2014年04月12日 16時40分

1974年(昭和49年)の名古屋市電、桜山にて。

名古屋市電の「桜山町」。ここの電停はその後「市立大学病院」と名前を変えて晩年を迎えましたが、私にとっては最後まで「桜山町」でした。写真はその廃線が間近に迫った頃のもので、残念ながら撮影日が分かっていません。M4-1_5

雨の日を狙った撮影ではなく、撮影しようと思った日がたまたま雨だったのだと思います。

M4-1_8

桜山町は当時、交通の要衝で、市電と市電だったり、市電とバスを乗り継ぐ人が多くいました。そうっ、かくいう私もその一人でした。またそれだけではなく軒を並べた商店街にも活気があふれいつも多くの人が行き交っていました。ここからほど近い市場では「鮒味噌」を売っていて、たまに母が買ってきてくれたのがいい思い出です。

M4-1_9

雨の日は安全地帯で傘をさして待つことになったのですが、トラックやバスは電停から少し離れて走っていたのか、私の中ではあまり圧迫感を感じた記憶がありません。

ところでこれらの写真は50ミリレンズで撮影しています。標準レンズとはよく言ったものでとても自然な感じで写っています。最近はすっかりズームレンズに慣れ、標準といわれる画角で撮影した写真が殆どありません。ワイド端か望遠を選ぶことが殆どですのでかえって新鮮な気分でこの写真を見ています。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!