄桜通線「桜本町」駅)の交差点を中心に、桜並木となっており、「桜」駅のホームからも望むことができます。

ず~っと以前、桜本町交差点方面から東海通の桜並木越しに踏切を行く電車を撮れないものかと、一応狙ったことがありますが、東海通は幹線道路だけあって遮断機が下りるとすぐに車が数珠つなぎとなり、10分を待たずに断念したことがあります。

 

2013年04月05日 19時03分

台湾高速鉄道700T型の置物。

台湾高速鉄道700T型の置物。

大きさ的にはHOゲージと同じ位でしょうか?何せ私の家には鉄道模型が無いため比較ができませんが、まず間違いないと思います。

さてこの置物の台座には「台灣南北高速鐵路700T型列車出廠記念2004.1.30」とあり、後ろの箱には「Taiwan High Speed Rail 台灣高鐵」とありました。

台湾の高速鉄道は2007年(平成19年)の開業で、まあこれ以上の詳しい話しはさておき、『出廠記念2004.1.30』の文字から、日本で最初の700T型が作られたのが2004年(平成16年)であったことがこれで分かります。

この置物が私の手元に届いた経緯を簡単に書きます。

日本テレビ系列のニュースネットワークはNNNと呼ばれていますが、その海外支局の一つに(かってですが)台北支局がありました。その台北支局に特派員を派遣し、運営していたのが中京テレビで、この置物は2004年当時、台湾高速鉄道が作り、関係者やマスコミにプレゼントしたものだそうです。

台北支局は既にありませんが、この置物を当社の報道関係者が保管しており、それが回りまわって私の手元にやってきました。

手渡された時、「嬉しい!」と素直に思いました。ということだけではなく、台湾の高速鉄道にかける当時の意気込み・熱気も感じました。

2013年04月04日 20時18分

一寸前の時代のグッズ・資料。

「鉄」知人からお借りした品々。

画面の真ん中の斜めに置かれた「名鉄7000形パノラマカー」は、、、実はマッチです。この裏面には同様に6000形」のイラストがあります。そこには『昭和52年度ブルーリボン賞』とあり、また中には『近くなった知多新線の海』ともあることから、推測として昭和53年夏前のモノと思われます。その心は『海の前売きっぷ』の宣伝用のマッチだったからですが、一般乗客対象の宣伝材料で、マッチがあるというのは時代を感じます。それは当時、喫煙者が多かったであろうということよりそもそもマッチのような火器を鉄道駅で配布するという事は現代では私には考えられません。

※車両の形式について、「系」ではなく「形」を使っていますが、これはこのマッチに記載の形式名に合わせています。

右側の冊子はJR西日本和歌山支社が作ったダイヤ改正のパンフレットです。

内容から察すると1990年(平成2年)3月のダイヤ改正に合わせて発行されたもので、トランプ風のデザインは、その中身で鉄道の「ダイヤ」改正とトランプの「ダイヤ」を引っかけており、「ダイヤのキング」の所には「グランドひかり」が2往復から3往復に増発など、新幹線のダイヤ改正情報もありましたが大部分は和歌山を中心にした改正情報でなかなか面白かったです。

最後に列車をイメージした不思議な細長い物体ですが、実は鉛筆で、白色の「こだま」に似せたデザインの部分がキャップとなっていました。この写真に写っていない部分に「L EXPRESS」の文字があることから「L特急」の周知広報用のノベルティーと思われ、それゆえ「こだま形」となったものと推察しています。

私にとってはいずれも初見で、こうした無償のグッズ・駅での配布物の世界も奥が深いものだと感じました。

2013年04月03日 19時04分

2013 春の大鉄まつり(18)

往路も新幹線でしたが、帰路も掛川から新幹線を利用。掛川発17:42の「こだま669号」に乗車。撮り鉄に挑戦!と思ったもののやはり今一つでした。まあ素直に「夕日が綺麗だ」と思った私の心情をお察しください。

この写真を撮る前、非常に充実した一日を送ることができたと実感していた私は、千頭駅のみならず乗り継ぎの時間を利用して掛川駅南口(新幹線口)にあった売店でもお土産を買い足しており、家に戻った時、家族に「どうしたの?」言われるほどご機嫌でした。

この日の収集品。C5644とDD203の運転体験時のパンフレットやSL運転体験の修了証。

DD運転体験・車両工場見学の参加用ハガキや乗車券等々。

この中で特筆すべきはDD運転体験・車両工場見学の参加用ハガキ。写真では本文のみですが、実は表の宛先は全て手書き。しかも同じ「南アルプスアプトセンター」から送られているにも関わらず字が異なっていることから別の人の手によるもの。しかもその字は二人ともがとても丁寧なだけではなく、『上手い』のです。

「鉄」友からの連絡でDDの運転があることを聞いたのがきっかけの大井川鐵道詣ででしたが、私の宛先を書いてくれた方を始め、今回の『2013 春の大鉄まつり』に関わっていた全ての関係者の心のこもったおもてなしの心があったからこそ私の満足に繋がったのは間違いありません。

最後に一般社団法人日本民営鉄道協会の広報誌「みんてつVol.44 冬号」で「大井川鐵道」が特集されていることを紹介します。

http://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/index.html

是非ご一読いただきたいのですが、代表取締役社長の伊藤秀生氏のインタビューや管理部課長 山本豊福氏・営業部課長伊藤和則氏のリポートだけではなく島田市長桜井勝郎氏・SL運行の礎を作った白井昭氏の話しも掲載されています。

内容は割愛させていただきますが、この「みんてつVol.44 冬号」を紹介させていただくことで私を楽しませてくれた大井川鐵道の方への謝意とさせていただきます。ありがとうござました。

2013年04月02日 20時00分

2013 春の大鉄まつり(17)元京阪3000系の旅。

「かわね路2号」で新金谷まで乗車すると、そこから金谷までの連絡列車は、千頭発15:25となります。

ということで元京阪電車の3000系(京阪的には旧3000系と書くべきでしょうか?)が来ることは「かわね路2号」の発車時に分かっていたので、新金谷駅では到着を今や遅しと待ち構えていました。この電車を撮影したのは構内踏切の上です。ここで上下列車の行き違いがあるため、下り列車が先着し、完全に停車した上で客扱いを始めないと踏切に入ることは出来ないと思われ、ある種この写真も今日の運の良さの象徴でしょう。何せ3月10日にたった一区間とはいえ3000系に乗車できるのですから…。

金谷に16:37到着。お約束の車内写真撮影。全員が下車した後こうして撮影したのですが、実は数人ではありますが順番に並んで撮影でした。それにしてもこのシートの座り心地は破格ですね。

京阪と言えば「鳩」のデザインのヘッドマーク。この日はこのヘッドマークを撮影するために金谷駅ではやはり行列ができました。各駅停車なのに「特急」とはこれ如何に。でもやはりこうでなくっちゃ3000系らしくは無いですね。

と言っても「鳩」のマークは列車の両エンドとも見えている訳ではなく、金谷側の先頭車はご覧のように大型の方向幕に覆われていました。本来はこの形で、今回の様な表示が「特別」だとしたら大井川鐵道に感謝ですね。

もっともこの3000系人気は、平成25年3月10日という記念すべき日だったからかも知れません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!