2014年08月21日 20時27分

SL銀河の旅(5)釜石線のオメガループとプラネタリウム。

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陸中大橋駅で下り列車と交換。この風景を見ているだけでも堪らない気分です。

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ここから釜石線最大の難所と言っても過言ではない上有住までの勾配区間に突入です。眼下には今走ってきた線路が見えます。これが釜石線名物“オメガループ”。多くの乗客の方がシャッターを押していました。

ところでこの釜石線に最初に乗った1978年(昭和53年)8月29日は昼間の乗車にも関わらず、こんな凄い場所の記憶が全くないので多分、眠り呆けていたと思われます。(恥)

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上有住の駅を出発すれば「鉄」的には一休み。そこで遠野での途中下車を前にプラネタリウムを楽しみました。非常に良く出来ており、車内と言って侮る無かれ、面白いサービスだとは思いました。ただこの施設は1号車(キハ)にあり、力行運転する上り坂が多い区間では折角のナレーション・BGMが少々聞きづらいという難点があります。

どうせならキサハだったら良かったであろうと思うものの、エンジン音を聞きながらプラネタリウムを楽しめるのは日本でここだけです。ものは考えようですね。

※このチケットも大人気です。

2014年08月20日 20時20分

SL銀河の旅(4)キハの走行音。

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キハ142-701から見たC58239。ここだけ切り取れば気分は旧客(旧型客車)。

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でも横をみればそこには運転台。この写真は出発前に撮影したものですが、走行時にはここに運転士さんがいらっしゃいます。因みに上り勾配に入ると「客車」ではあるもののエンジン音が響きます。(笑)

でもそれこそが「SL銀河」の正しい楽しみ方とも思えてしまうのがなかなか愉快でした。

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最初の停車駅は11:27着の11:37発。ホームは大撮影会となっていました。

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その傍らでは整備の方がチェック中。サーモグラフィーで各部分の温度を点検。走行中に万が一にでも「何か」があってはならないということで、この次の「上有住」でも同様の点検を行っていました。

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普段は蓋に覆われた部分も点検のために開けられており、ついでに乗客の方にも見られるようにしばらくそのままになっていました。

2014年08月19日 20時24分

SL銀河の旅(3)旅を盛り上げる素敵な小道具。

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記念写真は撮り放題です。(当たり前かな?)

機関士さんの帽子は、ホームの係員の方が貸してくれました。なお、私が借りたのではなく係りの方にシャッターをお願いしたら「帽子をどうぞ」と貸してくれたものです。

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こちらは灰皿。煙を吐く蒸気機関車の列車であっても車内は当然禁煙なのですが、ホームの灰皿が「SL銀河」仕様となっていたのにはビックリ!(だと思って書いています)

タバコを吸われない方にはどうでもいい話ですが、それでもこの拘りはナイスですね。

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ついでにいうと客車内の設備は既に様々なメディアに登場しているので割愛しますが、次の停車駅を案内する表示はそれでもここで紹介させてもらいます。

これも芸が細かいというか、どれほどの乗客の方が気付いていたかは分かりませんが、ここまでやっているからこそこの列車の人気は続いていくであろうと予感させるに十分な存在でした。

Sl銀河乗車記念

車内で配布される乗車の記念券。アルバムに写真と共に貼っておきたい一枚です。

SL銀河指定席

最後に指定席。今回はJR東日本の「えきねっと」で予約しましたが、最初、窓側指定としたらOUTだったので、席指定せずにしたら予約できました。ただこの指定席券の席は窓側。その理由は、たまたま私が座っていたボックスの方達が、「窓外の風景を撮影されるなら…」と席を譲ってくれ、なおかつ車掌さんが来たときのために「指定席券も交換しましょう」ということでこの指定席券が私の手元に残りました。

余談ですが、釜石~花巻間の通しの指定席はプラチナチケットですが、釜石~遠野間は上下列車とも空席が残ることがままあるそうです。6月1日も遠野までは空席がありました。(釜石駅の窓口での出発直前の空席状況は「○」でした)

景色的にも私個人としては釜石~遠野間の方がお勧めです。

(余談)「えきねっと」で席を取ったときにはパソコン画面には席番号が出てきません。そしてJR東日本の券売機で引き換えるときに座席が指定された券が出てきます。このシステムは仕組みが良く分からず戸惑いました。

2014年08月18日 20時15分

SL銀河の旅(2)これがSL銀河だ!

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改札前で待つこと暫し。「SL銀河 10:55 花巻」。この案内表示を見てホームに向かいました。

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大人気の列車なので先陣を切ってまずはホームで撮影。10:19段階ではこのレベルですが、発車時間が近づくにつれホームの人は増えていきました。

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お約束のヘッドマーク。おしゃれだと思います。

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ピカピカのナンバープレート。左下の運用表をみていたら長時間停車する遠野駅が階段になっているのが興味を惹きました。

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車内も早めに行けばこのような人のいない写真も撮影できます。但し、出発15分前の10:40頃には席はかなり埋まっていました。

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客車の最後尾は、やはり客車というより気動車ですね。でも急勾配のある釜石線で蒸気機関車牽引の列車を設定するためのアイデアとして気動車との協調運転は面白いと思っています。(「あり」という意味です)

2014年08月17日 20時09分

SL銀河の旅(1)釜石駅の入れ替え。

JR釜石線を走る「SL銀河」のプチ情報。

釜石線釜石駅は列車別改札のため、「SL銀河」の乗客は10:15発の快速「はまゆり4号」が出発するとホームに入ることが出来るようになります。

勿論その時には既にC58は客車に繋がっています。

ところがC58が車庫を出て構内を走る様子を、短い時間ではありますが三陸鉄道の釜石駅ホームから撮影することが可能だと分かりました。

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6月1日は南リアス線のレトロ調車両に乗りたかったため盛8:50発、釜石着9:42の205Dに乗っていました。そして釜石駅で列車を降りてビックリ!

丁度C58が動き始めたタイミングで、暫くホームにいるお許しが三陸鉄道の方から得られたので写真を撮影することが出来ました。

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※この時間の三陸鉄道釜石駅は列車の折り返し待ち時間が長いため、下車確認後に車両ドアを閉めるとホームは一時的に無人となります。そのため、三陸鉄道の方が駅舎に戻られるタイミングで私も御礼を言いつつこの場所を離れました。

2014年08月16日 20時04分

三陸鉄道南リアス線レトロ車両(3)「忘れない」ということ。

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この2枚の写真は南リアス線のイメージということでご容赦を。

さて2014年(平成26年)4月5日に復旧、運行再開となった三陸鉄道南リアス線。今回の再開区間の吉浜~釜石間の所要時間は、私が5月31日に乗った釜石発18:07の列車で24分でした。

それが震災前は、同区間を途中で対向列車と行き違いする列車でも20分程度、大体は10分台で走っていました。

実は前日、釜石(⇒盛)を出発後、最高時速が35キロ程度と随分抑えて走っていることに「あれっ?」と気付いたのですが、取り敢えず所要時間が伸びても再開を優先させたようです。

関係者の話では当面はこのダイヤで走り、路盤の安定が確認されたら元のスピードに戻していきたいとのことで、ただその時期が半年後になるか1年後になるかまでは決まっていないそうです。

被災地にあって優先すべきは列車のスピードよりも「走ること」であり、ただ「運転が再開されて良かったね」ではなかった三陸鉄道に改めて胸が熱くなりました。

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そうこうする内に釜石の街が見えてきました。この鉄橋を渡れば終着の釜石駅です。

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場内信号機。そこにJRの文字があることを知りました。

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これにて今回の三陸鉄道の旅は終わりです。

昨年回った宮城県同様、岩手県の被災地復興もその前途多難を思わずにはいられません。私たちが出来る数少ない支援は、その地に出かけることと何より「忘れない」ことだと改めて思いました。

2014年08月15日 20時59分

三陸鉄道南リアス線レトロ車両(2)レトロ車両に乗車。

盛から釜石までは硬券の乗車券を購入。

南リアス線乗車券

台紙付きなのでお得感があります。

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36-R3の車内照明はこんな感じ。単にレトロというよりはレトロモダンな印象です。でも白熱灯ではなく多分LEDかな?

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座席とカーテンも凝った作りです。ただこの列車への乗車が目的と思われる方は少なく、ガラガラのまま盛駅を後にしました。今でも不思議な感じです。

空いていて楽なのはいいですが一寸心配。大船渡で泊まる事が出来れば、三陸鉄道南リアス線レトロ車両~JR釜石線「SL銀河」というルートで人気が出そうな気がしますが現状では難しそうですね。もっとも釜石に泊まって朝一番の列車で盛を往復する手もあることはあるのですが、そこまでする人は本当に少数でしょうね。

2014年08月14日 20時55分

三陸鉄道南リアス線レトロ車両(1)盛駅にて。

平成26年(2014年)7月1日(日)の三陸鉄道盛駅。

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今日の最初の「鉄」活は「レトロ車両」への乗車。

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乗車の前にBRT大船渡線盛駅ホームの全景。非常に鉄道っぽい感じですが、実際に走るのはBRT(バス)です。

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さて本命のレトロ車両。36-R3は前日に北リアス線で乗ったレトロ車両とは異なり紫色のシックな装いが特徴となっています。

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盛発8:50の205Dはレトロ車両と36-701の2両編成。ということで、少々無理がありますが普通車両越しに大船渡線BRTとの込みショットを狙ってみました。

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気を取り直して車両写真風。

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ヘッドマークの「祝 全線開業」はスポンサードですが、これは許せるといいうより、こうした形の支援なくしてはこの鉄道会社は成り立たないという想いもあるので、いつかこのヘッドマークを外すときが来たとしても、一時のブームのようなことではなく、それ以降も何がしかの支援が続くことを祈るばかりです。

2014年08月13日 19時49分

岩手開発鉄道(2)盛駅。

岩手開発鉄道は平成4年(1992年)まで旅客営業をしていました。実はこの時、私は貨物輸送も含めて“廃止”と勘違いしており、その後も貨物輸送が行われているのを知ったのはそれから随分時間が経ってからでした。

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三陸鉄道盛駅のホームからその名残が見え、それがまだ残っていたことに驚き思わずシャッターを押してしまいました。

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この写真はあまりにあまりなのでUPするのが憚(はばか)られましたが、岩手開発鉄道の旅客営業時代の写真がこれしかなく、皆様におかれましては笑ってお許し下さい。(1978年撮影:岩手石橋駅にて.プリントからスキャン)

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さてこちらは現在の岩手開発鉄道盛駅構内です。こうしたホキの並びがセメント輸送鉄道らしくていいですね。

2014年08月12日 20時45分

岩手開発鉄道(1)赤崎駅。

大船渡市にある太平洋セメント大船渡工場。

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その名の通りセメントの工場で、石灰石は内陸から鉄道で運ばれています。

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その鉄道が岩手開発鉄道。

日曜日でも列車が動くこともあると聞いてはいたものの、やはり6月1日は動いていませんでした。

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貨物ヤードはもっと広いかと思っていたのですがそれほどでもなく、三重県四日市市の太平洋セメント四日市出荷センターほどの規模とはなっていませんでした。

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貨物駅らしい駅舎がありましたがカーテンが引かれ静かな佇まいとなっていました。

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ここの入れ替え風景を見てみたい!もう一度この地に立ちたい!そんなことを考えつつこの場を去りました。

※大船渡プラザホテル~岩手開発鉄道赤崎駅~三陸鉄道盛駅はタクシーで移動しました。そこそこ撮影しましたが20分もかかっていません。運行日ですとそうはならないでしょうが…。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!