2013年12月22日 20時00分

JR烏山線(3)烏山駅点景。

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駅のホームにドンと目立つ看板。これを撮影したのは「山あげ祭」というのは何となくそういう祭りがあるのだろうと分かったのですが、「若鮎」というのが栃木の山間部の町と結びつかなかったからです。でも数時間後にはこの謎が解けることになったのですが…。

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烏山駅を正面から見ると、昭和の時代なら「良く見かけた風景だな」と感じました。駅前の車が平成なのを除きそのままタイムスリップ感覚で昭和を楽しめました。

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駅の改札口というか集札口には「カエル」がお出迎え。

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「無事カエル」はお尻から見ても正面から見ても可愛いですね。(お尻を先にUPしたのはそっちの方が可愛いと思ったからです)

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更に駅舎の(駅正面から見て)左隅には腕木式信号機がおいてあります。

地方の小駅と侮るなかれ。ここだけで20分は楽しめます。

2013年12月21日 20時57分

JR烏山線(2)駅長室。

宝積寺(ほうしゃくじ)、大金(おおがね)と日本人にとっては縁起のいい駅名がある烏山線。

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おおがね(大金)駅の駅名標だけは何とか撮影することに成功しました。

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終点の烏山駅に到着。

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ここ烏山駅は「毘沙門天」駅ということで勇ましいイラストの毘沙門天様の説明と町の観光案内の看板がありました。

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駅の待合室にある「顔出し看板」。目出度い写真が撮れそうです。

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「駅長 STATION MASTER」の案内。何とも風情があって昭和の駅を感じさせます。私の好きな風景です。

2013年12月20日 21時52分

JR烏山線(1)七福神のキハ40形。

(宇都宮~)宝積寺~烏山を結ぶJR烏山線はキハ40形で運行されています。

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JR色と旧・国鉄色の2つの車体色がありますが、共通なのは世にも目出度い「七福神」のイラストが施されていること。キハ40 1009は七福神の全員が揃った絵柄。

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キハ40 1004は「大黒天」。

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キハ40 1005は「恵比寿神」。恵比寿様の正に『恵比須』顔が可愛い。(神様に可愛いと書くとは…と叱られそう…)

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2013年11月9日9時12分頃。いよいよ私が乗車する9:18発の宇都宮発烏山行きが入線してきました。

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上にあげた1009+1005の2両編成でした。こういうイラストトレインについては賛否両論あるのは承知しており、折角の国鉄色ならそれだけの方が良いということもあるでしょう。

でも私自身は「乗る」楽しみの一つにはなると思っており、無下に否定することもなかろうと考えています。

2013年12月19日 21時12分

沖縄から宇都宮へ、そして(4)グルメな日々。

平成25年11月8日の宇都宮での晩御飯は当然のように餃子。

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タイトルの「そして」は、食べ物のことを意味しており、私のブログの国内編では極めて珍しいグルメバージョンです。と言ってもそんな高級なものが出てくるわけではなく、極めて庶民的な餃子です。

日本全国、どこにでも「鉄」旅をする私ですが、何せ毎度1人旅なので地元の名物には正直、縁がありません。特に海産物系は、あの北海道・江差でも断念したほどです。

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こちらは11月10日に泊まった茨城県勝田市(ひたちなか海浜鉄道に乗りに行った)の名物「勝田あんぱん」。駅の構内(改札口の目の前)にある「ハースブラウン」というパン屋さんで買ったもので、パンの真ん中にある「勝」の文字が縁起が良いと評判なのだそうです。このパン屋さんに入ったのは、食後のデザート代わりに何か菓子パン系で「美味しそうなものがあったらいいな」という乗りだったのですが、まずは正解でした。因みに11月10日の晩御飯は4人しか座れない焼き鳥屋さんでした。これがこれで凄いでしょ。

 

2013年12月18日 20時47分

沖縄から宇都宮へ、そして(3)E5+E3+E6=コンデジ。

次世代型路面電車(LRT)の整備の検討されている栃木県宇都宮市。

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その玄関口のJR宇都宮駅西口はペデストリアンデッキが整備されており、この下がバスターミナルになっています。

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ペデストリアンデッキの西端から東武宇都宮方面を見てみました。土曜日の朝7時半頃とあって道路は閑散としていますがバスが連なっているのが見てとれます。LRTには反対派も多く、予断を許さない状況ですが、民営バスのドル箱路線を調整し、公共交通は市民のためにあるという原点で話しが進展することを祈るばかりです。

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宇都宮駅で待ってまで狙った1枚。

午前8時7分。「やまびこ206号」を追い抜く「はやて102号」。2列車ともE5系と組んでいるのは「こまち」車両で、この写真では新旧揃い踏みのはずですが、「はやて」のE6が確認しづらいですね。

ところでこの写真はコンデジでの撮影。狙ったところでシャッターが下りる時代が来るとは驚きです。もっともそんなカメラが出たから一眼レフをメインカメラにしていないということもあります。

2013年12月17日 20時41分

沖縄から宇都宮へ、そして(2)朝が来た。

JR「宇都宮駅」直結のホテルに宿泊。朝起きて窓から外を見たらそこには驚きの光景が!!

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宇都宮を7:10に出る東京行き「なすの262号」。何だか得した気分です。

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E5系も通っています。

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EF65、EF81が見えたりもします。

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ホテルから見た朝日。別に何ということは無い日常の風景なのですが、やはり清々しい気分になります。鉄道だけが見えるホテルではありませんでした。(6:37頃撮影)

2013年12月16日 20時23分

沖縄から宇都宮へ、そして(1)目指せ!浜松町。

平成25年11月8日。もう一か月以上前のことになってしまいました。

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さてこの日、那覇空港にはB747がいました。もうすぐこの姿も見られなくなるんですね。ということはさておき全日空ではなく12:45発の日本航空で羽田へ!修学旅行の高校生たちで満席でした。

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東京モノレール「羽田空港第1ビル駅」から乗った区間快速は一番前の運転士さんの直ぐ後ろの1人席が空いており、「やったぜ!」とばかりに陣取りました。

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その席だから撮影できる写真はある訳でラッキーでした。

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モノレールのすれ違いも停車中のみならず走行中もGET。本数は多いので直ぐに撮れるかと思っていたのですが、意外や意外で手こずりました。

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浜松町に到着。そもそもこの風景を眺めるのは初めてかも?なぜならこれまで羽田空港を使うことが殆ど無かったからですが、「羽田空港第1ビル駅」でモノレールを待っていた場所が良かったのでしょう。(端っこは端っこなのですが先頭か最後尾かも知らずにいました)

2013年12月15日 21時57分

午年(うまどし)ドニチエコきっぷ。

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毎年恒例の名古屋市交通局「年末年始特割ドニチエコきっぷ」が、今日から使えるようになりました。

来年の干支が午年(うまどし)ということで絵柄が東山動物園にいる「チャップマンシマウマ」となっています。

個人的には干支という東洋の中にアフリカのシマウマというのは…。

2013年12月14日 21時30分

「旅と鉄道」増刊、種村直樹さんの特集。

種村直樹さん

「旅と鉄道」という雑誌は、「鉄道ジャーナル」から出ていた時に創刊から何年かは買い続けていました。他の鉄道誌に比べ「旅」によった内容で私のような“ライト鉄”には居心地がよかったことが買っていた動機でした。

今回、久しぶりに買った理由はレイルウェイ・ライター40周年記念「種村直樹の鉄道旅行術」という特集内容だったから。

もうそんなに経ったんですね。実は私の鉄道趣味が社内に認知されるようになったのは種村さんのおかげでもあります。

話しは今をさること30有余年。昭和55年(1980年)に遡ります。

その年の春休み。種村さんと読者の皆さんが日本最西端の駅・国鉄平戸口から日本最東端の駅・国鉄東根室駅かで普通列車を乗りついての旅をしました。(当時は夜行鈍行が結構残っていました)

その模様を通り道となるNNN(日本テレビ)系列各社が取材をし、それを毎日各局リレー方式でニュースにしたら面白い!という企画書を書き、日本テレビに出しました。そうしたらその企画書が日本テレビのドキュメンタリー番組のプロデューサー・ディレクターの目に留まり何と30分番組×2回と言う大盤振る舞いで放送することになりました。題して「日本列島西東 鈍行列車春の旅」。社会派ドキュメンタリー主体であり硬派で知られた「NNNドキュメント’80」でこんな軟ネタが放送されるなんて、最初に話しを聞いた時には天にも昇る気持ちでした。そしてこの番組のカメラマン(当時は16ミリフィルムの時代)として、一部区間ではありましたが参加させてもらい、初めて種村さんにお会いしたのは山陰本線浜田駅でした。

その後、何度かお会いする機会に恵まれ、年賀状のやり取りが続いています。何はともあれ40周年、おめでとうございます。

2013年12月13日 20時59分

新橋駅のクリスマス2013。

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2013年12月10日(火)は東京出張。仕事を終えた私は新橋駅前のC11292に会いに行きました。

すいません。話しを作っています。わざわざ行ったのではなくたまたま新橋で仕事をしていました。

丁度18時だったので汽笛の楽しみも。もっともこの時間にここにいられたのは偶然で、意図的に時間を調整したわけではありません。(嬉)

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前の写真と比べて下さい。イルミネーションの量が違います。面白いですね。スマホのカメラで撮っていたのでタイミングを合わせるのに少し苦労しました。

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運転台にはサンタの機関士さん。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!