2015年04月10日 22時28分

台湾/福井食堂(3)オーナーの陳朝強さん。

食事が終わったところで「2階」に行きましょうと声がかかりました。

2014_12_01 台湾・福井食堂_15

お店だけで結構満足していたのですがここは実にお宝の山。

2014_12_01 台湾・福井食堂_18

中には台湾鉄路管理局の救急葯箱もありました。多分、救急セットが入っていたのでしょうが、どんなモノが入っていたのでしょうか?興味が湧きました。

2014_12_01 台湾・福井食堂_20

福井食堂の開業15周年の記念ヘッドマーク。

2014_12_01 台湾・福井食堂_21

何とEF661に付いていました。場所は広島車両所?でしょうか。

2014_12_01 台湾・福井食堂_22

それにしてもよくも集めたものです。

2014_12_01 台湾・福井食堂_26

オーナーの陳朝強さんに福井行きのサボ(行先票)を持っていただき来館記念に撮影させてもらいました。

2015年04月09日 22時26分

台湾/福井食堂(2)鐵道文物館である由縁。

私たちが食事したテーブル席の回りも鉄道色が満載。

2014_12_01 台湾・福井食堂_10

食堂の中はこんな感じ。如何にも町場の大衆食堂です。でもぐるりと見渡すと、全てが鉄道です。

2014_12_01 台湾・福井食堂_13

まず目に付いた一番奥の“壁画”。CK124は台湾鉄路管理局が動態保存している蒸気機関車で、今回の台湾シリーズでも「集集線の旅(6)(7)」で写真をUP しているものです。駅弁の立売りさんもいて、日本の昭和の時代の台湾/社頭駅風景を再現しているのかな?と思って見ていました。

2014_12_01 台湾・福井食堂_7

真ん中の赤い扁額風の書が何を意味しているかは分かりませんでしたが、お店にとっては大切なものだということは見て取れました。ただその周りは“鉄道”です。

2014_12_01 台湾・福井食堂_8

壁には列車の窓が描かれ、車窓からの風景が描かれていました。また網棚も見落とせません。

でもこれは文物館のプロローグ/導入部に過ぎませんでした。

2015年04月08日 22時15分

台湾/福井食堂(1)鐵道文物館でフライドチキンを食す。

今回のツアーの最後の目的地は台湾鉄路管理局縦貫線「社頭」駅から歩いて5分強のところにある「福井食堂」。

2014_12_01 台湾・福井食堂_28

台湾は車は多いとはいうもののあふれかえるような車社会にはなっておらず、町の商店街には活気があります。台湾中部の町「社頭」もそれにもれず、日本の市街地とは全く異なる風景が広がります。

2014_12_01 台湾・福井食堂_1

その一角にある「福井鐵道文物館」の看板。ここが福井食堂で、入る前から期待感で胸が膨らみます。

2014_12_01 台湾・福井食堂_3

日本風に言えば、街の定食屋さんと言ったところでしょうか?とにかくお客さんが引きも切りません。早速出てきたこの店の一押し、鶏モモフライの定食。まずその木の器の美しさに仰天。何と日本からのツアー客のためにご主人が用意してくれた特注品。お気遣いに感謝です。

2014_12_01 台湾・福井食堂_6

ボックスは2段になっており右側の箱の下にあるのはウナギ。蒲焼風でこれが何とも美味。これだけ美味しいウナギに台湾で出会えるとは思ってもみませんでした。また右上にチラッと写っているしゃもじですが、使わずにサインをすると店の中の「しゃもじ」コーナーに来店記念で飾られます。私は別のしゃもじにサインをさせてもらい、店内に飾っていただきました。もしも行かれる方がありましたら探してください。

※今回はツアー向けにアレンジしたメニューの感がありました。但し、確かめてはいません。

2014_12_01 台湾・福井食堂_12

最後に出てきたメインの鶏モモのフライ。想像していたフライドチキンの味とは一寸違い、グルメ番組風に言えば外はカリッと、中はジューシーという感じです。

旨かった!

2015年04月07日 20時27分

祝!!北陸新幹線開業!

北陸新幹線が開業しました。もっとも開業日である3月14日に私は鉄道とは全く縁のない行動をしており、未だ乗りに行く目途がたっていません。とはいうものの金沢開業以降、今日までに社内外の実に多くの方から「乗った?」と聞かれており、早目に皆さんの期待に応えねばと心新たにしているところです。

北陸新幹線

そんなことが続いていたら何と「乗っていない」ことを知っている方たちから思わぬお気遣いを頂きました。(紹介の順番は私の手元への到着順です)

1)北陸新幹線(長野・金沢間)開業記念切手

2)「JRトレインくん」E7系 かがやき チョコチップクッキー(一番上の缶入り)

3)北陸新幹線W7系かがやきパタパタメモ帳(缶の下で切手の上)

+西Navi北陸 4月号(台紙代わりにしているフリーペーパーです)

記念切手のデザインはE7系とW7系のバランスを取っていますが、E7系のクッキーとW7系のメモ帳という絶妙なバランスは思わぬ偶然で嬉しく思いました。(多謝)

クッキー

メモ帳で、E7系は無事定時運行されました(まあ、食べたということです)が、W7系は運用に入ることなく車庫入り(もったいなくて使えない)しました。(笑)

2015年04月06日 20時12分

渓湖糖廠の五分車(18)さようなら渓湖糖廠。

途中にあった不思議な光景。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_64

人工的に作られた緑のトンネル。丁度ポイントのある場所にあり、往路で気になったので帰路に撮影しました。日本の“雪国”ならスノーシェッド(覆道/ふくどう)みたいに見えるのですが、何か目的があるのでしょうか?

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_65

ここまで来れば残りがあと少し。10:55過ぎに無事終点に到着しました。通常の五分車運転は往復で約50分ということでしたので、それよりは15分ほど長く楽しんだ計算になります。こうして私にとって今回のツアーの最大の目的が達成されました。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_66

最後に大形トラクターの写真をUP。サトウキビの収穫で使っているのではと勝手に思ったのですが、その理由は車体には「虎尾糖廠」の文字があったからです。何せ「虎尾糖廠」は台湾でも唯一の現役精糖鉄道があることで知られており、これからも私と精糖鉄道の縁が続くという予兆を感じ取りました。(私の個人的な見解であり、家族の同意は得ていません・・・。)

さようなら渓湖糖廠。

2015年04月05日 20時11分

渓湖糖廠の五分車(17)台湾バナナ。

帰りは最後尾の車両に乗車。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_60

橋を渡るところではこんな写真を撮りましたが、簡単な作りではあるもののこれで十分だったということでしょう。因みにこの辺りでは「田舎の香水」を堪能していました。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_61

このブログでは音付きの動画は貼っていませんが、実は生声の案内放送がズーっと流れており、ここ渓湖糖廠の五分車や台湾の精糖事業などなどについての説明があったそうです。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_62

見つけた!!バナナだ!

まだ青いので今は食べられるとは思えませんが、栽培されてとは思えない感じでした。

2015年04月04日 20時09分

渓湖糖廠の五分車(16)のどかな農村風景を行く。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_56

濁水駅の駅舎というより小屋と言った方が似つかわしい建物の横にはこんな看板がありました。

ここはかって「渓州」「王功」「漢寶」に向かうジャンクションだったという証左でしょう。サトウキビの出荷の最盛期の時期にここは一体どんな状況だったのでしょう。考えただけでもワクワクしてきますがそれを見る事はもう出来ません。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_57

改めてき346号が折り返していた方面を除いてみましたが、パッと見は2方向への分岐だったので、恐らく1本の線路は撤去されたのでしょう。左側の線路の先には「線路」を遮断する方向に遮断機が見えていますが、どのように使っていたのでしょう。気になりました。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_58

家族連れに見送られ10:38に出発。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_59

キャベツ?の収穫風景も見られるのどかな田園風景が続きます。

2015年04月03日 20時07分

渓湖糖廠の五分車(15)出発準備完了。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_53

客車の先頭に機関車が戻ってきました。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_54

連結作業は無条件に萌えます。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_55

ご近所の方でしょうか?家族連れの方がやってきました。この方たちは列車の出発時間までいて私たちを見送ってくれました。

そこにいた子供がとにかく可愛く、手に持っていた蒸気機関車のおもちゃを突然、線路の上で走らせ始めた時には、ツアー参加者の格好の撮影対象となっていて、それを見ていたご家族の方も、ニコニコの笑顔で見守ってくれており、ささやかですが日台の民間交流気分でした。

2015年04月02日 20時05分

渓湖糖廠の五分車(14)濁水駅で機回し。

平成26年12月1日(月)。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_49

舗装道路の併用軌道上でストップ。オートバイが通り抜けていったのできっとここは公道なのでしょう。撮影に夢中になるのは危険な行為と知りました。(笑)

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_50

早速機回しです。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_51

多分、その先も線路が続いていたであろうところに突っ込み、そこで折り返しです。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_52

346号の右側に立っている方がポイントを操作されていました。きっとこれはフォトランとは言わないのでしょうね。

2015年04月01日 20時00分

渓湖糖廠の五分車(13)フォトラン。

最近「フォトラン」という言葉を耳にすることがたまにあります。鉄道分野では撮影のために貸切列車を仕立て、撮影者の都合に合わせて動かすことを指している場合に使っていると私は理解しています。例えば昨年(2014年)の11月中旬にこのブログでUPしたボンネットバスツアーがその典型だと思っています。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_41

さてここ渓湖糖廠でも同様のイベントが組まれており、9時50分頃に出発したこの蒸気機関車牽引の五分車は走り始めて100メートルほどの所で停止。早速撮影タイムになりました。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_43

まるでそれは私たちの要望に応じてポーズをとるモデルが如くでした。ここで10分弱の時間がありました。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_44

いよいよ出発進行!踏切では車を待たせて良い気分。何でかって言えばナローの、しかも観光鉄道が公道を横切っているのです。日本ではありえません。というか日本でも認められるようになれば廃線になった路線が観光鉄道として復活できるかも知れません。もっとも“台湾”だから可能で、“日本”の基準ではやっぱり無理かもしれません。「りくべつ」とか「小坂」あたりが復活してほしい路線です。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_45

渓湖糖廠の構内ならともかく終点までの途中で列車を停めることはさすがに出来ないとの事で、私たちは沿線風景を楽しんでいました。

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_46

出発した時には単線だったのが、いつの間にか右側にもう1本の線路が登場しました。複線?それとも単線並列?気になって夜も眠れません。ん、な訳ないか?

2014_12_01 台湾・渓湖糖廠_48

10:12頃、何も無いところにポイントが出現。一瞬、ここが終点かと思ったら、軽くそこは通り過ぎ終点の濁水駅についたのは10:20頃でした。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2015年4月
« 3月   5月 »
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!