2013年10月07日 22時02分

東日本大震災からの復興と風化(7)大川小学校。

宮城県南三陸町から石巻市へ移動。

日本で一番長い鉄道橋は東北新幹線「第1北上川橋梁」というのは聞いたことがあっても、その北上川が宮城県石巻市で海に注いでいることは知りませんでした。

その河口から数キロ上流の川沿いに「大川小学校」はあります。この場所は標高1メートルとのことで、ここで全校児童108名の内、74名と教職員10名とスクールバスの運転手1名が死亡・行方不明となりました。メディアに大きく取り上げられた被災地の一つです。

ここではお子さんを亡くされたお母さんと、お子さんが助かったお父さんの2人の方のお話を聞くことが出来ました。

大川小学校では地震発生後、30分以上も児童は校庭に留まり、逃げ始めた時に津波に襲われ、その結果多くの犠牲者を出したことまでは知っていました。しかし、今回保護者の方から本当は助かった命だったかもしれないことを聞きました。でもまだ石巻市教育委員会・文部科学省による真相究明は途中段階で、結論は出ていません。

 

(保護者の方の話からほんの一部のみ抜粋)

1)危機管理マニュアル…(そもそも)震度6弱以上を観測した場合は、原則として保護者引渡し(保護者が子供を迎えに行く)とするとの記載あり。

⇒マニュアルの存在は保護者には伝えられておらず、先生も知らなかった可能性が高いとされている。市内の他の小学校ではそのマニュアルに沿った引き渡し訓練も実施していた。

なお津波発生時にどこに避難するかの具体的な記述はなし。

※大川小の保護者の多くは「学校が避難させていると考え、安心していた」そうです。

2)児童から「非難したい」の申告…生存した児童が保護者に話したのは、他の児童から「ここにいたら死んじゃう」という声が上がっていたのを先生が押しとどめ、そのまま校庭にいたという事。しかし教育委員会の聞き取り調査報告には、こうした児童の証言の記載はされていなかったそうです。

それ以外にも生き残った児童と教員の証言には食い違いがあるそうです。

分かりにくいかもしれませんが、赤い矢印の高さが津波の水位です。子供たちはここの斜面は何度も上がっているそうで、何故この斜面に避難しなかったのでしょう?

今、保護者の方が望んでいるのは(学校の責任論もあるが)「その時、どんなことがあったのかの事実を知りたい。それを元に同じようなことを2度と起こさないようにしてほしい」ということだそうです。

 

私はまず自分の子供たちが通っていた学校の危機管理マニュアルをどれだけ知っていたかを省みてみました。地震・津波だけが災害ではありませんが実の所考えたこともないし、何も知りませんでした。

保護者の方は「被災時の真実がわかるまでは、東日本大震災は私たちの中では終わりません」と締めくくられました。メディアに属する人間として、その時の行政の責任追及にとどまらず、その時何があったかをきちんと伝えていくことの必要性、それこそが災害発生時の住民の命を守っていくのだという報道の責任を問われているような気がしました。

なお今回お聞きした話は地元メディアでは伝えられていますが、全国レベルでは伝えられているのでしょうか?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!