2015年04月17日 20時48分

カメラマンとしてやりたかった仕事とアンコールワットの関係。

そのその昔の1980年(昭和55年)頃、内戦の真只中のカンボジアに本気で行きたいと思っていました。

今は番組制作会社「オルタスジャパン」の社長であり、当時は日本テレビの「NNNドキュメント」のディレクターであった小田昭太郎氏がその取材準備を進めていたことを知ったことがきっかけだったのですが、ただそういう非常時の国に取材に出向くには私のカメラマンとしての経験値(3年目)もさることながら技量がまったく足らず、それは断念しました。

もっとも私に研ぎ澄まされた映像センスがあり、卓抜した困難を乗り越える力があれば抜擢していただけたかもしれませんが、ただ「やりたい」だけでは進めない道があることも知りました。一方で「伝える」とは何をするかということか、はたまたジャーナリズムとは何かを自分の中で考えるきっかけになったことは間違いありません。

2015_03_14~15 アンコールワット_7 (1024x683)

それから12年の時を経て、落ち着き始めたカンボジアでアンコールワットの修復を、日本の上智大学を中心としたメンバーで取り組むことになり、そこに愛知県岡崎市の石工さんたちも協力するということで、中京テレビではその姿をドキュメンタリーで追いかけました。その取材に向けての準備では、上智大学との打合せもさることながら、直前にカンボジアに入っていたオルタスジャパンのスタッフからも情報をもらったりもしました。プロデューサーであった私自身は、諸般の事情で行くことは叶わなかったのですが、いつかはカンボジア、そしてアンコールワットに行きたいと願っており、それが実現したのがこの3月13日でした。

2015_03_14~15 アンコールワット_18 (576x1024)

1992年当時も取材としては様々なトラブルがあり、何せ日本からの連絡手段がまともに無い国にスタッフを出したプロデューサーとしては、事後報告で驚きの事実を知ることになり、撮影チームだけではなく全ての関係者の無事な帰国にホッと胸をなでおろした覚えがあります。

●1992年8月8日放送「崩れ行くアンコールワット~遺跡修復へのプロローグ~」

今回、日本の修復チームが力を発揮し、世界中から来た観光客で賑わうアンコールワット等の遺跡群を見つつ、「この部分が日本のチームが修復したところです」というガイドさんの説明には万感の思いがありました。

カンボジアは今でこそ平穏なアジアの国となっていますが、この賑わいが長く続くことを祈っています。

アンコールワット_29●写真は3月14日~15日撮影。

今回はブログの右側にある私のプロフィールの中身について書いてみました。新社会人の皆さんがこれからの人生でどんなプロフィールを作っていくのかを期待しています。

それにしても趣味の鉄道のブログを会社公式ウェブサイト内で始めるとはほんの数年前まで思ってもいませんでした。生生流転の世であってもこれだけは想像すらしなかった!こんな人生も世の中にはあるのです。

鉄道から少し離れてしまいましたが明日からまた“現場”に戻ります。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!