2013年05月21日 21時10分

宗谷本線各駅停車の旅(3)幌延駅到着。

北海道の車窓は、まさしく北海道にしかない風景の連続で、でも長く見続けていると却って『北海道』らしさってなんだろうと思ってしまいます。自分で言うのも何なのですが素直じゃないですね。

さて昭和52年(1977年)2月12日以来の「幌延」駅。最初にここを訪れたのは昭和49年(1974年)2月15日でした。稚内発8:02(定刻では7:56)の324レ(SL牽引)に乗車し、定刻では9:41着、9:48発(実時間は不明)だったのですが、ここで急行「礼文」との行き違いがあり、何せこの日の宗谷本線の列車は全体に遅れがちで、それで入場券を買う余裕があったようです。

先に書いた「稚内駅」の入場券の秘密がコレ。

幌延駅の入場券が切れていたようで、「幌延」の駅名印は結構レアものでしょう。柔軟な対応に拍手!但し、「幌延」駅の硬券入場券は手元にありません。

さて4332Dは15:12の到着で15:50の出発。またここから4334Dと名前が変わります。

この車内写真は、到着直後の15:12に撮影しましたが誰もいません。私のように荷物を車内に置いたまま外に出たわけではなく、見事にそれまで乗車していた全員が下車!

その後出発直前に2人の方が現れましたが、その日のテレビニュースでJR北海道の黒字決算の話題を放送しているのを見た時には、何だか複雑な気持ちになりました。

2013年05月20日 20時49分

宗谷本線各駅停車の旅(2)利尻富士と秘境駅。

南稚内~抜海(ばっかい)間では、海越しの利尻富士が見えるだろうと思い、そのために進行方向の右側に座ったのですが、ノンビリと風景を見ていればそんなことはすっかり頭の外へ。

突然目に飛び込んできた利尻富士にあわててカメラを取り出し、それでもこの写真が精一杯でした。ここから暫くは利尻富士が見え隠れしており、雄大な風景の中にいいアクセントになっていました。

宗谷本線は牛山隆信氏の「秘境駅ランキング」のベスト50に入る駅が7駅あります。南下する中での最初の秘境駅は第40位の「抜海」です。駅舎の向こうに人家が見えますが、それだけ。ちゃんとした駅舎が良い感じですが、煙突から煙が出ることはあるのでしょうか?何せ利用者は殆どいなさそうです。

順位は上がって第35位の「下沼(しもぬま)」駅。北海道でありがちな貨車駅ですが、牧草地と思われるまっ平な風景の中で、インパクトのあるワンポイントになっていました。

2013年05月19日 21時53分

宗谷本線各駅停車の旅(1)始発駅「稚内」。

何となくですが一般的に「稚内」駅は終着駅のイメージでしょう。

一昨日UPした“最北端”シリーズで載せなかったこの写真、木製の「日本最北端 稚内驛」の駅名標。いつからこの駅で、最果ての地で乗り降りする人たちを見つめてきたのでしょうか?

と書いてしまうのも「駅」が旧字体であることと全ての書体がどことなく古めかしく感じたからですが、もしも昭和49年に既にこの駅名標があったとすれば、厳冬の季節ゆえに駅で周りを見渡す余裕が無かったという事でしょう。

4332D、稚内14:12発旭川行き普通列車。ここから259.4キロの旅の始まりです。キハ54 505の単行。始発駅「稚内」で乗車したのは私を含め3名でした。さて何人が私と共に旅を続けてくれるのでしょうか?と言っても私は終着駅まで乗車しません。この列車にとっての2つ目の名前、4334Dの時に下車します。さて3人で始まった旅は、南稚内で1人下車し、5人が乗車で7人に増えました。南稚内はさすが宗谷本線の開業時の終着駅、また特急停車駅の貫禄ですね。

2013年05月18日 20時28分

日本最北端の駅「稚内」(7)来駅証明書。

稚内駅には「来駅証明書」があり、駅舎の写真といわゆる証明書は表裏となっています。

「日本最北端の駅に到着したことを証明します。」とは書いてありますが、列車ではなく飛行機で到着したので少々気恥ずかしくもありましたが、まあここから乗ることは間違いないので許される範囲でしょう。

その証明書は2枚の入場券を購入すると手に入ります。別に証明書がほしくて入場券を買ったわけではなく、硬券の入場券が欲しかったからです。という事にさせて下さい。この件についての優先順位はありません。(笑)

昭和49年2月13日、初めてこの駅に降り立った時に『30円』の入場券を買っていますが、そこには「日本最北端」の文字はありません。その稚内駅・・・の入場券は後日このブログで紹介します。さてその心は???

2013年05月17日 19時25分

日本最北端の駅「稚内」(6)最北端の看板あれこれ。

日本の東西南北の端っこにある駅にはそれぞれ工夫を凝らしたモニュメント等があります。では最北端の駅「稚内」はどうなっているのでしょう。

改築なったコンコースからホームを覗いたところに「最北端の線路」なる看板がまずは構えています。停車中の列車は私がこれから乗る14:12発の旭川行きです。

看板に話しを戻して、線路で囲まれた“タイトル”の下に書いてあるのは「最南端から北へ繋がる線路はここが終点です」とあり、その左右に『指宿枕崎線西大山駅』『宗谷本線稚内駅』の駅名とその駅の開業年月日が書かれています。

※「西大山駅」について、このブログでは2011年4月18日~連載。

改札を通りホームに入ったところにあるには「日本最北端の駅」(北緯45度25分03秒)の標識風のポール。

列車に乗ってこの駅に到達した時は、ここで「来たぞ」という気分になりそうです。

1面1線のホームに入り、左側にあるのは「北と南の始発・終着駅」「稚内 枕崎 友好都市締結平成24.4.28」の看板。稚内市と枕崎市が昨年友好都市となっていたとは知りませんでした。

先の写真の「わっかない」のホーロー駅名標の下はさすがに「枕崎駅」の名前がありましたが、こちらは「西大山駅より 3,095.0Km」となっていました。

私は稚内駅に「最北端」関連の看板類が一体いくつあるかは数えませんでしたが、誰か数えた人はいるのでしょうか?

参考までに5月14日(火)にUPした稚内駅の全景写真に写っている黄色い車止めにも「日本最北端の線路」と書かれています。

2013年05月16日 21時24分

日本最北端の駅「稚内」(5)稚内港北防波堤ドームの北側。

北防波堤ドームの写真はよく見かけますが、その北側の写真を捜しきれませんでした。で、それを見にいこうと歩いていたら、消波ブロックで休んでいるカモメを見つけました。

旅のひと時です。

因みに消波ブロックと言うより、もっと通りのいい言い方があるのですが、登録商標ゆえ『消波ブロック』と書きました。放送局の公式HPですのでご了承ください。

さていよいよ北防波堤ドームの『北側』にご対面です。実はもう少し北まで歩いたのですが、“らしさ”を見せる選択として南に戻ってこの写真を撮影しました。

消波ブロックが山積みなので、稚泊航路の時代に思いを馳せるのはチト難しいのですが、目を閉じてイメージの世界でブロックを消し去れば、ドームに打ち付ける激しい吹雪が心の中で見えたようなで気がしました。

稚内駅に戻り、コンコースで北側を向いて立つ彫刻『KANE POPPO(カネポッポ)』をじっくりと見ました。

解説には「彫刻家 流政之の作品である 樺太が日本領領土であった時代 機関車の汽笛代わりに使われていたと伝わる 日本とロシア鉄道友好の証として最北の駅で旅人をむすぶ」とありました。

平成24年4月29日に除幕式が行われた新しい作品ですが、観光客らしい人たちが足を止めて見ているようにも思えず、ちょっと残念でした。なおKANEの詳しい話しはJR北海道のHPに出ています。

 

2013年05月15日 19時20分

日本最北端の駅「稚内」(4)稚内港北防波堤ドームは現役。

この姿は昭和11年当時のままとのことですが、昭和53年から3年間、全面的に改修工事が行われ、昭和55年にその独特の景観が蘇ったそうです。

そこには稚泊(稚内の「稚」と樺太・大泊の「はく」で「ちはく」)航路記念碑があります。昭和45年に建立されており、その先にはC5549の動輪があり、ナンバープレートが埋め込まれています。

ここにいた地元の方と少しお話しする時間があったのですが、冬場、北からの風が強い稚内にあって、427メートルにもわたる風除けの存在は、市内では他にないこともあり、2月くらいからここでジョギングする人が結構いるそうです。物凄く説得力のある話しでしたが、2月の厳寒の中でのジョギングは、それだけで私には「無理」と思えました。

またここでキャッチボールをしたり犬の散歩をする人も多く、市民の憩いの場となっているそうです。

この日も、そうした方たちを見かけました。

この日の岸壁には海上保安庁の巡視船「れぶん」が繋がれており、稚泊航路で使われていたであろう船よりは小ぶりでしょうが、往時の雰囲気を垣間見た気がしました。

2013年05月14日 23時15分

日本最北端の駅「稚内」(3)稚内港北防波堤ドームへ行った。

5月8日(水)12:30前、日本最北端の駅「稚内」に到着。

そこをチラ見してまずは北海道遺産「稚内港北防波堤ドーム」を目指しました。

昭和11年(1936年)に完成し、今も凛とした存在感を示す「稚内港北防波堤ドーム」の概要について北海道遺産のHPから全文を転載します。

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稚内-樺太大泊間の旧稚泊航路整備の一環として、冬季の北西越波防止のために建設された半アーチ式ドーム。海上からの高さ14m、柱間6mの円柱70本を並べた長さ427mの世界でも類を見ない独特の景観と構造を持ち、港湾土木史に残る傑作であるとともに、旧樺太航路時代の記憶を残す歴史的遺産。設計者は、当時26歳の土木技師・土谷実。

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中に入ればそのアーチの美しさに圧倒されます。

ここに「稚内桟橋」駅があり、列車を降りた乗客はそのまま岸壁に横付けされた連絡船に乗りこみ、樺太の地を目指しました。

実は昭和49年にはここを訪ねていません。恐らくその頃はここの価値が今ほど観光的には宣伝されておらず、そのため観光客がここに足を延ばすことは少なかったのでしょうか?それとも冬であったので、寒さから街歩きを避けていたのかもしれません。

 

2013年05月13日 22時32分

日本最北端の駅「稚内」(2)昭和49年。

昭和49年2月8日、上野駅を20:50発の201レ急行「十和田2号」で旅だった私は、青森に翌朝9:30に到着(定刻は9:04)。

10:30発(定刻は10:15)の連絡船大雪丸に乗船し、函館の地に15:05に上陸しました。生まれて初めての北の大地、そこは白一色の世界でした。(もっとも東北本線から白一色でしたが…。)

最果ての地、稚内に到達したのは昭和49年2月13日のこと。

その前日、私は三浦綾子の小説「塩狩峠」(実際にあった鉄道事故を元にしていました)で有名となった宗谷本線「塩狩」駅近くのユースホステルに宿泊。

明けて2月13日、既に有名だった「ピップエレキバン」と同じ名前の駅名という事で知られていた宗谷本線「比布」駅まで、それを確認するためだけに一旦南下し、そこから11:52発(定刻11:46)の321レ(SL牽引)に乗車。美深に14:12(定刻13:56)に到着し、ここから303D急行「天北」に乗り継ぎ。「天北」は14:18(定刻14:06)に出発し、今は無き列車名通りの天北線を経由して稚内には17:25(定刻17:18)に到着しました。

2月14日は稚内で一日を過ごしており、道なき道をラッセルしながら稚内公園に登り、まずは「氷雪の門」を見ました。(今も冬場は除雪されていないと聞いています)

その場所からは街並みを見下ろすことができ、左端には「北防波堤ドーム」が見え、そのすぐ右側には貨車がいるのも見えました。

この後、日本最北端の地、「宗谷岬」をバスで往復したのですが、バスを下車したものの地吹雪に行く手を阻まれ、バス停の待合所から一歩も動けず、折り返しのバスの到着までひたすら耐えていたことを覚えています。当然、写真は一枚もありません。

2013年05月12日 19時10分

日本最北端の駅「稚内」(1)北上。

ゴールデンウィーク明けの5月8日からお休みを頂き、4泊5日の北海道への「鉄」旅に出かけました。

今回の第一目的地は日本最北端の駅「稚内」。そこまでの移動は、

1)中部国際空港(8:05発)~新千歳空港(9:45着)

2)新千歳空港(10:55発)~稚内空港(11:50着)

と、ANAを乗り継ぎました。写真は新千歳空港発稚内空港行きのボンバルディア機。プロペラ機はあまり乗らないので楽し珍しの時間を過ごしました。

回っているプロペラをカメラで撮ったのですが、こんな感じ。6枚あるプロペラが4枚に見えます。

プロペラ機はジェット機に比べ、低い高度を飛んでいると思われ、まずは離陸して直ぐにとらえた羊蹄山。蝦夷富士の名に相応しい山容を見せており、5月とはいえ美しい冬景色でした。

こちらは利尻島。CAさんの話しでは、この日の景色は抜群とのことで、全山すっぽり雪をかぶった利尻富士を、乗客の方々が盛んにシャッターを押していました。

鉄道写真でも、利尻富士を背景にした宗谷本線は定番中の定番ですが、こうして空から単体で見るのもGOODでした。

それにしても朝一番の飛行機で名古屋を出れば午前中には稚内到着。

私は昭和49年の2月に初めて北海道に渡ったのですが、その頃は東北新幹線も開通前なので、もしも鉄路で稚内に行くとしたならば、最低でも24時間以上かかっており、列車の選択次第では2泊3日コースもあり得た状況で、それだけに不思議な感慨がありました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!