中京テレビ

2014年04月17日 19時49分

1974年(昭和49年)の名古屋市電、最後に。

●昭和町~開橋間にて撮影。

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今回、名古屋市電の思い出を綴っていて、名古屋市電に「撮り鉄」スポットが意外に多かったことを改めて知ることになりました。それとやはり市電は「街と共にある」ことも感じました。

もう40年なのか、まだ40年なのか、、、やはりもう40年なのでしょうが、そんな過去を懐かしむばかりではなく、名古屋市民いや名古屋の街を移動する人にとって市電がもう一度登場する時期が到来したと思っています。今、都心部でのLRT導入が取り沙汰されていますが、それだけではなく、例えば今池~大曽根間であったり、桜本町~名鉄/道徳~東海通~あおなみ線/名古屋競馬場前とかもあったら便利と思える区間です。

交通信号の公共交通優先化などを導入したりして、今や世界で建設が進められています。そのような近代化された路面交通の拡充を期待しつつ名古屋市電廃止40年の纏めにします。

(追伸)私が公共交通(特に路面交通)に拘る訳…今から5年ほど前ですが、足を痛め数か月間にわたり杖を頼りにする生活をしました。右足だったため車の運転もできず、通勤のみならずどこに出かけるにも公共交通が頼りでした。その時、名古屋は車『だけ』社会だと改めて思いました。地下鉄沿線以外ははっきり言って不便です。

その地下鉄ですが地上と地下の垂直移動は思いの他大変です。特に階段は、上るよりも下るのが大変だと思い知りました。上りは一段ずつ一歩一歩進めばいいのですが、一方、階段を下る怖さ(転げ落ちそうな感覚)は何とも言えませんでした。エスカレーターは上りより下りにしてくれよ!とか勝手に思っていたらお年寄りの方も上り(階段は疲れるけど怖くない)より下りが欲しいという人が結構いたのには驚かされました。さてエレベーターはと言えば、八事日赤のように使い勝手が良い駅とそうではない駅の差がはっきりあり、エレベーターに辿り着くまでに疲れてしまいそうな駅もあり、それまではあるだけましとか思っていましたが、ベビーカーや車椅子の方たちの大変さも少し理解できました。その後、ドイツ・フランスのトラムを何か所か利用し、本当に利用しやすい都市交通とは何かを知った気がしました。追伸が長くなり申し訳ありません。ご精読ありがとうございました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!