2013年10月22日 21時55分

赤川鉄橋(赤川仮橋)への道。

 

今話題の大阪市にあるJR貨物城東線「淀川橋梁」。通称の「赤川鉄橋」の方が地元の方、「鉄」ちゃんには通りが良いでしょう。

そこに向かったのは10月17日(木)。突発的に休みが取れたので躊躇なくそこを目指しました。

午前中に訪れたところはまた改めて書きますがそれはともかく、JRの「大阪駅前」を12:58発の大阪市営バス34系統「守口車庫前」行きに乗車し、20分ほどで「赤川三丁目」に到着。出かけるまではこの移動が結構心配の種だったのですがバスは10分も待たずに次々来るのでこの点はホッとしました。

バス停から赤川鉄橋までは歩いて10分もかからないはず。ノンビリと商店街を抜けて行きました。

※食堂や喫茶店もあり、そこに入ればトイレも使えます。(大切なことです)

なお赤川鉄橋の近くにはトイレを借りられそうな場所は無さそうでした。

「おおさか東線」の工事現場を横目にひたすら歩きます。

と、突然目の前にバス停!「聞いてないよ」状態でしたが、京阪バスの「都島区」内を走るバスで、「赤川3丁目北」には地下鉄都島駅(谷町線)からアプローチは出来るのですが何せ1時間に1本で、現実的にはやはり「大阪駅前」からのバスが便利です。

いよいよ「赤川鉄橋」が見えてきました。自転車の方が坂道を登っていました。

列車の通過までまだ30分以上あるのですがもう先客の姿が見えました。

2013年10月21日 20時36分

東日本大震災からの復興と風化(20)鉄道が繋ぐ。

「浜吉田」16:14発の「仙台」行きは「名取」着16:39。

名取発16:40の快速はホーム反対側からの出発とあって余裕で間に合い、走り出した電車は津波で水没したトンネル区間を通り過ぎ、その直後に仙台空港駅が目に入ってきました。

9月25日(水)に仙台空港駅から電車に乗った時とは全く違う想いが胸を去来していました。

金・土の2日間、被災地を回ったことで私の中の「風化」を思い知らされたからかもしれません。

9月27日(金)の「仙台」駅。煌々(こうこう)と輝くその姿は「復興」を感じます。でも仙台の街を少し離れればとても「復興」とは言えない現実が横たわっています。どちらも今の宮城県です。

「忘れない」だけでは記憶は「風化」すると思います。私が今回書いた20回は、せめて自分自身の記憶の風化を一時的でも止めるための選択でした。

長い期間お読みいただいたことに感謝します。

2013年10月20日 20時33分

東日本大震災からの復興と風化(19)ボタン式半自動ドア。

「東日本大震災からの復興と風化」というテーマからは全く離れますが、今回の宮城県の「鉄」旅で、どうにも慣れなかったのがボタン式の半自動ドア。

車体の外のドア横にはボタンがついており、停車中にボタンを押すと扉が開きます。

ポチッと押すだけですが、ドアの前で「何でドアが開かないのだろう?」と思ったことは何度かありました。

車体の外は「開く」ボタンだけですが、車内には「開」と「閉」があり、当たり前ですが「閉」のボタンを押せばドアは閉まります。

冬の寒い時期にドアを閉じるのは分かるのですが、私が乗車した暖かい日でも乗客の皆さんは、乗れば「閉」。降りる人がいなくなれば「閉」。きっと習慣なのですね。

2013年10月19日 20時26分

東日本大震災からの復興と風化(18)浜吉田駅の千羽鶴。

津波の被害は受けたものの比較的軽微だったと聞いた「浜吉田」駅。

ここから南の区間の常磐線代行バスは「亘理」を起終点にしていますが、「浜吉田」のバス停は「駅」とは少々距離があるような感じがしたのでその乗車は諦めました。

さて折り返しの電車は16:14発。時間があるので駅前に出てみました。

そして駅に入ったところで窓口の左側にレインボーカラーの千羽鶴を見つけました。

「浜吉田駅 運転再開記念」。ここで暮らす人々の想いがつまった千羽鶴に胸が熱くなりました。

常磐線の復旧は進んでいません。でもここには“復興”がありました。

2013年10月18日 20時16分

東日本大震災からの復興と風化(17)仙台駅から常磐線浜吉田駅を目指す。

仙石線「仙台」駅に15:09に到着。地下ホームから地平を越え、2階通路を突っ切り中央口を出てコインロッカーにまっしぐら。3泊分の荷物を持って代行バスに乗ったり女川の街を歩くのは大変だろうと考え、荷物は当然コインロッカーです。この選択は自分でいうのも何ですが良かったと思っています。

15:19発の常磐線「浜吉田」行き250Mにはぎりぎりで間に合いました。実の所、仙石線から常磐線への乗り換えは10分もあればOKですが、改札を出て…となればそうはいかず、ほぼ1時間後の16:13発の電車でもしょうがないと半ば諦めてはいました。

常磐線は今も2つの不通区間があります。東京寄りの「広野」~「原ノ町」間とここ仙台寄りの「浜吉田」~「相馬」間です。

「浜吉田」には15:58の到着。駅名標にはやはり隣の駅の「山下」の名はありませんでした。

北隣(仙台寄り)の「亘理」(わたり)から「浜吉田」まで1駅の復旧は今年の3月。こうして電車が発着するまでに震災から年の歳月が必要でした。

9月28日(土)、花が咲く線路。

「浜吉田」から南に向かう線路に列車が走ることはこれからもありません

常磐線の復旧にあたり、JR東日本ではここから「新地」駅近くまで線路を山側に移設する計画で、「浜吉田」を出てすぐ右にカーブしていくことになっており、来年(2014年)春の着工を目指しています。合言葉は「この先へ!→」。

2013年10月17日 20時12分

東日本大震災からの復興と風化(16)高城町駅。

「高城町」駅。14:28発の3456S快速「あおば通」行きに乗車。結構忙しなく(せわしなく)写真撮影に勤しみ(いそしみ)ました。

※3~4~5~6の連番は何となく嬉しくなります。私だけ…、ですね。きっと。

この駅は上下線とも使用されています。ただこれだけ草が茂っているとそうは見えません。

駅名標の本来「手樽」と書いてある場所は…。

「高城町」から「石巻」に向かうレールが銀色から赤に変わったところにある出発信号機。何故か赤く点いており、でもこの信号機が青に変わるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

ところで出発信号機が生きているのは、ATSと連動させてこの駅から「手樽」側に入線させないための手段だと思いますが、考えてみれば不思議な光景です。

(トイレ付)205系電車の車体の下には草が生えていました。ここまで極端な状況となってくるとただただ心が切なくなっていました。

2013年10月16日 20時08分

東日本大震災からの復興と風化(15)仙石線列車代行バス。

「陸前小野」13:44発の代行バス。2台運転でした。でも車内はそれほど混んではいませんでした。

ところで代行バスが「陸前小野」を起点にしないのはバスの折り返しスペース確保の問題と思われます。陸前小野の駅前は大型バスの乗り入れは少々難しそうです。

仙石線「野蒜」駅。

「陸前小野」(というか10月2日にUPした鳴瀬川、吉田川橋梁を渡った場所)から「陸前大塚」までは内陸に線路が移設されるため、この駅舎が駅として使われることはもうなさそうです。建物はちゃんと残っているのに…と思ってしまうのは感傷的に過ぎるでしょうか?

14:13(定刻14:10)、「高城町」でバスを下車。ここから「高城町」駅までは歩いて10分弱。

「高城町」の駅前はとても狭く、バスは入れそうにありません。だからお隣の「松島海岸」が代行バスの起点(終点)になっているのですね。

(参考)

「石巻」から「仙台」に仙石線で向かう際、石巻駅の駅員さんからは「矢本・松島海岸で乗り換えて下さい」と言われたので、「陸前小野」や「高城町」で乗り換えてはいけないかと思ったのですが、乗車券があればNGということではなく、特に「高城町」は距離があって分かりにくいということもあったようです。

2013年10月15日 20時06分

東日本大震災からの復興と風化(14)陸前小野駅の今。

「陸前小野」で代行バスに乗り継ぐ場合、列車は13:35着でバスは13:44発。バス乗り場は駅から徒歩1分とのことでしたので、駅で少し撮影していました。

「陸前小野」駅から仙台方面に少し行った先では復旧工事中。線路上にショベルカーがいたのに気付きました。(昨日の記事の続き)

仙石線「陸前小野」~「高城町」間は2015年中の運転再開を目指しています。「この先へ!→」まではまだ2年ほどの時間が必要なようです。。

仙石線の代行バスの運転区間は鉄道の不通区間とは一致していません。乗換駅は、「矢本」(「陸前小野」の2駅石巻寄り)と「松島海岸」(「高城町」の1駅仙台寄り)となっています。

そのためか「矢本」ではそこそこのお客さんが下車していきましたが、「陸前小野」の利用客はそれほど多くなく…と書きつつ、思ったより利用者がいると思ったのも事実です。

停車する気動車の足元から始まる赤いレール。このレールの色を変えるのはきっと電車でしょう。

2013年10月14日 18時36分

東日本大震災からの復興と風化(13)気動車で仙石線を行く。

9月28日(土)、「石巻」発13:15の7336D(右側の車両)に乗車。

まさか仙石線で列車番号に「D」のつく気動車に乗る事態がやって来るとは夢にも思ってもみませんでしたが、取り敢えずの復旧方法としてJR東日本がとったこの選択は正しいと思います。

キハ110-240とキハ110-244の2両編成の車両は、もともと陸羽西線(余目~新庄)・陸羽東線(新庄~小牛田)に投入されたもので、専用の塗装と先頭車前面の「奥の細道」、ドア横の「Mogami-gawa Line」が目を引きます。

今こうして仙石線を走る姿は本来の姿ではありません。気動車が仙石線を走らなくなる日が1日も早く訪れるのを願わずにはいられませんでした。

現時点の「石巻」からの終点「陸前小野」に到着。この駅は交換可能ですが、今は左側の下り線しか使っておらず、右側の線路は錆びついています。

「陸前小野」駅のホームから見た仙台方面。この続きは明日…。

2013年10月13日 18時39分

東日本大震災からの復興と風化(12)石巻駅の美女。

石巻駅に12:50着。

ここで仙石線に乗り換えですが13:15発なので暫く時間があり、ここで一旦下車して駅の外にでました。

駅の中も外も石ノ森章太郎氏のキャラクターに溢れており、駅前のポストの上にも…。

駅に戻ると丁度、小牛田からの1635D「マンガッタンライナー」が到着しました。(13:10)

私は事前学習が行き届いておらず、「マンガッタンライナー」の到着に合わせ、こんな素敵な笑顔が出迎えてくれるとは知りませんでした。週末のヒロインに出会えたのは日頃の心がけの良さの賜物でしょうか?あと2~3分仙石線のホームに行くのが早ければOUTだったのは間違いありません。(撮影&ブログへの掲載の了解を得ています)

また「マンガッタンライナー」の乗客には「乗車記念証明書」も配布されており、小牛田から1631Dに乗り、石巻駅で下車せず浦宿まで素通りした私はこれも知らず、事情を説明して1枚頂きました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!