中京テレビの(*^^)vじゃなくて顔として、なんと35年間もレギュラー番組の出演者として出続けてきたきくち教児さんが今日、卒業されました。最初のレギュラー番組は「ズームイン!!朝!」の中京テレビのキャスターで1979年(昭和54年)のこと。その後、「どれみふぁサンデー」・・・「教児のおめざめワイド」・・・とズーっと続いて最後は「4U」(毎週金曜日放送)の司会でした。
私個人として最初に彼と仕事で接したのは実は「鉄」絡み。1980年(昭和55年)8月24日(日)に名鉄知多新線内海駅で国・私鉄完乗したその日、私は「ズームイン!!朝!」の取材を受けており、翌25日(月)にキャスターとゲストという立場で初めて会話をしました。それから暫くして昭和57年に私は報道部から制作部に異動。最初に担当した番組が「どれみふぁサンデー」で、新番組の立ち上げでもあり、司会のきくちさんとがっぷり四つの仕事をしたのがいい思い出です。
その後、私は「ズームイン!!朝!」を担当した時もあったりで、何かと縁がありました。タメ年だったこともあり今もフランクな付き合いをさせてもらっています。さて一口に35年と書いていますが、一つの放送局で、それも様々な番組のレギュラー出演者であり続けたのは本当に“偉業”だと思っています。何せ、番組は始まることもあれば終わることもあるわけで、それでも出演番組が途切れなかったのは放送業界では異例中の異例、奇跡と言っても過言ではないでしょう。
ところでここまでは「きくちさん」と書いていますがいつもは「教ちゃん」と呼んでいます。最後に「教ちゃん、お疲れ様。そしてこれからも宜しく」。
西大垣駅舎も好ましい姿を今に留めています。
これでポストが丸型から文句なしだったのですが…。
3月22日の運転体験は504(Tc)+604(Mc)の2両編成。で、私が乗務したのは604でした。
制服・制帽が貸してもらえ、その格好での運転だったのですが、だったら白いYシャツを着てくれば良かったと思っても後の祭りでした。(残念)
駅構内を行く504+604。こんなところを走っています。ところで車内で順番待ちをしている時に養老鉄道の人から聞いたのですが、McとTcでは、やはり運転の感じが違うのだそうで、今回、私はMcエンドでの運転でしたが、次に参加したとすればTcエンドでの運転になるように調整されるとのことでした。(参加者共通)それにしても全長40メートルの運転体験は日本でもここだけでしょうか?
目的地は西大垣駅隣接の養老鉄道大垣車庫なのですが、とりあえず大垣まで向かいました。
そうすると揖斐からの電車と大垣駅直前で併走。電車は手振れ+ピンボケですがまあ雰囲気という事でお許しを。
時刻表をよく見るとこのシーンはありえないことではないものの運が良さそうな感じがしました。
11:14、大垣に定時着。JRへの乗換口をちらと見て外に出ました。
大垣へは仕事や樽見鉄道の運転体験だったりで何度か通っており、その際、養老鉄道の駅舎自体は何度も見ているのですが、この前撮ったのはいつだったっけ?
さて大垣まで行った理由…ネットで調べたところ、西大垣駅前で昼食を摂れるところが無さそうだったので昼食を食べるためでした。
大垣駅発11:45に乗り、西大垣へ。一見複線での行き違いの様ですがそんなことはなく、よく見れば電車の尾灯がついており、この線が引き上げ線だと分かります。
この写真は西大垣駅の「大垣行き」ホームから「大垣方面」(下り方面)を撮影したモノ。下り線から本線への合流は何とホームを切り欠いて分岐器が設置されていました。面白い線路配置だと思いました。
上り桑名行きの到着を待って出発進行!
養老駅から一駅進んで「美濃高田駅」。
その駅名標は養老鉄道でもここだけ(のはず)の何やら楽しげなイラスト版。これは中京テレビの「PS三世」と養老鉄道をのコラボレーションにより実現したもので、レギュラー出演者の高田純次さんの67歳の誕生日企画によるものでした。勿論デザインしたのは高田さん本人です。何故この駅だったのかについては言うまでもなくご理解頂けたと思います。ただこの駅名標は3月23日(日)までの期限付きで、今は無いはずです。
養老鉄道きっての難読駅と言っても過言ではない「美濃青柳駅」。普通に読めば「みのあおやぎ」ですがここでは「みのやなぎ」と読みます。「青」い「柳」をただの「やなぎ」と読む理由は分かりません(私が調べていないだけです)が、普通は読めないと思います。
養老駅の駅名標はひょうたんのオブジェ風。
昨日は植物名という事で「ヒョウタン」とカタカナにしましたが、これは「ひょうたん」とやはり平仮名が似合いますね。養老町の地名の由来とか説明しないと何故ここにひょうたんがあるのかは分かってもらえないでしょうがそこはご容赦を。
養老駅の駅舎は、今の利用客数を考えれば随分立派に見えますが、自家用車の時代が到来する前の時代、東海地方きっての観光地「養老の滝」に向かう人たちは、観光バスでなければここに降り立っていたはずで、それを考えればこの大きさと風格のある駅舎が必要だったと思われます。
さて10:51発の大垣行きに乗るべくホームに出たら足元に自転車のマークがありました。養老鉄道では、自転車を乗せられるサイクルトレインがあるのは知っていましたが、自転車の乗降口が一か所に決められていることは知りませんでした。扉は一杯あるんですけど、全部の扉から乗り降りさせるようにしなかったのは良い選択だったと思います。
さてひょうたんのぶら下がる養老駅に電車が到着しました。
地方ローカル線でもロングシート車が珍しいことではなくなりました。鉄旅を続ける者にはあまり嬉しいことではありませんが、まあ仕方ないでしょう。JRの青春18きっぷで旅をする方も多いですが、ロングシート車で長時間の移動をするのは旅気分がそがれませんか?と聞いてみたい気がします。
さてここは多度駅。両開きドアとワンマン運転用の運賃箱の組み合わせは時代の流れですが、ドアの向こうには昭和の駅風景が待ち受けていました。(除く、自動販売機他いろいろますが…)
養老山地の山裾に沿って進む養老鉄道。進行方向左側には付かず離れずいつも山が寄り添っています。
進行方向の右側には田畑が広がっています。春景色とは言えないまでも厳寒の時期は終わったようです。季節は私の暮らす街でも着実に春を迎えているのですが、それには気付かず、日常を離れて初めて感じ取っています。
養老駅に到着。プラットホームの屋根にこれほど多くのヒョウタンがぶら下げられているとは知りませんでした。単に「養老線」だからここで降りたのですが、新しい発見です。一つ一つのヒョウタンはそれぞれが個性的で、もっともそれをじっくり鑑賞する人はいないでしょうが、あまり見かけないだけに楽しいと思いますよ。
今日(3月22日)は、ぎふローカル鉄道博覧会No.14「養老鉄道 運転&車掌体験」に参加しました。まずは名鉄桜駅から出発。
まずは毎年恒例、3~4月に書いている名鉄「桜」駅の一本桜情報。
まだ10日くらいかかりそうです。また報告します。
養老鉄道のイベントなので、とりあえず桑名から養老鉄道に乗車。たまには、、、ということで起点の桑名駅は西口を撮影しました。この駅は知る人ぞ知るですが、東改札がJR東海、西改札が近鉄の管理となっています。
9:25発の大垣行きに乗車。イベントは12:00集合なので、2本あとの10:45発でも間に合うのですが、そこはそれ昭和45年(1970年)9月23日以来の乗車とあって、まずは名前の由来である養老駅を目指しました。