2013年10月02日 17時59分

東日本大震災からの復興と風化(3)東松島市。

9月26日(金)、最初に話しをお聞きしたのは当時、宮城県東松島市在住だった潜水士の安倍淳さん。

写真は鳴瀬川、吉田川が石巻湾(太平洋)に注ぐところ。JR仙石線の野蒜~陸前小野間にあり、この右手方向に安倍さんの自宅と事務所がありました。安倍さんは津波がここに押し寄せてきた時は事務所におられ、また奥さんは事務所の隣にある自宅にいたそうです。津波の警報が出ているのは知っておられ、逃げることも考えたそうですが、その時は津波は川の本流である鳴瀬川を上り、吉田川の方は大したことにならないであろうと想像していたそうです。

結局、お二人は襲ってきた津波にそれぞれがおられた自宅・事務所ごと飲まれ、吉田川を逆流するように流され、写真のJR仙石線の吉田川にかかるこの鉄橋にぶつかり建物が壊れたそうです。

途中で2つの建物が近づいた時に安倍さんは奥さんを引き寄せ、仕事がら事務所に置いてあった保温防水スーツを着て僅かに残った事務所の3メートル四方の床板に乗って更に吉田川を流されて行ったそうです。

この写真は河口から5キロほど入った「三陸自動車道」から見た吉田川。ここから更に2キロほど先まで流されました。

安倍さんは仕事柄、「津波の流れが止まった次は引き潮」という知識があり、とにかく土手に辿り着いてそこを必死に上って助かったそうです。ただその際、奥さんは「土手には行かない」と言ったそうですが、安倍さんは無理やり連れて行ったそうです。

安倍さんは肋骨にひびが入り、頭も打っており入院を余儀なくされましたが退院後、今も潜水士の仕事を続けられています。

九死に一生とはよく聞く言葉ですが、実際の体験者からその話しを直接聞くと、軽々しく使う言葉ではないと実感しました。

今、安倍さんはその時の経験を要請があれば各所で話されています。その話しはここまでに書いた、津波が襲う前の行動~津波に流され~自分が助かるまでのその一部始終ですが、それは直ぐに逃げなかった自分自身の反省を伝えるためだそうです。津波の恐ろしさはただ話しを聞いているだけだったのに、私はいつしか実体験をしているかのような錯覚に陥りました。これは決して大袈裟ではありません。

そして話の締め括りは「地震が発生した時に海際にいたら、まずはできる限り高台」へという事でした。

●1枚目、2枚目の写真は、JR仙石線の列車代行バスの車内から撮影。

●3枚目の写真は、仙台から南三陸町への移動時に車の中から撮影。

 

*今回の「東日本大震災からの復興と風化」シリーズの参考書籍・HP

1)河北新報社「東日本大震災 全記録 -被災地からの報告-」2011年8月5日発行

2)気象庁HP

3)JR東日本HP

●資料提供…河北新報社



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!