下館駅らしい瞬間を狙い、水戸線列車との並びを取ろうと思ったのですが(と書くともっともらしいのですが、入線に気付いて)、シャッターを押すのが少し早すぎました。もう1秒遅くても良かったですね。
前々日にJR宇都宮駅で購入した「SL整理券」を握りしめて乗ったのですが、気抜けするほど車内はガラガラ。ひょっとすると朝の地震の影響が少しはあったのかも知れません。ただ窓外の田園風景を静かに眺めるには丁度良かったのですが…。でもこれでは運行経費を賄えないのではと心配になるほどででした。
水戸線の上り小山方面行の列車到着遅れの影響で下館を少々遅れて出発。真岡駅には3分遅れの11:07に到着しました。私のSLもおか号の乗車はここまで。
駅の近くから茂木へ向かうその出発を見送りました。
11月10日朝7時37分、茨城県南部を震源とするマグニチュード5.5の地震が発生しました。
栃木県真岡市は震度4で、その時、私は泊まっていたホテルのエレベーターの中にいました。ガタガタと揺れる箱の中に響く「避難」を呼びかける自動アナウンス。それを聞きながら何とも言えない無力感と恐怖感に襲われていました。
関東の鉄道が一時ほぼ全面的にストップし、その後運転されているようでしたが、真岡鐵道の様子を取り敢えず見に行くことにしました。
SLの車両基地ではC1266の出庫準備が行われていました。(8:10頃撮影)
そして8:56、いよいよ本日の運転に向けて動き始めました。
まずは客車の先頭に連結。
次に転線。一旦下り茂木方面の本線に出ます。時間は8:59でした。
11月9日(土)は「SLもおか号」の運転日。
ということでいつもはモオカ14形で運転される定期列車が客車列車で運転されます。
16:32。DE101535に牽かれた列車がその姿を現しました。SLが先頭でなくとも、これはこれで国鉄末期のローカル線の雰囲気…、と書きつつDE10の客車列車に私自身は乗っていたのだろうか?と疑問が出てきました。やはり乗っていなさそうです。あっ!釧網本線で「くしろ湿原ノロッコ号」がありました。(2012年07月20日にUP)
列車が到着したホームの茂木側に1両のディーゼルカーが到着。いつもは下館から茂木まで直通運転されているのですが、「SLもおか号」運転日は、ここで客車⇒ディーゼルカーに乗り換えです。
そして16:36発の茂木行きが出発後、SL列車は車庫に入るため、16:38頃にホームを離れて行きました。
駅を出たところで停止。
側線に入ってきました。SLの火が落とされていないので、この一連の様子は結構気に入りました。
茂木での折り返しは発時刻が15:52なので7分の時間を使って外に出てみました。
日没までにはまだ時間があるはずなのに既に町は夕闇に包まれ始めていました。
直ぐにホームに戻り転車台を撮影。「SLもおか」号の運転開始以降に作られたとのことで、大井川鐵道「新金谷」駅の転車台を思い出していました。
「西田井」(「にしだい」と読みます。難読駅と言いたい)で下り列車と交換。真岡鐵道に転換されてから交換設備が復活した駅です。そのためか一見両開き分岐器で上下線に振り分けられたホーム配置なのですが、何故か真岡駅方にある分岐器は片開きです。
真岡駅には16:30に到着。後はホテルに直行する予定だったのですが…。(続く)
11月9日(土)、那珂川清流鉄道を後にした私は次の目的地、真岡鐵道を目指しました。
烏山から真岡へは鉄道であれば、宇都宮~小山~下館~真岡とグルっと回らなければなりませんが、烏山から真岡方面へは那須烏山市営バスが結んでいます。写真で手前に停まっているマイクロバスがそれですが、写っているのは朝10:15発のバスで、実際に乗ったのは烏山駅前発14:40のバスです。(これぞ「鉄」の抜け道)
真岡鐵道市塙(いちはな)駅には定時の15:24着。途中で交通事故渋滞があり、数分の遅れがあったのですが、何せ途中から私一人のための貸切状態だったのでいつも間にか定時に戻っていました。
市塙(いちはな)駅からは1974年(昭和49年)11月8日以来の国鉄真岡線の乗り直しをすることにしました。
※40年前は今回とは逆方向で、茂木駅から烏山駅に向かう国鉄バスに乗りました。
この列車は市塙(いちはな)駅発15:34の茂木行きではなく、ここで交換の15:35発下館行き。
そして15:45、茂木に無事到着!
恐らくミニ鉄道が動いていない日に小さな子供さんが来ても楽しい場所ではないでしょう。何せここにある車両の多くは、地味であり、かつそもそも趣味の対象とする人もあまり多くは無いでしょう。
と、けっこう言い切っていますがあながち的外れとは思っていません。でも、ここにある(動く)車両の価値はプレイスレスです。
車運車「ク」にはちゃんと車が乗せられています。こんな小技も楽しい那珂川清流鉄道です。
またラッセル車もこんな感じで見られます。
恐らく当面は保存車両が増えていくと思われます。ボランティアによる鉄道車両(鉄道施設)の保存活動の盛んなヨーロッパでもここまでユニークな“鉄道”はあまりないのではないでしょうか?私にとってまた行きたい“鉄道”が一つ増えました。
※ここの課題は誰が考えても直ぐに思いつくであろうこれからの継続です。私のとっても個人的な意見ですが、入場者数が増せば済むとは思えず、こうした「文化財の保護」形態に共感できる人が、きっちりと支えていくことが必要でしょう。