2015年04月18日 23時12分
入社当時のことを書いていたら、昭和の時代に私が経験したことを書いてみようと思い立ってしまいました。
ということで今日から折に触れ、私がせっせと全国の鉄道を乗っていた『昭和』の写真をUPしていきます。タイトルは「私(わたくし)的昭和の鉄道」。ただし私は撮り鉄ではなかったこともあり、あまり写真は撮っておらず、バリエーションが少ないのはご容赦頂きたく存じます。またこれまでこのブログに掲載した写真はUPしないつもりですが、もしもダブっていたらごめんなさいです。
手始めは昭和48年(1973年)7月28日から8月8日まで旅をした九州編です。何故これから始めるかの理由ですが、今日UPする写真に写っている蒸気機関車が調べたら今も保存されていることが分かったからです。
懐かしの九州周遊券を使っての旅。当時の周遊券には「途中下車印」を押す欄もありましたが、そこでは足りなくなって券面の端から端まで“印”があるのが『カッコいい』とされ、その数の多さを競っていた時代でした。ところでこの途中下車印は、鉄ちゃんじゃなくてもやっている人は多かったと思います。
その日程の概略。
●7月28日は東京⇒名古屋間を移動し、実家に一泊。
●翌7月29日、いよいよ本格的に出発。名古屋発19:25の熊本行き急行「阿蘇」(当然、直角シートの4人掛け)に小倉まで乗り、そこから何故か普通列車~普通電車を乗り継いで黒崎9:06発の「かいもん1号」に乗車。西鹿児島15:07に到着してそのまま指宿まで向かっています。
7月31日の行動。指宿を基点に南九州をぐるっと回っており、今考えると何故指宿がベースなのか意味不明な行動です。ひょっとすると温泉があったからかも知れませんが真相は闇の中です。
山野線432Dを栗野(11:33発)から薩摩大口(12:02着)まで乗車。宮之城線933Dが出発する13:30まで駅中を撮影していました。
この時代のC56111はナンバープレートに形式名が入っていませんが、前後の時代は形式名が入っていました。因みにこの車両は今も宝塚市にて保存されています。
宮之城線の車掌さんがくれた乗車券。おおらかな時代です。
8月1日に大隅線鹿屋駅で撮影した写真です。
C11200も兵庫県龍野市で保存されています。