2013年09月10日 20時26分
2013年6月17日(月)は一日ベルリン市内観光。
海外「鉄」も「鉄」だけでは勿体ない。
一度は行ってみたい観光地は世界中どこにでもある訳で、折角ベルリンに行ったのなら訪れてみたい場所は少なからずありました。というのは表向きの理由で、実は帰りの飛行機(フランクフルト発上海行き)の当初の搭乗予定日(6月18日)の便が欠航となり、1日遅れの6月19日(水)出発となったためで、ベルリンの宿泊をこれ幸いに1日延長したというのが本当の理由です。
その代わり帰国後の20日(木)以降の週末の予定は大きく変わりましたが…。
「鉄」旅が“旅”となったこの日、まず向かったのはホテルから歩いて行ける「ベルリンの壁」。
話しは少し巻戻ってこのブログの2010年7月2日UPの「1991年にシベリア鉄道に乗った目的」。この中で私はソビエト連邦が崩壊する直前のユーラシア大陸を「旅」したことを書いています。でもソ連崩壊を語るならばその前に起こった東西ドイツの統合を抜きにすることは出来ません。私はソ連を訪れた後、統一されたドイツも「旅」しています。当時、(旧)西ドイツには、(旧)東ドイツから多くの人々が流れこんでいると聞きました。しかし、西側に必ずしも仕事があった訳ではなく、例えばデュッセルドルフの街では若いホームレスもいて、厳しい寒さを逃れるため公衆トイレで寝ている姿をこの目で見ています。(その場に通訳がいたのではないのですが、驚いている私にそう教えてくれた人がいました)。
そして2013年6月17日(月)、私はベルリンの壁(イーストサイドギャラリー)の前に立ちました。そのことは本当に感慨があり、一方でここが今やメジャーな観光地となり…といった難しい話しはこれ位にしておきましょう。
こちらは「ユダヤ人犠牲者記念館」(写真は記念碑)。
※展示室の中には入っていません。
ドイツ・ベルリンと言えば「ブランデンブルク門」。
最後に5つの博物館が集まる「博物館の島」。その中でベルガモン博物館に行きました。館内は広く、また見所も多く、時間に余裕をもって出かけたいところです。(自らの反省の念を込め…)