2013年06月21日 20時41分

日本最東端の駅・東根室(4)快速「はなさき」と茶内で交換。

釧路駅を出て1時間余。

茶内駅でこの列車初の交換。お相手は3630D快速「はなさき」。私の乗っていた「ノサップ」はこの写真の撮影時点で12:06となっており、既に出発時間となっていました。

キハ54-514の単行で、この写真を撮った時はまだ気付いていなかったのですが、何気なく覗いた車内はガラガラ。というか一体何人の乗客がいたのでしょう?私が5月8日に乗った宗谷本線の列車並みだったような気がします。

そうそう、花咲線には「ルパン三世ラッピングトレイン」がありますが、これは「ルパン三世」の作者モンキー・パンチさんの出身地が北海道浜中町であることに由来しています。ここ茶内駅の1番のりばには銭形警部の看板が設置されていました。カッコいい!

ところで花咲線の快速ですが、同じ区間の快速にもかかわらず2つの名前があります。それがこの駅で交換した「はなさき」と「ノサップ」です。それにプラス「はなさき」は上りと下りで停車駅が異なります。何れも珍しいパターンだと思います。如何でしょう?

2013年06月20日 19時38分

日本最東端の駅・東根室(3)快速「ノサップ」乗車。

さて、いよいよ3631D快速「ノサップ号」で根室に向かいます。

キハ54-518の単行。11:03の定時に出発しました。釧路駅の充実過ぎる時間を終えて、何とか座席でホッとしました。クロスシート席にほぼ1人ずつ座る位の乗車率で、並行する道路にバスが走ってはいるモノの時間ではJRの方が優位に立っており、かつこの列車は札幌からの一番列車「スーパーおおぞら1号」の接続列車でもあり、ガラガラでなくと良かったというのがその時の本心でした。

11:45頃、「厚岸」駅が近づいてきて海が見え始めました。何だか理由は分かりませんが、私は車窓に海が見えると旅気分が高揚します。

厚岸駅には2分ほど遅れての到着。その厚岸駅でヘーッと思ったのが島式ホームの駅舎側に近い線の更に駅舎側にもう一本ホームがあること。

このホームは以前からあったのではなく、旅客サービスのために作られたとのこと。つまりこの列車が入る線には両側にホームがありますが、左側のホームのドアは開きません。Wikipedia「厚岸駅」に詳しく出ていたのですが交換列車が無い場合は通常、この線路を通り駅舎に直結のホームを使用しているそうです。旅客サービスとしてはGOODですね。

厚岸駅を出た後は、しばし湿地帯の中を通ります。名古屋界隈では見ない独特の風景に目が離せません。(ラムサール条約登録湿地;厚岸湖・別寒辺牛湿原)

それにしても愛称の「花咲線」の元となった『花咲』の地はまだまだ先です。

2013年06月19日 20時36分

日本最東端の駅・東根室(2)釧路駅にて。

4001D特急「スーパーおおぞら1号」は釧路駅に定時の10:51に到着。

ここから私は3631D快速「ノサップ号」に乗り換えですが、その時間は僅か12分。でもこの12分は大忙しでした。

まずは9332レ、10:56発の「くしろ湿原ノロッコ2号」。釧路駅でノロッコを見るのは初めてです。列車自体は平成19年(2007年)10月6日、細岡~塘路の1駅ですが乗っています。

そして出発間際の車内をパチリ。ゴールデンウィーク明けの平日とあった空いていました。こういう日のあるんですね。

さらにこの日はこの時間、5番線に「ルパン三世ラッピングトレイン」が停まっており、ノロッコが出発したら「写真が撮れる」と思っていたら、ノロッコの出発と同時にこちらも出発。気付いた時には既にホームを離れており、釧路運輸車両所に引き上げるところを後追いで撮るのが精一杯。“ルパン”かどうかが今一つ判別できない残念な写真となってしまいました。

ところで「ルパン三世ラッピングトレイン」が停車しているの教えてくれたのは「釧路臨港鉄道の会」会員のSさん。実はこの日の夜、「釧路臨港鉄道の会」の方たちと会食をすることになっており、事前に私のスケジュールは伝えてあったのですが、それでわざわざ情報を持ってきてくれたのです。「ノロッコに乗ればホーム越しに撮れますよ」と言われていたものの、勝手にまだ大丈夫と思って撃沈しました。Sさん、すいません。

でもSさんのおかげで撮影できた一枚。ありがとうございました。

本来なら「釧路」という街は、分刻みで「鉄」活をするイメージは無かったのですが、平成22年(2010年)の2月に「釧路臨港鉄道の会」の方たちがボランティアで運営をしていたツアーに参加したことがあり、この時も太平洋石炭販売輸送の貨物列車の撮影も含め分単位で行動しており、その充実ぶりに最近、少々慣れてきた気がします。(笑)

2013年06月18日 11時32分

日本最東端の駅・東根室(1)帯広駅にて。

「JRイン帯広」に宿泊した理由は、まずは帯広駅の真ん前(隣?)にあること。

そして運が良ければ部屋から「根室本線」が見える事。

そしてこの日は運が良く鉄道ビューの部屋でした。列車は帯広8:26着2543D。

で、こちらは平成23年(2011年)7月13日に同じホテルに泊まった時の一枚。撮影したのは明けて7月14日で、列車は特急「スーパーおおぞら1号」です。宿泊した部屋は、写真から推察して今回の部屋より高い階です。なお、先回も今回も部屋のリクエストはしていません。皆さんが宿泊される場合は「鉄道の見える部屋」をリクエストされては如何でしょうか?

さてこの日は、2年前に撮影した「スーパーおおぞら1号」(帯広発9:21)でまずは釧路に向かい、最終的には日本最東端の駅・東根室を目指します。

シカのモニュメントがホッとさせる帯広駅のこの時点の気温は9度。暖かだった陸別とは打って変わってこの日は寒くなる予感がしました。(駅前に温度計があり、この写真でも米粒程度に写っています。観光客としては冬の気温の方が興味ありますね)

ところでここ帯広駅の駅前広場にはレールが埋め込まれています。確認したわけではないのですが、『新』帯広駅ではなく、建て替え前の『旧』帯広駅では確かにこの辺りに線路があったと思います。札幌、旭川、帯広と新駅舎に変わって綺麗で便利になるのはいいのですが、街から少しだけ遠くなっています。ただ他の選択肢があったとは思っていませんが…。

2013年06月17日 19時28分

「忙中閑あり」ならぬ「鉄中閑あり」で帯広に名物あり!

平成25年5月10日は帯広に宿泊。夕方早い時間に「JRイン帯広」にチェックイン。(ここに宿泊した理由はまた明日)

取り敢えず荷物だけおいて向かったのは、「帯広と言えば?」というより「北海道土産!と言えば六花亭」と言われるほどの有名店の本店喫茶室。

そうなんです。六花亭の本店は帯広にあります。また喫茶室は北海道内に13店舗(調べました!)ありますが、折角なので本店にやってきました。写真は新製品と表示してあった「プレミアム25」と名付けられたチーズケーキ。以前「鉄」系の仕事でご一緒したことがある方が、今、帯広に住んでおられ、連絡をしたら時間があるとのことで、ここで暫し歓談することになりました。

やはり一人でこの店に入りケーキを注文するのは…、何事にも遠慮はしない私では、チト憚られます。あっ、ケーキの味ですが今までに食べたチーズケーキとは何かが違う・・・食感があり、とても美味しかったです。

その知人が私への「帯広土産」として選んでくれたのが『十勝トテッポ工房』というお菓子屋さんの「汽車ポッポサブレ」。蒸気機関車をかたどっているのがとても可愛くまたこちらも美味しかったです。因みに『トテッポ』というのは昭和50年代に廃線となった十勝鉄道の愛称とのことだそうです。

包装も可愛かったです。

「忙中閑あり」ならぬ「鉄中閑あり」で帯広に名物あり!

2013年06月16日 19時25分

りくべつ鉄道運転体験(9)ふるさと銀河線「足寄」駅。

りくべつ鉄道・銀河コースの運転体験に参加すると陸別町内の特定のお店となるのですが、商品券500円×2枚=1000円が付いてきます。また宿泊する場合は2000円分の補助もあります。私は宿泊していないのでこの商品券は、陸別駅にほど近いお蕎麦屋さん(美味しかったです)と道の駅でお土産の買い物に使いました。

さて陸別を出発し一路、帯広を目指しました。次の目的地は足寄。ふるさと銀河線の旧・足寄駅は「道の駅あしょろ銀河ホール21」となっています。

駅前にはさすが足寄!地元出身の歌手松山千春さんのモニュメントがあり、観光客の方がここで記念写真を撮っていました。私は誰かにシャッターを頼むことなく、この写真を撮影しただけです。(淋しい話し…)また道の駅の中には「松山千春」ギャラリーもあってこの町が「松山千春の町」ということを肌で感じることができました。

その道の駅の中にはここが“足寄駅”だった時代の線路が残されています。本当にここに線路があったそうですが、建物の中に忽然と現れるこの光景は違和感があるものの一方で面白さも感じました。

また「道の駅あしょろ銀河ホール21」の北側には木造時代の旧足寄駅舎を『復元』した多目的観光施設があり、そこにも線路の一部と信号機がありました。ここからは「道東道」経由であっという間に帯広到着。

旧地北線/北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線は以前、いつの頃かは忘れてしまい申し訳ありませんが、根室本線・宗谷本線のように路線の高速化により札幌~北見・網走間の都市間輸送に力を注ごうと言う具体的研究がなされたことがありました。結局、ふるさと銀河線は廃線となり今に至っています。私にとって、今回「りくべつ鉄道運転体験 銀河コース」に参加したことは「地方」というものを再度考える旅となったことは昨日書いた通りです。廃線となった線路に再び列車が走っていることは、趣味的には楽しい出来事ですが夢幻のような不思議な光景でもありました。

2013年06月15日 19時19分

りくべつ鉄道運転体験(8)松浦踏切と百恋駅。

さて松浦踏切を道路中心に見るとこんな感じ。ふるさと銀河線時代も間違いなく踏切警報機、遮断機の設置されていない第4種踏切だったでしょう。

列車が通らないためこの踏切は廃止されています。ただ踏切施設「とまれみよ」の標識もあり、右側にはりくべつ鉄道による「線路横断注意!」の看板もあります。しかし、ここは今、正式には踏切ではありません。ふるさと銀河線廃止時に、踏切も廃止されています。法律上、ここを乗り越え、更に北見側に走行可能区間を延ばすことが認可されることは可能性がゼロとは言えないまでも難しいと思われます。参考までに運転体験の起点金澤踏切は、安全確認に万全を期することで特例として“渡る”ことが認められていると聞きました。

ここ松浦踏切を超えることは出来るのでしょうか?期待するしかありません。

さて上の写真で左側に写っていた駅舎風の建物。「百恋駅」の駅舎です。今、北海道陸別町の「陸別町商工会」のHPにある『りくべつ鉄道構外特別運行!!』(運転体験ではなく乗車体験)の説明には「陸別駅~百恋駅(旧しもくんねべつ)」間の運転と書いてあります。

一方、運転体験銀河コースの説明では【金澤踏切~松浦踏切】となっています。

そもそも「百恋」の名前はここの地名ではありません。陸別町が作っているペットボトル入りの水「陸別百恋水(りくべつひゃっこいみず)」(注:ひゃっこい=ひやっこい=冷やっこい…多分)に因んでここに作ったとのことでした。それにしてもパッと見、駅???と思わせるには十分な存在感でした。

「寛斎」まで戻る列車を見送りつつ、廃線跡の利用法について考えていました。ここの運転体験料は3万円。1日最大で4名。1日の収入は最大12万円です。一方、線路の保守費用、車両の維持費用、指導運転士さんやその他のスタッフの方たちの人件費等々の費用は如何ばかりでしょう。ペイできるからやっている事業でしょうし、付帯する経済効果や取材等による町の宣伝効果も考える必要もあるでしょう。

そこで1回3万円の価値をどう考えるべきでしょうか?多くの方は恐らく高いと感じ、参加している当の私であっても好きなだけではそう簡単に払える金額ではなく、やはり覚悟が必要です。ただその金額を支払うだけの価値がここにあると思っているからこそ陸別まで来ました。

岐阜県には旧神岡鉄道跡を利用するレールマウンテンバイクがありますし、トロッコ王国美深・りくべつ鉄道のように廃線跡が利用されている路線は少数派です。

この問題は簡単に答えがでることではありませんが、地域経済の活性化への取り組みという視点も含め注目していきたいと思っています。

2013年06月14日 20時15分

りくべつ鉄道運転体験(7)「下勲祢別」駅。

ここが「下勲祢別」駅です。

周りには家が数軒見当たりますが、まあ何もないところだと言えます。ふるさと銀河線「陸別」駅と北見側の隣駅「分線」駅との間は5.7キロ。そもそもこの辺りに駅があったわけではありません。

写真手前に何となく踏切があることが見て取れますが、ここが松浦踏切。ここが運転体験の限界ですが、車両はこのギリギリまで来るわけではなく、また写真の右側に仮設っぽいホームが見えますが、実際にはそこまでも列車が来ることはなく、その先の今、列車が止まっているが終点です。

なおここ「下勲祢別」駅にも駅名標があり、そこには池田方面には「かねらん」とあり、北見方面には「ぶんせん」とありました。なるほど納得で、「寛斎」駅の駅名標を含め一貫性があり、好感が持てました。“本線”上での運転体験はこうありたいというマニアの心理をよく知っていると思ったのですが、それよりこの運転体験を支える人たちの心意気の表れとも感じました。

写真の真ん中にあるのは手作り感バリバリの出発信号機・制限時速標識。運転体験される方はその辺りも是非、楽しんでほしいと思います。

2013年06月13日 19時10分

りくべつ鉄道運転体験(6)国道242号線からの俯瞰。

国道242号線(通称陸別国道)を北見方向から陸別に向けて車を走らせていて、間もなく陸別の市街地に入ろうとした時、国道は陸橋でふるさと銀河線を越えました。

車の中からチラッと見えた線路が良い感じだったので、橋を渡りきったところで車を停め、橋の上から線路を撮影しました。(北見側から池田側を臨む)

何度も使っている「北海道らしい」という表現をまたまた書いてしまいますが、この大自然は「北海道らしい」と言えると思います。また、今回の北海道「鉄旅」で、初めて広がりのある風景に雪がなかったのを何とか表現できないかと言葉を捜したのですが上手い表現が見つからず、『北海道を“南下”し、ここまできて枯木立の中にも春の兆しを感じることがあるのを知った』という程度しか思いつきませんでした。(残念)

実はこの写真を撮影した時はここを運転体験で通るとは全く知りませんでした。あとで写真をよく見てみたらレールが少し輝いていました。この線路が使われている証左ですね。

ということで運転体験終了後、ゆっくりとここを通り抜けていくCR70-8を待ち受けて“撮り鉄”。通過時間は運転体験のスタート時間でほぼ見当がついたので精神的にはゆとりがありました。この写真の『列車』も定時運行でした。

こちらは最初の写真の撮影時に陸橋の反対側を臨んだものです。

この写真は順光となっていますが、後追い写真でこちらに向かってくる列車ではありません。勿論、折り返しの列車を待ち受けることは『あり』なのですが、リスキーなので止めました。何故リスキーか?

理由は先の写真の場所には歩道がありますが、こちら側には歩道がないためです。陸橋にあるこの場所は、北見・池田両方面の両方からのサミットになっており、もしも撮影中に北見方面から車が来た場合、恐らくその車は私を避けて反対車線ギリギリか場合によってはセンターラインをオーバーするかも知れず、対向車を確認しにくいこの場所にあっては迷惑になると考えたからです。参考までにこの写真はたまたま両方向とも視界の中に車が見えなかったので道路を横断し、シャッターを押したものです。ようするに『この場所で待っていることが危険』というのがリスキーな理由です。

話しが横にそれましたが、この陸橋をくぐり暫く走ったところが終点の「下勲祢別(しもくんねべつ)」でした。

ところで1.6キロというのはどれくらいの距離でしょう。名古屋で言えば名鉄の「金山」~「山王」間が同じ距離です。何となく見当がつきますでしょうか?少なくとも名古屋市営地下鉄で1.6キロを超える区間はありません。

2013年06月12日 19時57分

りくべつ鉄道運転体験(5)「寛斎」発「下勲祢別」行き。

りくべつ鉄道「金澤踏切」~「松浦踏切」間の体験運転区間の起点・終点にはそれぞれ池田よりは「寛斎(かんさい)」、北見よりは「下勲祢別(しもくんねべつ)」の駅名が付けられ、方向幕も用意されていました。

運転体験のためかそれとも「運転体験」開始以前から行われている同じ区間の「乗車体験」用に用意されたものかどうかまでは分かりかねますが、体験者には嬉しい工夫で、これだけで運転気分が盛り上がります。これが出来るのは所謂駅や車庫の構内での運転体験ではないここりくべつ鉄道ぐらいではないのでしょうか?駅構外の運転と言う共通点はありますが、碓氷鉄道文化村のEF63は電気機関車ですので方向幕は残念ながら似合いません。

寛斎駅舎の中にはご覧の駅名標があります。ここから池田よりの隣駅は『りくべつ』、北見よりの隣駅が『かねらん』であることが分かります。そうそう、終点の下勲祢別までの間に中間駅があるのです。この『かねらん』は地名としては片仮名のようで、運転士時刻表でそれを確認しました。

今回運転体験をして成程と思ったのがちゃんとダイヤが組まれていること。指導運転士さんが貸してくれる鉄道時計を運転台の所定位置に置いて、時間を確認(本物の鉄道同様秒単位)しながら出発時の指差し換呼を行い1722Dは『出発進行』となりました。

ダイヤで組まれた時間は、運転体験に来られる方の楽しみが減るのでここでは敢えて伏せさせていただきます。

『カネラン』駅ではドア扱いをします。この写真は私自身の運転体験終了後、次の方の体験時に撮影しました。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2013年6月
« 5月   7月 »
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!