2013年10月03日 21時51分

東日本大震災からの復興と風化(3)南三陸町「平成の森仮設住宅」。

JR気仙沼線歌津駅にほど近い宮城県南三陸町歌津にある「平成の森仮設住宅」を訪ねました。

それは小高い丘の上にあり、「南三陸町 平成の森」の看板が目印。ここ「平成の森」は運動場、野球場を始め宿泊施設も揃った施設で、そこにもともとあったサッカーの場所が今、仮設住宅用地をして使われています。

現在、31棟に218所帯560人が暮らしているそうです。

ここでは平成の森仮設住宅自治会長の畠山扶美夫さんにお話しをお聞きしました。

まず地震発生時、畠山さんはとにかく高台でありキャンプ場もあるということでこの「平成の森」にカメラ・ラジオを持ち出してここに避難。更に寒い時期という事もあり、コート・薬を家に取りに帰ったそうです。

しかしここは指定避難場所では無かったこともあってか、期待に反して救助が直ぐに来ることはありませんでした。3日目にとにかくここに多くの人がいることをまず知ってもらおうと、今、仮設住宅が建っているサッカー場にSOSと大きく書き、そしてそれを見つけてくれたのは米軍のヘリでした。「ハングリー、ウォーター…」とお願いしたところ、暫くして毛布・缶詰・水を持って米軍が飛んできてくれました。

しかし、十分とは言えない救援物資の量は暫くしてここにいる人による取り合いとなり、その状況を打破するため(避難者の合意により)自治会を立ち上げ、それがここに仮設住宅が出来た後も続いています。

お話を聞きつつ、私は災害による非常時にこそその場に即応してリーダーシップをとり、また避難者を平等に対応できる人(達)の必要性を感じましたが、自分自身がそうした行動がとれるかどうかを考えていました。

ところで畠山さんの話の中で印象的だったのが2点。

まずANAから4月末から提供された航空機除雪車のボイラー機能を利用した風呂は本当にありがたかったそうです。降雪時に飛行機に着いた雪を融かす水が、いわゆる水ではなくお湯であることを恥ずかしながら初めて知りましたし、その車を使った被災者支援が行われていたことも初めて知りました。

また避難所では時間の経過により必要なものが変わってくるとも聞きました。最初は生きるために必要な食べ物・水・防寒具などですが、次には病人、例えばノロウイルスの様な食中毒を出さないため、使いまわしていた食器から清潔な食器にするとか、また清潔なシーツの使用などが挙げられました。

この「平成の森 仮設住宅」には住民が集まる「カフェ」もあります。既に出来て2年が経っていますが、ここに来れば誰かいるという事でお年寄りたちの憩いの場であり、孤独にしない場にもなっていると聞きました。

(参考)この地区の津波はJR歌津駅周辺で15メートルでした。

ところで地震発生から暫くの間の情報源はラジオだけだったそうです。とにかく乾電池で聞けるラジオと強調されました。災害への備えとして、何度も言われている「ラジオ」の必要性ですが、私自身、土曜日に家に帰って乾電池式ラジオの音が出るかどうかを確かめました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!