2014年04月20日 22時18分

祝!!50周年!記念券で見る東海道新幹線(1)開業。

 今年は周年がいろいろあります。

まずは中京テレビ45周年と言うものもありますが、おっと!これは「鉄」的ではありませんね。それはさておき名古屋市電の廃止から40年であったり、名古屋鉄道の創業120周年もあります。また東海道新幹線50周年も以前このブログでも少しふれました。 そこで手持ちの東海道新幹線関連の「記念」券をここで紹介します。

東京オリンピック記念切手

1964年(昭和39年)10月10日、アジアで初めての「東京オリンピック」が開幕しました。当時10歳だった私もテレビにかじりついていた記憶があります。ただその画面でどんな競技を見ていたかは覚えていませんが、日本中が熱狂の渦の中にあったことだけは間違いありません。

 新幹線開業記念切手

そのオリンピックの10日前の昭和39年(1964年)10月1日、東海道新幹線が開業しました。「夢の超特急」の名に相応しいだけではなく、日本の「鉄道」が世界の最先端に躍り出た瞬間だと興奮しました。

●ところで2枚の切手についてですが、昭和の時代は切手収集が大ブームで、そのブームが一息ついたときには集めた切手を手放す人も多くいました。この切手は私が高校の頃にもらったものと記憶しているのですが、「鉄道」が好きな私のために「折角譲るなら喜んでもらえる人に…」とプレゼントされたものです。「東京オリンピック記念切手」とセットだったとは今回、新幹線関係の資料を探す中で気付きました。

●オリンピックと新幹線で、元号と西暦の先出しの順番を変えているのは私の頭の中で印象が残っていることによるもので、大した意味はありません。

新幹線開業記念券(表)

新幹線開業記念券(裏) 

さてこちらは東海道新幹線開業の記念券。これも頂き物なのですが、人として如何なものかと思うものの提供してくれた方の記憶が蘇りません。中京テレビの大先輩が定年退職するときに、もう一つの「新幹線グッズ」と一緒に頂いたと思うのですが…。

2014年04月19日 20時37分

今更ですが、、、名古屋市交通局の増税値上げは9月からです。

DSC_0037 リサイズ

名古屋市営地下鉄の駅にある貼り紙。会社でスタッフから改めて「4月からの地下鉄料金」について聞かれ、「値上げってどうだったっけ?」と私自身が思ったほどですが、ICカードで通勤しているとあまり気にならなかったのも確かです。

ところで名古屋市交通局は「運賃」ではなく「料金」と表示されています。名古屋市交通局の方から教えていただいた話では、国土交通省に提出する書類では「運賃」となっているそうですが、地方自治法や地方公営企業法では、公の施設の利用の対価はすべて「料金」と呼ばれるそうです。ちょっとした表示も奥が深い!

2014年04月18日 21時34分

今年のNPO法人名古屋レール・アーカイブス資料展。

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今年のNPO法人名古屋レール・アーカイブス(NRA)の第7回資料展は、「追想・名古屋の市電 街から消えて40年 愛された市民の足」をテーマに鋭意準備中です。写真は先週の土曜日の作業風景で、明日の土曜日も作業の予定です。

さてNRAの定期資料展はいつもなら9月の開催ですが、今年は市電廃止40年ということで時期を早くし、6月10日(火)~22日(日)の期間で、場所も変えて名古屋・金山駅隣接の『名古屋都市センター まちづくり広場』となりました。

「名古屋市電」については、会として一番の得意分野と言っても過言ではなく、資料・写真を多く所蔵しています。そんなこともありできる限り沢山見ていただこうと広い会場で2週間の開催となりました。

詳しくは開催日が近づいたらまたお知らせします。

※6月15日(日)14:00~には、会場でネコ・パブリッシングから「名古屋市電上・中・下」を出版された服部重敬氏(都市交通研究家・NRA会員)による講演も予定しています。

2014年04月17日 19時49分

1974年(昭和49年)の名古屋市電、最後に。

●昭和町~開橋間にて撮影。

M4-1_4

今回、名古屋市電の思い出を綴っていて、名古屋市電に「撮り鉄」スポットが意外に多かったことを改めて知ることになりました。それとやはり市電は「街と共にある」ことも感じました。

もう40年なのか、まだ40年なのか、、、やはりもう40年なのでしょうが、そんな過去を懐かしむばかりではなく、名古屋市民いや名古屋の街を移動する人にとって市電がもう一度登場する時期が到来したと思っています。今、都心部でのLRT導入が取り沙汰されていますが、それだけではなく、例えば今池~大曽根間であったり、桜本町~名鉄/道徳~東海通~あおなみ線/名古屋競馬場前とかもあったら便利と思える区間です。

交通信号の公共交通優先化などを導入したりして、今や世界で建設が進められています。そのような近代化された路面交通の拡充を期待しつつ名古屋市電廃止40年の纏めにします。

(追伸)私が公共交通(特に路面交通)に拘る訳…今から5年ほど前ですが、足を痛め数か月間にわたり杖を頼りにする生活をしました。右足だったため車の運転もできず、通勤のみならずどこに出かけるにも公共交通が頼りでした。その時、名古屋は車『だけ』社会だと改めて思いました。地下鉄沿線以外ははっきり言って不便です。

その地下鉄ですが地上と地下の垂直移動は思いの他大変です。特に階段は、上るよりも下るのが大変だと思い知りました。上りは一段ずつ一歩一歩進めばいいのですが、一方、階段を下る怖さ(転げ落ちそうな感覚)は何とも言えませんでした。エスカレーターは上りより下りにしてくれよ!とか勝手に思っていたらお年寄りの方も上り(階段は疲れるけど怖くない)より下りが欲しいという人が結構いたのには驚かされました。さてエレベーターはと言えば、八事日赤のように使い勝手が良い駅とそうではない駅の差がはっきりあり、エレベーターに辿り着くまでに疲れてしまいそうな駅もあり、それまではあるだけましとか思っていましたが、ベビーカーや車椅子の方たちの大変さも少し理解できました。その後、ドイツ・フランスのトラムを何か所か利用し、本当に利用しやすい都市交通とは何かを知った気がしました。追伸が長くなり申し訳ありません。ご精読ありがとうございました。

2014年04月16日 19時52分

1974年(昭和49年)3月31日、名古屋市電の最終電車時刻表。

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「サヨナラ電車の最終電車通過予定時刻表」こんな時刻表が私の手元にあります。どこかでもらったような記憶がありますが入手経路を思い出せません。

トリミング2

そして「昭和町」14:15のサヨナラ電車が、4月4日にUPした電車となる訳です。

DSC_0038

その電車だったかどうかは忘れましたが、とにかく市電の運転士さんからもらったスターフ。スターフは運転士さん用の時刻表ですが、「もう必要が無いから」とこれをポケットから無造作に出して私にくれました。

2014年04月15日 20時30分

1974年(昭和49年)の名古屋市電、桜本町一丁目~昭和町。

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桜本町一丁目~桜本町四丁目間。広い道路の真ん中を悠々と走る路面電車。日本というよりヨーロッパ的な感じさえします。

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笠寺西門~本城中学前間。名鉄のガードをくぐるところです。何故か名鉄電車が来るのを待ちきれなかったようです。

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本城中学前電停と名鉄線。手前の木をこんなに写しこまなくてもいいのに、、、と、今は言えます。パノラマカーが写っているのはまあ良しとしても工夫の余地が一杯あったと40年の時を経て反省です。

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笠寺駅前~北頭間。国鉄を立体交差で越えていくところです。

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加福町あたりは工場地帯で、こんな風景もありました。それにしてもこんなに狭い絵ではなく、もっと広い絵をなぜ撮っていないかが不思議です。

2014年04月14日 20時00分

1974年(昭和49年)の名古屋市電、金山橋他。

 

M4-1_10

ここからは廃止の年の1974年(昭和49年)に撮影したのは間違いないものの、撮影月日が書いてなかったネガからのスキャン写真です。まずは「金山橋」駅。

M4-1_18

ここは「瑞穂通三丁目」。私が物心ついた頃はそういう電停名でしたがその後、「瑞穂区役所」に改称されました。右側に市場が写っていますが、当時、電停があるところには市場ありと言っても良いほど市場が多くありました。今思えばとにかくそこに行けば食品から衣料品まで何でも揃う便利な存在でした。

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桜本町一丁目の電停のすぐ北側にあったいつも通院していた耳鼻科の入っていたビルから撮影した一枚。さりげない風景ですが、市電が街とともにあったということを実感させてくれます。

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ふと目を西に向けたら名鉄電車が目に入りました。おまけの一枚ですが、これがパノラマカーでないのが意外と味噌かもしれません。

2014年04月13日 20時43分

平成の「桜山」に残る名古屋市電。

地下鉄「桜山」駅には壁画として名古屋市電の姿が残されています。(このブログでも2012年8月9日にUP)

桜山駅_18

ここ桜山だけの風景ではないのですが、やはり市電とは切っても切れない街だったことが伺えます。

桜山駅_20

これらの壁画群の存在は、残念ながら知る人ぞ知る存在のようですが、市電廃止40年にあたり一度みに行かれては如何でしょうか?

桜山駅_29

因みに市電よりもずーっと昔に廃止されたトロリーバスの壁画もあります。もっとも60歳の私が生まれる前の話です。

2014年04月12日 16時40分

1974年(昭和49年)の名古屋市電、桜山にて。

名古屋市電の「桜山町」。ここの電停はその後「市立大学病院」と名前を変えて晩年を迎えましたが、私にとっては最後まで「桜山町」でした。写真はその廃線が間近に迫った頃のもので、残念ながら撮影日が分かっていません。M4-1_5

雨の日を狙った撮影ではなく、撮影しようと思った日がたまたま雨だったのだと思います。

M4-1_8

桜山町は当時、交通の要衝で、市電と市電だったり、市電とバスを乗り継ぐ人が多くいました。そうっ、かくいう私もその一人でした。またそれだけではなく軒を並べた商店街にも活気があふれいつも多くの人が行き交っていました。ここからほど近い市場では「鮒味噌」を売っていて、たまに母が買ってきてくれたのがいい思い出です。

M4-1_9

雨の日は安全地帯で傘をさして待つことになったのですが、トラックやバスは電停から少し離れて走っていたのか、私の中ではあまり圧迫感を感じた記憶がありません。

ところでこれらの写真は50ミリレンズで撮影しています。標準レンズとはよく言ったものでとても自然な感じで写っています。最近はすっかりズームレンズに慣れ、標準といわれる画角で撮影した写真が殆どありません。ワイド端か望遠を選ぶことが殆どですのでかえって新鮮な気分でこの写真を見ています。

2014年04月11日 19時57分

1970年(昭和45年)の名古屋市電、公園線。

 

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1970年(昭和45年)に廃止になった鶴舞公園~老松町~新栄町~平田町の区間。

写真の3系統は名古屋駅前~六反小学校前~鶴舞公園~新栄町~平田町~大津橋~名古屋駅前という古い名古屋の街を一周する循環系統でした。

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こちらは80系統は、上飯田~大曽根~新栄町~水主町~八熊通を結んでおり、私の中では比較的マイナーな路線でしたが、名鉄小牧線の終点、上飯田から名古屋市内各所を結ぶ系統の一つというイメージがありました。

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新栄町を上飯田方面に折り返す臨時系統。今回、フィルムをスキャンし、改めてこうして見ると何かと発見があるものです。

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鶴舞公園~新栄町~平田町の区間は、名古屋にしては道路幅が狭く、これで周りが商店街なら昭和版トランジットモールですね。私は名古屋市電は限られた区間しか乗っておらず、ここも実際に乗ったかどうかが怪しいところです。今思えば「トホホ」です。

M1-4_23

鶴舞公園の名古屋市電。この写真は撮影日がわかっていません。ただ鶴舞公園~平田町間が廃止になった後であることは線路から見て取れます。もっともこの写真を今日UPしたのは、2000形の美しさがその理由です。この写真は既に40年以上前の撮影ですが、ご覧の通り電車のデザインは現代にも十分通用すると思います。そしてその性能も当時としては最高水準でした。惜しむらくは私がこの電車を日常的に乗ることが無かったことです。今池~桜本町一丁目の系統にこの電車が走ることはありませんでした。(記憶違いでなければ…)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!