2013年10月10日 21時40分
浦宿からひと山越えた先の女川の市街地。そこには何もありませんでした。
地形によって津波の被害は本当に差があります。津波の被害をあまり受けなかった浦宿から女川までの距離はJRで2.5キロですが、それ以上の遠さを感じました。JR石巻線「女川」駅はこの写真のほぼ中央にあったはずですが今は整地されてどこに駅があったかすらわかりません。JR石巻線女川駅は内陸部に移設され復旧されるそうですが、時期についてはまだ明言されていません。
上の写真にも少しだけ見えていますが、この横転した建物は昭和55年に作られた「女川交番」。
市街地のあったこの地域には“震災遺構”として今、3つの建物が残されており、それぞれの場所には建物の解説をした案内板も設置され、被災地の現状を知ることが出来ます。
この女川交番には「原位置付近で転倒しており、津波の引き波により転倒したと考えられます」とありました。
「女川サプリメント」。昭和40年代の建築と推定されており、震災までは商業店舗として利用されていたとのこと。この建物も津波の引き波で転倒したそうです。
先の女川交番と合わせ、押し寄せる「津波」の力で倒れたのではなく「津波の引き波」の力で倒れた建物が実際に残っている事例は少なく、貴重な震災遺構として後世に伝えられないかと言う声も多いそうです。
※「引き波」が原因とされているのは、建物が海側に倒れているからだそうで、確かに稀有な例なのでしょう。
こちらの建物は「江島共済会館」。昭和50年代の建築と推定されており、津波により元の位置から10~16メートル移動しています。土台部分から根こそぎ持っていかれたことが本当によく分かります。
ここ女川の街では観光バスで視察(見学?)に来ておられた団体さんも見かけました。所謂『観光』とは別物でしょうが、地震国であり津波に見舞われることのある「日本」に暮らすものとしては「被災地観光」という選択肢はあっても良いと思っています。