2015年04月30日 20時21分

ドイツで撮り鉄/ノイエンマルクト80キロポスト(3)01重連を撮った!!!

狙いの列車はここを定刻なら午後1時頃の通過予定。

ということで『乗り』なら直前到着でもOKですが今回は海外で、しかも撮影の大人気スポットとあって1時間前の12時には到着していました。知人の撮り鉄さんたちから「撮影ポイントには30分前までに到着」「人気スポットなら2~3時間前に到着」というのが“常識”と聞いていたので驚きはしなかったもののやはり体が着いていかない…。

そして待つこと2時間少々。狙いの列車を先行して撮影している方(日本人の撮り鉄さん)から服部さんに「今、通過!」の電話。あと10分強で今回の最初にして最大の出会いがやって来ます。

緊張で手が震えているのが自分でも分かるほど。

山中に響くドラフト音が聞こえてきて、、、15:29にその姿をゆっくりと見せ始めました。

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ドイツの鉄道史上最大の蒸気機関車「01形」の重連。

「01 1066」+「01 202」は9両の客車を従え、最高の煙とドラフト音で威風堂々として目の前を通過。

この出会いを終えた時、冗談ではなく来たばかりなのに「もう日本に帰ってもいい!!!」とさえ思っていました。そして撮影後に写真をチェックしている時にはエルガーの行進曲「威風堂々」が頭の中で鳴っていました。

ところでこの列車は臨時列車。ドレスデン蒸気機関車フェスティバルを前にそのフェスティバルに向けて旅行会社が貸切ツアーで設定しており、予定通りであればドイツ西部の町「シュツットガルト」を朝6:30に出発し、ドレスデンに18:26到着。もっともトワイライトエクスプレスと同じで、乗客の多くは長く乗っていたい方ばかりなのでしょう。

しかし今になって思うと「撮り鉄初めがこれではこれからの人生をどう過ごそう…」という気分です。

※今回は撮り鉄ですのでこの列車に「乗る」という選択肢はありませんでしたが、チラッとネットで見た料金はとても手の出るものではありませんでした。

(追伸)今、こうして書いているだけでも自分が興奮しているのが分かるほどです。

2015年04月29日 15時04分

ドイツで撮り鉄/ノイエンマルクト80キロポスト(2)1日乗車券。

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上段の切符はドレスデン中央~ホーフ中央の間にあるグラウハウ(Glauchau)駅までのモノ。

下段は「Quer-durchs-Land-Ticket」と呼ばれるドイツ版「青春18きっぷ」とも言える1日乗車券。午前9時から有効なため、ドレスデンから午前9時以降に到着する駅までの乗車券を別途購入したのがこの2枚の切符の理由です。

この1日乗車券。一人で買うと44ユーロですが2名乗車ですと52ユーロ。5名以内という条件はあるものの複数名で買うと割安なチケットです。実際には駅の窓口で購入しているため手数料で2ユーロを追加し2人で54ユーロを払っています。そうなのです。今回は1人旅ではなく同行者あり。その方は都市交通研究家であり一昨年にはネコ・パブリッシングから「名古屋市電 上・中・下」を上梓され、実は根っからの撮り鉄でもある服部重敬氏。ということで服部さんから「同行OK」が出たからこそ私も“撮る”ことを目的に“乗る”という実に40年ぶりの旅を決意した次第です。何事でも初心者はベテランに(謙虚に)教えを請うのが習熟への近道です。そしてこの乗車券の情報も服部さんの提供でした。

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写真のマルクトショルガスト駅を後にしてドイツの超有名お立ち台である「ノイエンマルクト(Neuenmarkt)80キロポスト」を目指します。道は衛星写真の地図等で服部氏が事前に調べておられたので私はついていくだけ。

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歩くこと約30分。「撮り鉄ポイント」として驚きの案内看板やベンチも整備された「ノイエンマルクト80キロポスト」に到着。ベンチの向こうの黄色の物体が看板で、この地の歴史だけではなく、蒸気機関車末期の伯備線布原信号所の激パにも似た斜面にびっしりと張り付いた撮り鉄さんでごった返す写真もあったりしました。

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看板掲載の2つの地名の内、右側が私たちが下車したマルクトショルガスト。左側がノイエンマルクトです。カメラマークのあるところが正に「お立ち台」で、赤い点の所が今いる場所となっています。日本でこんな看板は見たことが無い!

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早速本命到着前の試し撮り。

※日本人の撮り鉄さんには「ノイエンマルクト80キロポスト」という名前で通っていますが、看板には「08 FOTO-STATION DER KILOMETER 80.0」とありました。「08」は撮影地の番号です。

2015年04月28日 22時30分

ドイツで撮り鉄/ノイエンマルクト80キロポスト(1)ドイツ列車旅。

人口約53万5千人の大都市ドレスデン。東海3県では豊田市・岐阜市・四日市市と言った大きな市よりも人口の多い大都市です。

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その市街地の移動の軸となっているのがトラム。昨日のドレスデン中央駅は正面ではなく謂わば北口と言ったところですが、この写真が正真正銘の正面です。

東欧の都市のトラムと言えば…、というほどイメージが定着しているチェコのタトラ社製の電車。この電車を見るとドレスデンが旧東ドイツの都市であったことが窺い知れます。流石にドレスデンでその姿を見ることは珍しいとの事で、今回朝のラッシュ時とはいえその3連をいきなり見られたのは思いっきりラッキーでした。

さてドレスデン蒸気機関車フェスティバル(英語表記で「7th Steam Engine Festival 2015 in Dresden」)は4月17日からですが、先乗りしたのには訳があります。その理由はまた後ほど。

ということで4月16日(木)は、ドイツでも代表的な撮り鉄スポットとされている「ノイエンマルクト80キロポスト」をまずは目指します。

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ドレスデン中央発07:53のホーフ(Hof)中央行きにまずは乗車。

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ホーフ中央着は10:32で、同発10:36の単行のバンベルク(Bamberg)行きに乗車。

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途中のマルクトショルガスト(Marktschorgast)に着いたのは11:16でした。

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この単行の列車にもちゃんと一等の座席があります。極上のシートが待っているというより余裕のエリアと言ったところでしょうがやはりこういうところを見るにつけここがヨーロッパでありドイツであると感じます。

※撮り鉄写真は近日公開します。乞うご期待!

2015年04月27日 21時28分

ついに本格撮り鉄に挑戦!!!ドレスデン蒸気機関車フェスティバルに参戦。

「乗り鉄」ついでに撮影する事はあっても、「撮る」ことを目的に旅をする事は恐らく40年ぶりではないでしょうか?

一眼レフを持っての旅は勿論これまでも何度もあります。しかし目的はいつも「乗る」ことが最優先。慣れない「撮り鉄」に戸惑うことも正直言って多々ありました。しかしその結果は十分に満足がいくものでした。そうなんです。実は「撮り鉄」に出かけました。その目的地はドイツ。

「撮り鉄」に出かけたきっかけはドイツ語で「Dresdner Dampfloktreffen」。日本語に訳すと「ドレスデン蒸気機関車フェスティバル」。今年は4月17日(金)~19日(日)の日程で開催されました。

このイベントは、ドイツ国内各所で動態保存されている大型蒸気機関車「01形」を中心とした機関車達がドイツ東部の町『ドレスデン』に集結し、ツアー会社によるチャーター列車も牽引するという何とも贅沢なもので、その雄姿を一目見て、そして撮影しようと世界中の大型蒸気機関車“撮り鉄”さん達が集まってくることで知られています。

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ということで私もそれに参戦すべく中部国際空港から4月15日(水)9:40発のルフトハンザ航空に搭乗し、ドイツ・フランクフルト乗り継ぎ(15:00着/16:40発)でドレスデンを目指しました。

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最近の座席モニターで見られるフライト状況は、航空写真にGPSで検知した位置情報を飛行機マークで分かるようにしており、これがフランフルト空港到着時はちゃんと誘導路を走っておりこれがなかなか面白い!それにしても携帯電話を機内モードにしていればこうして写真を撮影できるようになったのも時代の変化を感じます。

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ドレスデン空港ビルの地下にはドイツ鉄道が乗り入れています。

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30分間隔で走る電車。2階建てなのでトランクが無ければ階段を登って2階に行くのですが、そこはすっぱり諦めドアから入って直ぐの1階の座席に陣取りました。何せ今回はいつもは持ち歩かない3脚はあるはカメラは3台あるはで荷物が重いのです。

*カメラ構成…デジタル一眼レフ(APS-Cサイズ)+ミラーレス一眼レフ(予備兼用)+いつものコンデジ(スナップ+動画用)

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空港から21分で到着するドレスデン中央駅。その駅舎のまん前をトラムが走り抜けていきます。駅舎を出て目の前に乗り場のある利便性はやはり良いですね。

(余談)

往路のフランクフルト空港乗継時もそうですが、帰路のドレスデン空港搭乗時も手荷物検査で引っ掛かり、バッグを開けて中身を全て出すというあまり経験したことのない念入りな確認~再チェックとなり、思ったよりも時間がかかりました。私の場合はどうもカメラを複数台持っていたことによるものと思われましが…原因は不明です。巨大空港はターミナル間の移動にただでさえ時間がかかるため心臓には良くありませんが、こればかりは致し方ありません。そうそうっ、ドレスデン空港では何と到着ロビーに出たところで係員から呼び止められ、そこにあった大型のX線検査装置に荷物を通しました。何事も経験です。

(参考)

今日から当分の間、ドイツ・ドレスデンの旅をUPします。その地名については「Google マップ」で表示されるカタカナ表記に従って統一します。そのためこれまでメディア等に出てきた読み方と若干異なる場合もあるかと思われますが、他に統一基準が作れないためあらかじめご了承ください。

2015年04月26日 21時14分

私的昭和の鉄道/新潟の国鉄(2)赤谷線。

東赤谷

昭和58年(1983年)5月9日。この日は朝一番で弥彦線の「東三条」~「越後長沢」間(昭和60年廃止)に乗り、その後赤谷線を目指しました。(新発田発8:16、東赤谷着8:55)

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赤谷線の終点「東赤谷」。昭和59年(1984年)に廃止となったこの線は、鉱山からの貨物輸送のための鉄道で当時の鉄道ファンの間でも1点を除いて地味な存在だったと思います。

1978_05_09赤谷線3その1点とは…。この写真は車内から撮影した東赤谷駅ですが、列車と駅舎の位置関係に注目して下さい。

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車内から見た駅の端っこ。駅員さんがポイント操作をしています。

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実は国鉄駅にあって唯一のスイッチバックの終着駅で、新発田から来た列車は急勾配を登りつめて一旦引き上げ線に入り、そこからバックで平坦な“駅”に入線する形態となっていました。同様形態の駅としては、長野電鉄のかっての湯田中駅が有名でした。

東赤谷発行東赤谷駅は有人駅で、こうして硬券を売っていましたが380円でどこまで乗れたのでしょうか?

一応次の目的地は「新潟」で、この後一昨日にUPした新潟交通に乗車しています。

2015年04月25日 22時37分

私的昭和の鉄道/新潟の国鉄(1)魚沼線。

 

話しが前後しますが、昭和53年(1978円年)5月7日~10日の乗りつぶしの乗車券です。

周遊券ではなく手書きの普通乗車券です。

名古屋~新津乗車券この区間は通常であれば名古屋~長野~信越本線経由~新津で、多分これは普通の硬券乗車券があったと思うのですが、飯山線経由だったので手書きになったのでしょう。

五泉~西小千谷

そして蒲原鉄道に乗車後、一旦新潟に出て越後線経由で柏崎に向かい、そここら来迎寺まで信越本線で戻り、そして魚沼線に乗りに行きました。そのためか経路を特定するに当たり「亀田」(信越本線)、「東柏崎」(越後線)の記載があるのですが、変則的な経路の乗車券の発行は駅員さんのお手数をおかけしているわけですが、今こうして見てみればなかなか楽しくもあります。

1978_05_08~魚沼線

昭和53年(1978年)5月8日、枝線である魚沼線の終点「西小千谷駅」です。(来迎寺発17:06、西小千谷着17:31)

1978_05_08~魚沼線2

この路線は大河である信濃川を挟んでいるとはいえ上越線と並行していたためか、国鉄再建法による第1次特定地方交通線として昭和59年(1984年)に廃止されたのも頷ける状況でした。

2015年04月24日 23時36分

私的昭和の鉄道/新潟の私鉄(2)新潟交通。

新潟市内といえば路面を走っていた新潟交通。2度の区間廃止を行ったものの最終的に平成11年(1999年)に全廃されました。

その新潟交通に乗ったのは蒲原鉄道に乗った翌5月9日。

1978_05_09新潟交通2

新潟市内の終点「県庁前駅」に停車中の電車。この日は県庁前(後に県庁が移転し「白山前」に改称)を11:49に出る電車に乗り「燕」を目指しました。もっともこの電車がその乗った電車かどうかは記憶の外です。(すいません)

1978_05_09新潟交通

駅舎を正面から捉えるとこんな感じ。重厚なその佇まいは美しくさえあります。

1978_05_09新潟交通3

表情に特徴のある顔立ちは愛嬌があります。

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路面区間はそれほど長くは無かったと思いますが、今も残る“電車”の走る単線風景は熊本電鉄くらいでしょうか?

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県庁前~東関屋間が禁煙ですが、軌道区間が禁煙はともかくそれ以外の区間が喫煙というのも驚きでした。

新潟交通新潟交通の車内券。車内乗車券の収集は旅の楽しみの一つでした。

 

2015年04月23日 20時14分

私的昭和の鉄道/新潟の私鉄(1)蒲原鉄道。

新潟県にかってあった蒲原鉄道と言っても、一部の方を除いて多分「どこ?」といった感じでしょう。 1978_05_08蒲原鉄道005 信越本線の「加茂駅」と磐越西線の「五泉駅」を結んでいた典型的なローカル私鉄で、昭和60年(1985年)に「加茂」~「村松」間が廃止され、その後平成11年(1999年)に残っていた「村松」~「五泉」間が廃止されました。 乗りつぶしノート JPEG (84) 私はこの線を昭和53年(1978年)5月7日に乗っており、名古屋から809D急行「きそ4号」に乗車し、長野から飯山線経由で新潟入りし、加茂11:05発の電車で五泉に向かいました。 1978_05_08蒲原鉄道001 加茂駅の風景。場所を確実に特定しているのは改札上にある発車時刻表で確認できるこの駅だけです。1978_05_08蒲原鉄道007 車庫があるので恐らく村松駅。バスが良い感じ。 1978_05_08蒲原鉄道010 多分、五泉駅。 新潟県には2010年3月にこのブログでUPした越後交通といった私好みの私鉄や国鉄でも赤谷線のような存在もあり、乗りつぶしの醍醐味を味わっていました。今や昔の思い出です。

最後は使用した乗車券と記念で買った車内乗車券。

蒲原鉄道

2015年04月22日 20時06分

私的昭和の鉄道/九州(5)筑豊本線と伊万里駅。

1971年(昭和46年)3月22日~27日の間、同級生とともに人生初九州上陸!

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鉄分少な目とはいえそこはそれで気の良い友人はそれなりに付き合ってくれており、実はそれから45年の月日が流れていますが彼とは今も親交があります。

さて3月23日、鹿児島本線折尾駅に夜行の急行「西海2号」から降りたち、その後何故か筑豊本線の若松行きにのり、二島駅で折り返しています。そして二島駅に停車中だったD50205の運転士さんが運転台にあげてくれ記念写真を撮影。(友人の写真もあり)その割りに肝心の編成写真は撮っていません。

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3月24日は宿泊したユースホステルの最寄り駅「虹ノ松原」から525D(博多発伊万里行き)に乗り、伊万里に9:16に到着。そこから10:15に出る松浦線の急行1501D「平戸」への乗換え待ちの間に貨物を撮影。ただ当時は蒸気機関車だから、8620形だからと気負って撮影していたとは思えず、そこにいた列車にカメラを向けていたと思います。

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48647の牽く貨物列車はどうやら長時間停車していたようで何と3枚もの写真が残っています。

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ただ個人的にはこの写真が一番好きです。

ということで私的昭和の鉄道/九州編は何とたった5回で終了。これまでにUPしている写真があるからですが、そもそも写真撮影に熱心ではなく、ちゃんと撮るようになったのは社会人になってからで、しかもデジタルカメラが出てきてからと言っても過言ではありません。

2015年04月21日 20時03分

私的昭和の鉄道/九州(4)北九州の路面電車。

室木線に乗ったのと同じく昭和53年の2月1日です。

1978_02_01西鉄北九州市内線_1

前日の1月31日の22:08に鹿児島本線西鹿児島駅を102レ「かいもん4号」で旅立ち、北九州市の折尾駅に降り立ったのは6:24でした。そこから6:34に西鉄北九州線電車に乗車。途中砂津車庫前で乗り継ぎ、終点の門司についたのは8:12でした。

北九州市内線

その時の乗りつぶし図。

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北九州市の小倉区魚町。

ここから北方線に乗車。

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特徴ある北方線の電車は、当時は結構好きなスタイルでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!