2015年04月19日 20時40分

私的昭和の鉄道/九州(2)日本最西端の駅、平戸口。

昭和48年(1973年)8月3日、(当時の)日本最西端の駅「平戸口」に到達しました。と言っても駅そのものは2度目の訪問。しかし最初に来た時にはこうした写真を撮っていません。入り口に荷物が積んである風景は昭和ならではですね。

1973_07_31~薩摩大口~鹿屋_12

前日の8月2日、小倉発23:09の「普通列車」の夜行に乗車。佐世保に4:46に到着した後接続の4:58発の626D(佐世保発松浦線経由博多行き)に乗車。6:15に到着しました。当然のことながら寝不足だったので、626Dでも爆睡していたのですが、その時シートに横になり通路側の肘掛に足を乗せていた(丁度ひざ裏が乗っかる感じ)のですが、それでひざから下の血流が止まったみたいで、何と平戸口近くで目が覚めたものの足がしびれて自由が利かず、5分ほど足のマッサージをしていた覚えがあります。トホホな話ですが、恐らく50代以上の方にしかわからないかも知れません。

40年以上前の若かりし頃でしたのでそんな旅もよくしたものです。

1973_07_31~薩摩大口~鹿屋_13

「日本最西端の駅」の碑。この座を沖縄・ゆいレールに奪われる日が来るとは夢にも思いませんでした。

松浦線の平戸口以東は昭和46年(1971年)3月24日に乗っており、佐世保からここまでが初乗りでした。なお昭和46年当時はここ平戸口に降り立った後、九十九島巡りの船で佐世保を目指していました。

1973_07_31~薩摩大口~鹿屋_14

昭和48年(1973年)8月4日、唐津線を佐賀(9:07発)から西唐津(定刻では10:52着)まで乗車した727列車。当時でも古豪であった79601が牽いており、当時のメモには9両の客車を牽いていたわざわざ特記があるものの、なぜか727レの写真はこの一枚しか残っていません。

それにしても今こうして見ても風情がありますし、客車の揺れをまだ体が覚えているような気がします。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!