2013年(平成25年)2月23日(土)、私はここ渓湖糖廠を訪ねています。
台北から新幹線で高鐵台中まで行き、台鉄新烏日から区間車で員林へ。(写真は員林駅)
そこから本当はバスに乗る予定だったのですが、乗車予定の台鉄新烏日からの区間車が突然運休!更に次の列車も遅れており、蒸気機関車の運転開始時間に間に合わせるべくタクシーを飛ばしました。
巨大な製糖工場が見えてきました。
蒸気機関車346号が出迎えてくれましたが、観光客が見当たらず閑散としていて火も入っていない。どこかおかしい…。
人がいないので写真は撮り放題で、しかも他の観光客の動きを気にする必要もない。でも何かが変。
広い構内にはディーゼル機関車を先頭にした観光列車が停まっているものの動く気配が無い。そこでスタッフらしき人を見かけたのでこの日の列車の運転時刻を確認してみました。と、そこで驚愕の事実を知ることになったのです。
本来、土・日・祝祭日に運転されるこの渓湖糖廠の五分車ですが、何と旧正月の休み期間に動かしていたのでこの日は運休とのこと。しかも次に動くのはどうやら3月に入ってからという事が何となく分かりました。どうやってそれを知ったかって?当然ですが日本語も英語も通じないのですが、カレンダーを持ってきてそれに「○」「×」を書いてくれたのです。来る前にネットの公式サイトも確認していたのですが、残念!の一言です。もっともそれがあったからこそ今回のツアーには是が非でも参加してリベンジしたいという強い気持ちが生まれたのは間違いありません。
台鉄の電車といい臨時運休の渓湖糖廠といい、まあ海外はそんなものだとは思っていますが、ついていない時はジタバタしないことが肝要です。(トホホ)
蒸気機関車346号は1948年のベルギー生まれ。1954年からここ渓湖糖廠で働き1977年に引退するも、2007年に復活を遂げ今も元気に活躍しています。
火室の下に落ちていく火の粉が見えます。分かるかな?
運転台からの一枚。
スタッフの方に呼ばれたので行ったら火室を開けて見せてくれました。
ところでここの機関車で一つ発見がありました。そもそもはツアーの参加者が気付き教えてもらったのですが、第2動輪にフランジがありません。
日本の蒸気機関車ではE10形が有名ですが、そもそもこれだけじっくり見たのは私にとって初めての経験で、この第2動輪は346号が走る線路にありえない程の急なカーブがあることを教えてくれました。
蒸気圧が上がるまでしばし渓湖糖廠内の見学。
屋内の車両展示スペースにはここで使われていた蒸気機関車等が大切に保存されていました。
そんな中、またまた見つけてしまいました。トイレの案内。面白い!それにしても今時、厠(かわや)と読める日本の若い人はいるのだろうか?
機関車に戻って来たら、丁度クランク部分のねじを一つ一つ外して注油の真最中でした。
結構手間のかかる仕事ですが、年代モノの機関車だけに多分、動かす時は毎回している作業なのでしょう。
もっとも日本でも同様の作業を都度やっているはずで、始業点検は“古い車両”だからということは無いはずです。間近にみているので『特別』感があったような気もします。
公共の交通機関であれば、台鉄の員林駅からバスが便利な渓湖糖廠。ただ渓湖のバスターミナルからは少々歩く必要があります。
台湾の保存精糖鉄道で、蒸気機関車が運行されているのは前に紹介した烏樹林とここ渓湖糖廠の2箇所となります。その中でもここ渓湖糖廠の蒸気機関車は石炭炊きとして知られ、観光客の人気を集めています。
私たちがここに着いたのは午前7時45分頃。当初の予定(ツアーの日程表)では、ディーゼル機関車が牽く観光列車に乗る予定だったのが、「鉄道」愛好家の団体が日本から来るということで、渓湖糖廠のご好意で急遽蒸気機関車に変更となったとのこと。また希望者には火起こしから見学しても良いというサプライズもあり、日本出発直前に早朝からの渓湖糖廠訪問が決まりました。しかもこの日は通常は運行していない月曜日で、そういう日は貸切運転の希望があった時だけ動かすとのことでした。
さて機関車の前には焚きつけが用意され、
それを機関車の火室に入れていきます。
今回のツアーでは彰化市内の福泰商務飯店(彰化フォルテホテル)に2泊しました。
といいつつまずは台鉄の自強号の車内でピックアップした紙コップ。列車の中で撮影できなかったのでホテルに着いてから撮影しました。勿論、家に持ち帰っています。
ホテルの部屋から見た彰化市内の風景。鉄道は見えませんでしたが高層階だったので景色はバッチリ。
外観はこんな感じ。彰化駅から少し離れた立地でしたが徒歩5分圏内にスーパーもありお土産はそこで調達しました。
ロビーには世界の著名な建造物とその土地の現在時刻が分かるようになっており、インターナショナルな感覚を醸し出していました。フロントには日本語の分かるスタッフがほぼ常駐しており、気分的にはとっても楽。ただ英語の出来るスタッフが常駐している事はないようで、それはそれで台湾のホテル事情が見えて面白かったです。さて12月1日(月)はバスで30分弱の渓湖糖廠が目的地だったのですが、私は3日目にして初めて明るい時間帯にホテルの外観を見ました。何せ11月29日(土)は夜7時頃の到着。11月30日(日)は夜明け前の出発で、戻ったのは夜の9時過ぎ。こんな立派なホテルだったんですね。
因みにこの日も出発時間は7時15分で、朝食は2日続けてサンドウィッチのボックスと相成りました。このホテルの朝食は美味しいとの噂があったのですが、「鉄」優先の行動のためそれを確かめる事は出来ませんでした。
今日の日本は「ダイヤ改正」一色。北陸新幹線の新規開業区間はいつになったら乗れるのでしょうか?それより個人的には富山地方鉄道の路面電車の新幹線駅直結の方が興味があります。
それはさておき今回のダイヤ改正が「成功」することを祈念して今日は台湾の縁起切符の話。
「成功」という駅名を見てこれは縁起が良さそうだというのは日本語感覚でも見当がつきますが、ここ台湾では「成功」への入場ではなく、「追分」から「成功」へ行くのが、験を担ぐことになるのだそうです。
ということで夜の8時半過ぎに日本からの観光客が大勢で追分駅に詰め掛け、縁起切符の大人買いです。駅員さんはさぞかし驚いたことでしょう。この駅にはご覧のようなスタンプが各種置いてあり、私も裏面にそれぞれ印を押していきました。ところで私が買ったのは片道切符ですが、台湾では「成功」して「追分」に戻るのも縁起がよいそうです、そちら(往復切符)も良く売れているそうです。なおここ追分駅の駅前にはこの切符をパウチするお店が何店かあるそうで、そこで大量に“記念品”を作って配る人がいるそうです。所変われば品変わる。
真っ暗な「追分」駅ではなく、もう少し明るい追分駅。2008年(平成20年)8月24日にも私はここに来ていました。
台鉄の乗りつぶしのためで、成功駅から到着して折り返しの台中方面行き(台中のホテルを予約していたため)の列車までネコと遊んでいました。
そういえば今回、ネコの姿を見ませんでした。どうしたのでしょう?
こちらが成功駅の駅名標。
2014年の鉄旅で、「追分」~「成功」~「追分」が縁起が良いと聞いたものの、2008年は「成功」~「追分」~「成功」というパターンで電車に乗りました。さて私の行動パターンの縁起は如何でしょう?
(2008年のアクシデント)
追分から乗車した電車は成功駅で何故かストップ。車内に何かアナウンスが流れたと思ったらお客さんが降り始め私はプチパニック。そうしたら若いカップルが声を掛けてくれ、英語で「日本人ですか?」「この電車はこの駅で打ち切りで、後続の電車に乗り換えです」「付いて来て下さい」で案内され無事に台中駅行きに乗車。台湾の方は親切です。多謝。
台湾にはまだまだ日本風の駅舎が残されています。
彰化駅から海線を台北方面に一駅。追分駅もその一つです。
ここは彰化の隣駅になるのですが、実は山線の「成功」駅の隣駅にもなります。「成功」~「追分」間には見かけは山線と海線の短絡線的な“成追線”があり、列車の本数的には、海線「追分」、山線「成功」とも彰化方面が圧倒的に多いのですが、成追線の列車も1~2時間半に1本程度設定されています。それも近鉄伊勢中川駅の様な特急専用ではなく全て普通列車です。
この電車はその数少ない成追線経由台中行きです。(20:30頃撮影)
ホームから見た駅舎。夜間の撮影でも雰囲気が良いので鑑賞に堪えます。あっ、私の写真が良いとかではなく建物の良さです。
この駅には跨線橋・地下通路が無く、駅舎からホームには線路の上を歩いて渡るのですが、このようにホームの途中に階段を置いている駅は日本ではもう殆ど見かけません。日本で言う特急も走る路線ですが、こうした風景が残っていることも台湾の鉄道の魅力の一つでしょう。
(追伸)北斗星も無事旅立ちました。上野駅では3000人が見送ったとのことですが、この賑わいがこれまでずーっと続いていたらこの列車は残ったでしょうか?8月までに上野から一度乗ってみたい私がいます。